【感想】ポケマスのゲーチスのエピソードがあまりに素晴らしかったので感想を書きたくなった話
ポケマスのゲーチスのエピソードがあまりに素晴らしかったのでブログにまで感想を書きたくなってしまった
実はこれ、一度少し書いたが言葉が纏まらなさすぎて消したのだが、やはり文字に起こさずにはいられなくなり、もう一度書こうと思った
ゲーチスのエピソードの何が素晴らしかったのか、今からちょっとした考察も交えて書こうと思う ネタバレ含みまくるのでそこだけ注意
感想と言ったけど後半になるまで感想書いてない…どうしてこんなことに…
ちなみにこの記事で書かれている考察部分はほぼ全て筆者の憶測が常に混じっている事を了承して頂くことをお願いする
1. ポケモンBWとは
いきなり別の話題を振り始めてしまったが、感想を話す前にこちらの話をするのが欠かせないと思ったので、ざっくりとさせていただく
今回のエピソードの原作となるポケモンBWという作品は、「思想」がテーマの作品であった
ストーリーの内容については割愛するが、タイトルに沿って話をすると、異なる思想同士がまるで黒と白のようにぶつかり合ってた…というよりは誰かがいきなり「思想というのは黒が正しいんだ!」という形で黒という勢力が生まれ、それが持つ危険を防ぐ為に主人公達が立ちはだかる、という話だった
最終的に「黒」を主張していたNという人物は、主人公達の姿を見て、アデクの「異なる意見を拒絶するのではなく、受け入れるのが良い」という助言から気づきを得た後、立ち去っていってストーリーは終わる
一つの色を強制するように思想を強制するのではなく、異なる色を受け入れるように思想を受け入れよう、というのがストーリーの流れであったが、今回のゲーチスのエピソードはそのBWの話の補完とも言えて締めとも言えて、またテーマへの一つの回答を示した素晴らしいストーリーと認識した おまけと言っては何だが、キャラの魅力も大いに引き出しており、まさに素晴らしいストーリーに思えた
2. Nの掲げる理想とは
まだ前置きをしてしまうのだが、またしても語らざるを得ない要素として、Nはたびたび自身の「理想」を語っている事だ
Nは自身の理想を、「異なる考えがそれぞれ受け入れられる、黒と白が混じった灰色の世界」とし、同時に「それでも白だ黒だと主張する人はまだおり、まだまだ理想にするには難しい」とも言っている
N自身の使用キャラが理想の神であるゼクロムなのもあり、この「理想」に基づいてNは動いている、と考えられる BWのストーリー当初から一貫して「絆」を大切にしているNらしい、と言える
3.今回のストーリーに存在する一つの「要素」について
今回のエピソードを最初に読んだ時は、感動したと同時に何となく底知れない凄みを感じたのだが、それを知ろうと考えた結果、今回のエピソードの最後のシーンについて考えるとストーリーの全容が見えたような気がしたので、そこを語らせてもらう
・Nはなぜ今回のエピソードの最後のシーンで苦しんでいるのか?
・Nはなぜ「ボクは高望みしてはいけない」と、罪の意識があるような言葉を漏らしているのか
・Nはなぜ「苦しむ役」になったのか?
