ドサイドン@こだわりハチマキ

ここは ただの びぼうろく

ORASのテーマが「共存」なのを踏まえてORASを振り返る

タイトルの通りポケットモンスターORASのストーリーを、作品が持つテーマ「共存」と共に振り返ろうと思う。とはいえ自分はORASのテーマが「共存」であるソースは知らないのですが…() 

 

本題に入る前に、まず自分はORASという作品が本当に好きだ。ストーリーの本筋は分かりやすいのにどこか隠された部分や要素があるような雰囲気があったり、ヒガナのエピソードのような本題から謎めいたストーリーがあったり、要するにどことなく隠された謎が存在するような雰囲気に、発売から7年が経とうとしている今でもワクワクしてしまう。単純に自分の理解力が乏しいのも理由の一つかもしれないが…

 

そんなORASという作品について度々気になり、自分は過去にその場の勢いで気になった部分をブログに書いていたが、どれも長すぎて整理がついていなかった。今回もおそらく同じように長すぎる文になると思うが、せめてORASという作品を自分の中で一区切りつける為にある程度整理した内容で語ろうと思う。(出来るとは言ってない)

 

長い前置きはさておき本題に入ると、ORASという少なくとも自分から見ると色んな意味で謎めいた作品は、「共存」というテーマを踏まえると大筋が紐解けると感じた。せっかくなのでそんなORASという作品を、緩くテーマに沿って考えていこうと思う。恐らく文は全く整理されてないと思うが了承願いたい。そして本記事はまるで事実ベースであるように書いてあるが実際は大半が個人の予想である事を大きく強調しておく。

 

また、「共存」というテーマと共にORASを振り返るのは、既に大勢のファンによって行われており、このブログより具体的にかつ分かりやすく振り返られており、本記事は独自性があまり無い個人の備忘録程度の話である事も記しておく。

0.共存とは

今作の「共存」というテーマについて、「共存」はどのような意味で使われているのか?

 

根拠は後にして、軽く結論だけ先に触れておく。

 

それは即ち「互いに尊重し合い互いに十分に生きる権利を持つ関係性」

 

と思われる。別の場面であまり意味合いが変わるような単語でもないが、一応具体的に記しておく(具体的でも無い気がする…)

 

1.0 ストーリーの振り返り 

それはさておき、ここからはORASのストーリーを、いくつかシーンを取り上げて「共存」というテーマと共に振り返る。また、所々ポケモンマスターズEX(以下ポケマスEX)のストーリーを振り返ると補強される話があるので、時に応じてポケマスEXのストーリーと共に振り返る。

 

1.1 メインストーリーと「共存」

 

大まかなストーリーは「グラードンカイオーガを目的の為に利用しようとしたマツブサアオギリ(以下ボス達)がグラードンカイオーガの暴走を止められず世界が危機に晒されるのを主人公が止める」というものであった。

 

「共存」がテーマなのを踏まえずともボス達は人々に、人々が美しい自然を無造作に壊していったと主張し、幼少期の友達であるポケモン(恐らくジラーチ)の為にも美しい世界を取り戻そうとして活動していた。

 

テーマ「共存」を軸に考えると、まずボス達の主張は人々が自然との共存を止め、一方的に利益を貪る状態であると主張していた。しかし最終的にボス達は目的に失敗し、制裁という形で罪を被る事になった。ここの部分をポケマスEXの専用ストーリーを含めて見直していく。

 

ポケマスEXでは再び脅威となったグラカイをボス達が制御し、あわよくば自身の力にしようとして活動していたが、ユウキやハルカの影響で冷静になり、元はグラカイは普通のポケモンであった事を思い出し、「普通のポケモン」として接しようとした結果バディーズとなり、(その後余談を挟み)終わる。

 

ここからざっくりと考えると、ボス達は確かに人々に「共存」が出来ていないと主張していたが、ボス達はグラカイ達を自分の力のように一方的に利用しようとしており、結果的にその事に制裁が回るようになる、と解釈できる。つまり共存せず一方的に支配しようとした結果制裁が回ったと考えられる。

 

大まかに察するにORASというストーリーは共存する事が正義となっており、逆に一方的に踏みにじるような独占は悪とされている、と思われる。しかし、この話はいまいち根拠が薄い。そこで同作に同じく入っているエピソードデルタを振り返る。

 

1.2 エピソードデルタと「共存」

 

(過去にヒガナについて長々と記事を書いたような気がするが、内容が無い上読むに耐えないので割愛させていただく…)

 

という事で結論から言うと、ヒガナはホウエンを守る為ボス達と同じように伝説のポケモンを利用し目的を果たそうとした。しかし結果的にボスと同じように目的を果たせず、プライドを傷つけられた。

 

ここでポケマスEXのヒガナのストーリーも振り返っておく。細かい話はさておきレックウザと一人で向き合う事を決めたヒガナは、熟考の末、「空の中一人で寂しくない?」と、ポケマスEXのボス達と同じようにレックウザを1匹のポケモンとして向き合い、そして初めてバディーズとして認