自分は特に、Nはなぜ「苦しむ役」になったのかが気になった
個人的に答えは、なぜ「ボクは高望みしてはいけない」と、罪の意識があるような言葉を漏らしているのか、という疑問に隠れていると思った
Nが漏らした(というか心の声だった)その言葉は、Nの性格だけから来る言葉にしては後ろめたさの要素が多すぎると感じた 何か罪の意識が無い限りは出ない言葉である
最後のシーンでNの状況は、Nがゲーチスとの繋がりを保ちたいと考える一方、アデク達の「ゲーチスとは縁を切るべきだった」という空気に逆らってはいけない・自分がそれに逆らうのは罪だと考える、という状況である
ここでNが持つ罪の意識を、Nの過去を振り返りつつ考える
Nは過去(BW)で自身の思想を押し付けた、と冒頭に書いたが、その思想とは「ポケモンを人間の手から解放すべき」という思想であった
ポケマスのエピソードNのシーンでも、「ボクはポケモンとニンゲンの繋がりを断とうとした」と言っており、前述の過去の背景を加味して考えると、「ポケモンとニンゲンの絆を一方的に無理矢理絶とうとした」という部分が罪の意識としてある、と考えられる(エピソードNを見ると、冒頭でのアイリスとの会話からも分かる)
Nの罪の意識については考えられたが、それでも何故Nが持ってる罪を断罪させられる必要があるのか?という疑問を考える上で、今回のストーリーの一部を振り返る
一方的に絆を奪う事を罪とするNの意識を考えた上で今回のストーリーの一部をゲーチスに注目して大雑把に振り返る
ゲーチスはそもそもポケモンと人間との繋がりを絶とうとしたプラズマ団のボスであり、プラズマ団のそうした行動も全てゲーチスの私欲の為であった
そうした過去のあるゲーチスはNが自身との親子の繋がりを戻そうとするのを利用し、Nとゼクロムとの繋がりを絶とうとした しかし、同業者という繋がりのあるサカキから、その同業者という繋がりを利用され、逆にゲーチスとのキュレムとの繋がりを切られそうになる…
その後の展開は省略するが、ここでNの「他者の繋がりを一方的に絶とうとするのが罪」という認識と、Nにその罪が返って来ている事を踏まえて改めてこの展開を見直すと、ゲーチスは自身の罪が返って来ているのだ
ゲーチスは「他者の繋がりを、利用するという形で切る」という罪と、「人とポケモンとの繋がりを絶とうとする」という罪がそのまま返って来ているのだ(Nが自身と親子の繋がりを戻そうとしているのを利用した罪はサカキが自身と同業者であるという信頼関係を利用した裏切りとして、Nとゼクロムを私欲の為に切り離そうとした罪はサカキが自身とキュレムとの繋がりを私欲の為に切り離そうとする行為として)
長くなってしまったが、つまり作中では他者同士の繋がりを切ろうとするのが罪だとされている
これらの事から、作中では罪を犯した側は犯した罪が自身に返ってくるという「断罪」という要素がある、と考えられる
そうした事情を踏まえると、Nは自身の犯した「人とポケモンを切り離そうとした」罪がラストのシーンで「断罪」として返って来ている、と言える
自分は今回のエピソードに、そうした「断罪」という要素が隠れていると感じた
4. ラストのシーンの詳細
Nが断罪の意識から自身が苦しむ事を受け入れてるのは分かったが、具体的にNはラストのシーンでどのような苦しみを背負っているのか?という部分を考えていく
ここでもう一度Nの過去を掘り下げると、Nはポケモンとニンゲンとの繋がりを絶とうとしたが、それを正しいと信じ込み、それを一方的かつ強引に押し付けようとした、という要素もある この「一方的に」という要素もNが感じている罪の一つと言える
根拠の一つとして、NはエピソードNにてトウヤから「Nさんはアデクさんに勝つほど本気だったんだぞ!」とNを褒めたのに対し、Nは「……………」と言葉に詰まる様子 どちらが正しいかをポケモンバトルの勝敗で決めていたからこそ、その一方的さに後ろめたさを感じているのだろう
Nはラストのシーンでは、ゲーチスと持ちたかった絆を(ゲーチスが切り捨てたのはさておき)アデク達に否定され、その否定された現実を受け止めている
Nに自身の犯した罪が返って来ているという現実・そして前述のNのそうした現実への受け止めから、絆が一方的に失われているという点も踏まえると、Nに、かつてNらプラズマ団によってポケモンとの絆を切り離そうとされた人間の苦しみがそっくりそのまま返ってきている、と考えた
Nがラストのシーンで罪の意識から、アデク達のゲーチスとの絆の否定に対し受け入れている(反発してはいけない、という感情)事からも、かつてNがしてきた事のように一方的に否定という思想を押し付けられてしまっている、と言える
しつこくなってしまうが、かつてNがしてきた罪が返ってきている事を踏まえ、その罪というのは、一方的な思想の押し付けである事を考えると、その思想への反発をしていた側であるアデク達によって思想を押し付けられてる形となってるのを考えると、両者(アデク達と元プラズマ団)の思想というのは正しいものと間違っているものという関係ではなく、まるで黒と白のように両者が背反し、どちらも平等であると言える
思想という話題になると必ず起こる話題(言いたくないけどSNSとかだと嫌でも目にしてしまうのは周知のお話…)だが、思想というのはいつどの時代でも、どちらかが正しいという事はなく、常に個人の感情の一つでしかない、という話である
ポケモンBWというタイトルは、あくまで白と黒であり、間違っても正義と悪ではない(そんなタイトル嫌すぎる…)
思想というテーマを持ち、タイトルは「ブラックandホワイト」 白と黒の両者が平等に扱われているのと同じように、思想もまた優劣も何もない平等なもの同士、という表れである
ただ、原作BWが触れたのは「一方的に思想を押し付けるのは危険」という部分であり、原作BWのラストのNの「黒と白のどちらも受け入れるのが理想」という部分は、そのシーン以外ではあまり目に見える形では触れられていなかった印象(単純に自分の読解力が薄い)
黒という思想を一方的に押し付けるのがダメなら、その反対の白という思想も同様にダメだよね、という話が今回のエピソードのラストのシーンに描かれていた プラズマ団の思想の押し付けが危険なのと同じように、その思想に反対する、という思想を押し付けるのもまた「同じように」危険だ、という話であり、後者は「別のプラズマ団」なのである
「別のプラズマ団」側にいるのは、アデクだけではなくBW2の主人公であるキョウヘイでもあるのだ ポケマスをプレイすると忘れがちだが、主人公キャラは他のキャラとは違いプレイヤーが動かしてきたキャラなのである
話の筋を考えると極めて妥当ではあるのだが、「かつてプレイヤーが動かしたキャラもまた、見方を変えた場合の悪の集団の一部」だ、という現実をしれっと織り交ぜていくポケマス…凄まじい…
そしてその現実を見せる為に(というとアレだが)Nはそれで味わう苦しみを味わっている…何故ならかつてその苦しみをプラズマ団を率いて他人に味わせたから…だからNはアデク・キョウヘイ・シルバーの「別のプラズマ団」に苦しめられているのだ…
…とここまではキョウヘイ達を不当に悪く言ってしまったのだが、ここからはその話を少し修正(?)する…が、その前に、かなり前述での3つの疑問について整理する
とは言っても大方疑問は解決しているのだが、「何故Nが苦しむ役だったのか」について、少しだけ追加で考察する
この疑問については「Nが罪を背負っているからその報復」という形で答え終わっているが、ストーリー上での意味合いを考えるともう少し要素が必要となってくる
黒と白という二つの平等な思想、というのを示している今回のストーリーでは、それを示す為にNが過去にした事と今Nに返ってきている事を極力同じにしなければならない
Nは過去に罪のないニンゲンからポケモンとの絆を切り離そうとしたが、その危険性はアデク達にも平等に存在するのを示す為には、N自身が今回のエピソード内では「罪のない、そこらの一般人」と同じ繋がりをストーリー上で絡めるのが自然だ それが「親子の繋がり」だ
親子の繋がりは、作中では誰しもが求めてしまう繋がりであるのをアデクも共感という形で認めており、シルバーの苦悩からも分かる通りである 親子の繋がりという一般人でも求めるものを求めているNと、それを否定するキョウヘイ達という構図は、一般人とプラズマ団という構図と酷似しているのだ (実際はゲーチスが罪人である為事情は違うが、「絆を求める側」と「それを否定する側」という構図であることには変わらない)
関係性を出来るだけ同じにする事で、この思想というテーマの一連の問題を描くための要素を付け足している このために「Nが苦しみを受ける側に立つ理由」の一つである
5. (2回目)Nの持つ理想についてと、そこから分かるNの孤独
Nは自分の持つ理想を、黒と白の混じった世界と称した
黒と白が混じる事を、アデクは「異なる意見を受け入れる」と称した 絆を重んじるNの立場を考えると、異なる意見を「受け入れる」という行為は、異なる意見との絆を保つという意味とも取れる
今回のエピソードでアデクは海岸でNに対し「異なる意見とぶつかり、受け入れ悩み苦悩する… そこに人間味を感じる(意訳)」と言い励ました
勿論人は多種多様であり、キッパリと分けられる訳ではない 数式のように人を判断しようとしたかつてのNは、たしかに人間味は薄い
逆にいえば異なる意見への一方的な否定は、人間味が無いとも言えるし、同時にそれは異なる意見への拒絶である
ゲーチスはそのような過去のNに対し、人間味を見出せずバケモノと称した そして、Nが親子という絆を持ちたいという心を、それを利用するという形で完全に理解を拒絶し拒否するゲーチスを、アデクはバケモノと称した
そしてアデクは「やはりお前さんを止めるべきだった…」と、Nの心意気を否定してしまっている 前述の通り意見の存在自体への否定は、本人との心の受け入れの拒否であり、人間味の無い行為なのである
ところで過去のNは、前述の通り数式が好きで人を数式と同じように考えようとする、ちょっと人間味の無いキャラとして描かれていた ある意味では他のニンゲンと比べると異質である「孤独」な存在と言えた
しかし今のNはどうだろうか ニンゲン達が異なる意見同士が存在する事を知り、そこから絆を重んじる性格のため、それらが受け入れる、黒と白の混じった灰色の世界を理想としている
数式のように割り切れないのを人一倍知っている、ある意味人間より人間味の深いキャラとなっている
一方Nの置かれた現状はどうなのだろうか 親子の絆を持ちたいという感情はゲーチスからそれ自体を完全に否定され、アデク達からもある意味否定されている 形はどうあれ思想の否定をどのサイドからもされてしまっている、Nという異なる色が誰からも受け入れられていない現状は孤独と言える また、「異なる意見を受け入れられなかった」サイドであるアデクやキョウヘイ達を考えると、「異なる意見を受け入れられない」というのは、Nの言う理想からは離れている、と同時にアデクの言う「人間味」から離れている
言い方は最悪だが、ラストシーンでのアデク達もまた、バケモノに近い存在だったと言えてしまう 同じくゲーチスもまた絆を存在自体完全否定した為か、バケモノと称されておりNの周りには「バケモノ」しかいない、と言えてしまう(表現が適切では無いのは承知だが、作中の表現内で一番的確だと思われるのがこの表現なのである…)
(また、ここまででかなりアデク達への批判をしてしまったが、自分はゲーチスと同じような悪、とは考えていない 後述するが、アデク達は絆の否定を強制してるわけではないが、Nはそれに逆らってはいけないと思ってる為に、結果的に強制してるようになっていると言える)
「バケモノ」しか周りに存在しないNの現状 黒と白とを受け入れている人間味のあるNは「人間」と言える
ただ一人あの場でバケモノではなくニンゲンであるNは、その意味でも孤独である
Nに課せられた断罪という枷は、絆を失わせようとする罪への報復である「孤独」という罪である…悲しい
6.何故異なる意見を受け入れる灰色の世界を理想とされているのか
今回のストーリーでは異なる意見が受け入れられている調和という状態を理想とされている それはN自身のが持つ理想、というよりはストーリー自体が持つ正義感のようなものとして感じる というのも絆を一方的に切ろうとしたNやゲーチスが、その報復を受けている事からも明らかである
「何故?」という疑問を突き詰めすぎても意味は無いと思うが、BWという作品が思想を題材にしているからだと思われる
無数にある思想のうちどれか一つが他のどれかより正しかったり優れているという訳ではなく、そのように正しくも間違ってもいないものを正しいものと主張し他者の思想を否定し潰そうとする、思想が絡む問題を描く上では、誰もが平等である事を示す為にもこの「灰色の世界」を理想とする空気が必要だったのだろう これに関してはそれ以上は詮索しても仕方ないのでここで終わる
ただ、ここで一つ重要なのはこの正義感はN本人が持っているそれと同じである事だ これがよりNというキャラの深みを増していると考えられており、物語上のキャラの立ち位置が分かりやすく見える
7.理想と対とされた存在である「真実」とは
ポケモンBWでは理想と対になる存在として「真実」が挙げられていた また、Nは自身の灰色の世界という理想を挙げた上で、「未だに世界では白だ黒だと主張されている」と漏らしている
黒と白が調和するのを理想とするのならば、それと対になる「真実」は、世界は白と黒というような色が存在するのみ、という事だろう
(また、作中でNがその真実から唯一離れた存在なのか、またはそういう意図で描かれているのか、については不明だが、個人的にはその可能性もありつつ、「真実」としてNもまた例外ではない事も示されてる可能性もある…というのもN自身にも正義感はあるのが描写されているからである… ただ、これはあまり関係ない話でもある)
N本人はともかく、Nの周りは白だ黒だと騒がれているという現実があるのが、真実なのだろう
8.アデク達は本当に「悪い」のか?
これまで散々アデクやキョウヘイを悪く言ってしまったような気がするので、彼らのファンの中でこれを真面目に読んでる人がいたら、その中の一部の人は怒り、その矛先がこちらに向かってきそうな予感がするのでこれを書く
自分は実際彼らを悪い、というかゲーチスや旧プラズマ団のように身勝手な欲求を押し付けている、とは到底思っていない、というよりそもそも作中ではその真逆である事が描かれている
キョウヘイは、同じくBW2の主人公(バトルサブウェイのマルチバトルの味方…)であるメイという存在からも察するに、共鳴という言葉が名前の由来だと思われる
今回のエピソードでも、Nには人一倍共感する程の感受性を持っているし、「Nさんが幸せである事を強く望む(意訳)」と宣言している その上、冒頭では「被害にあった人のことばかり考えて、Nさん自身のことを考えていなかった」と、自身の主張を押し通しすぎてしまうのを自身の優しさで抑える描写があった この事からも、Nと同じように様々な意見を取り入れられる人物だと言える
同様にアデクも、海岸のシーンで「ワシには孫がいる… その孫が仮に悪の道に進んだとして、信じてくれと言われたら、ワシは信じてしまうかもしれん…」とNに話している
親子の絆はどんな時でも大切にする気持ちを、深く理解したこの言葉もまた、Nと同じように様々な意見を取り入れられる人物なのだ
だから間違っても自分勝手なキャラではなかったのだ
だからこそ今回のエピソードの最後のシーンで、ゲーチスとアデク達の両者が黒と白というサイドで分かれた、平等に描かれている事に衝撃を受けた
かたや自分の私利私欲の為に絆を完全否定し奪おうとしたゲーチスと、かたやNの心を受け入れようとしたアデク達
両者の理解度というのは甚だ違うというのに、最後のシーンでは平等に描かれているように見える… ここが凄まじい点である
ただ、これは明らかに最初に書いた方が良かったのだが、アデクやキョウヘイはNの「親子の絆」を否定はしているが、恐らくゲーチスのようにそれを強行はしないだろう
ただ、Nには罪の意識が存在する以上、一言言えば何か変わりそうな場面だったラストのシーンでは、「これ以上求めちゃいけないんだ」と、自身の罪の意識から、自分にその言葉を課している場面から察するに、アデクやキョウヘイはゲーチスと同じように強制的に思想を押し付けてるというよりは、N自身がアデク達の思想に逆らうべきではない、と思ってるからこそ、結果的に強制的になってしまっていると言った方が正しい
このような描写になったのは、思想というものが持つ平等な危険性を見せる為であり、何と言ってもNの持つ断罪の意識を描写する為であろう そしてこのような歯痒いままの終わり方になった(何よりも他のエピソードと違い悲しいBGMのまま終わった事からも顕著)のは、Nが持つ断罪の意識を示しているだけではなく、実際に断罪されている事を示しているのだろう
この項目を終える前に、「じゃあアデクさん達はどうすれば良かったのか?」という、自分に向けられそうな疑問について書く
特に前半の項目で偉そうにアデク達を批判しているような表現を使ってしまったような気がするが、これはむしろアデクさん達が優しく理解力もあり思慮が深い為に起きた悲劇だと思っているので、アデク達への批判の気持ちは無い
ただ、物語を踏まえた上で強いていうならば、Nという異なる意見が受け入れられる、という事が理想だったと言える ただ、今回のエピソードのラストがあのようになったのは、やはり思想が持つ要素を表す為であったり、Nの断罪の意識や断罪の描写を描く為であろう
今回のエピソードにトウヤが出てこなかったのも、そうした演出にする為だろう(単に出てこなかった説もあるが、あまり重要な問題でも無い)
9.補足
ここでは細かいストーリーの要素や、説明する最中で飛ばした要素を少し拾っていこうと思う
・物語中でシルバーがもつ役割とは?
シルバーはNと同じく、悪の組織のボスを父親に持つという共通点で出てきたキャラだが、まず、彼はNの優柔不断さに怒っていた節があった
彼はNと境遇が同じでありつつ白黒ハッキリしている為、「過去のN」のような立ち位置のキャラクターと言える 現在のNとの対比となる存在である
あとは親子の絆という話に関して、キョウヘイに対し「皆が同じように育ったと思うな…」「馬鹿な親を持つと苦労するんだよ…」と言っている事からも、人には様々な背景があり異なった思想も自然とできる事を示す役割の人物と言えるだろう
余談だがサカキは息子であるシルバーの成長した姿を見て、「良いものを見れた」と言い残して、特にそれ以上の成果は無かったものの満足そうに立ち去っており、やはり親子の絆はどうしても残っている事が描かれている
・プラズマ団が罪のない人間から絆を奪おうとしたのと、アデク達がNの持つ親子の絆への欲求を否定したのは、被害の種類は同じなのか?
何言ってんだと言われそうな疑問ですが、簡単に言えばプラズマ団とアデク達は本当に同じとして見なして良いのか?という話
結論から言えば、心への否定という側面では両者ともに同じと言える アデク達は思慮深く思いやりもあり、Nの話はNが思い詰めすぎずに内心を暴露すれば解決出来た話ではあるのですが、やはり言い返せない人間が強引に思想を強制されてしまっているという点では同じなのである(アデク達は強制してはいないけど、Nのような罪の意識がある人は自分から強制されに行っちゃうんですよね… アデク達の思想が持つ危険性はプラズマ団のそれよりはずっと小さいと思うが、実際に危険を味わう側からすると平等であり、それを描いている)
重要なのは否定された側の状況はどちらもほぼ同じである事だ
片方は罪のないニンゲンで、もう片方は親子の絆を欲しているニンゲンである
どちらも傷つけられれば同情されるような側の立場である
・原作のラストのシーンについて
BW原作は高評価であった一方、賛否両論でもあった作品だった
否の要素は様々だが、その一つに「悪役が好き勝手した挙句満足そうにどこかに立ち去ってしまい、話の整理がついていないというかカタルシスがない」というものがあった
そうしたカタルシスへの是非も一つの焦点であったのが原作BWだったが、やはり前衛的だったのか伝わり切らなかったように思える(エピソードデルタを思い出してしまう)
しかし、そもそもNはBWでは従来の悪役としては描かれておらず、それは従来の悪役として描かれているゲーチスとの対比にもなっているので明らかである
なのでカタルシスという形での他者からの断罪は無いのと今回のエピソードを踏まえると、そもそもBWのカタルシスというのは、「Nが一人で立ち去った事」なのでは無いか
絆を奪おうとした自分への贖罪として、ゼクロム以外との繋がりを切ったという話がBWだったと言える
その上で改めて今回のエピソードを見直すと、一度は断ち切ったトウヤやアデク(やそれ以外のキャラ)との繋がりを、孤独でいるべき(とNは勝手に思ってる)であるNは、その繋がりに感謝しつつ、彼は自身への贖罪は終わってないと思ってるので、その絆に逆らってはいけないという意識があるから、あのような結末になった…と言える
・ゲーチスの「人とポケモンを切り離す」という絆への否定と、親子の絆を利用する、というのは同じく「否定」として描かれたが、本当に同じ事なのか?
同じ事なのだろうけど、「親子の絆」の否定というだけで作中の悪という位置付けになっている訳ではない事を書いておく
エピソード中でも一貫している事だが、「悪」とされている事は絆を切る事ではない 異なる思想に対し、まるで黒に対し白を強制するかのように違うものを強制させる事が悪とされている
厳密にはトレーナーがポケモンとの絆を切るのが悪というより、他人であるトレーナーとポケモンとの繋がりを切ろうとするのが悪とされているのである
ゲーチスはただ絆を切ろうとしただけでなく、Nの絆を持ちたいという欲求すらも否定したので悪として描かれている、と考えられる
10.ゲーチス等のキャラの魅力の出させ方
ここまでを振り返った訳だが、最後はストーリーの深部というよりは、直接的な感想に立ち戻って書こうと思う(この記事のタイトルは感想だったのに今まで書いてなかった…)
そもそもポケマスというゲームは、原作のキャラをそのまま持ち込もうとしており、新たに脚色するのは控えており、キャラ同士の新たな絡みはあるとしても出来るだけそのままの状態を保とうとしている そこが人気である理由の一つであり自分も好きで尊敬している部分である
そんな中ゲーチスがパシオに来るという情報は、ユーザーの皆も流石にそのまま参戦するということは難しそうに思えて、ゲーチスが改心してしまうのでは…という僅かながらの不安を抱えていた
そんな中迎えたストーリーのリリース そんな不安を一蹴するかのように、ゲーチスの開幕のセリフの「私と関係を戻してくれませんか…?」という紳士風の演技からの皆知っての通りのあの様子 ゲーチスへの不安など感じてる場合では無かったという、安心を通り越した別の感情が渦巻かれたストーリーであった
しかし、ゲーチスのヤバさの描写はここだけでは収まっていない 皆が知っていたゲーチスのヤバさの描写に感動した部分は、最初の騙すシーンと最後のNへの発言だけでは無かった筈
つまり、サカキからキュレムを奪われそうになるシーンである
敬語が抜けて本気で怒っていた所だけではない要素がある それはサカキからキュレムを奪われそうになっても狼狽えなかった事である
ポケマスは元来ポケモンとキャラクターとの絆を、1対1という関係性で強く描写しており、まるで家族のような、通常何よりも失いたくない絆として描かれている 原作以上にその意味合いを込めて作られているのは、作品の方向性からも明らかだ
シロナ=ガブリアスだったり、ダイゴ=メタグロスだったりと、まるでアイデンティティのようにさえ描写されている
アイデンティティのように何よりも失われたくないもの、というのは、本人の生きる目的とさえ言える
そんな中、同じく冒頭で「私に残っているのはこのポケモンだけです…」とキュレムを出すシーンは、他のキャラと同じようにポケモンを自分のように大事にしているシーンに見える
だからこそサカキに自分のかけがえのない絆であるバディーズを奪われかけたシーンは、その話の流れを考えると、N達に助けてもらった際には自身に降りかかる本当の惨劇から守ってくれた、と認識する為、それなりの言葉を言う筈である
しかし実際は都合の良い存在が自分を守ってくれたという認識である キュレムもまたNと同じように、自身に都合の良い力の一部でしか無かったという話であった
ゲーチスは他とは違い一際ヤバいキャラだった(普通の感想…)
11.感想
え?!今になってそのタイトル?!という話だが、今になって感想を書く…
本当に白と黒とで、とことん対照的に描かれている凄まじいエピソードだった キャラの魅力の描写は勿論、思想というテーマへの答えを描き切り、尚且つキャラ同士での不自然なく綺麗に収めた今回のストーリーは、一際違った面白さがあったので、こうして思わずブログにまで感想を書いた
ストーリーのクオリティに、毎回ただ驚かされるばかりである…
他にも感想とかあったら語りたいですね というかいまだにこのストーリーの他人の意見を聞きたいくらい
面白い感想あったら出来るだけ見つけたいですね
以上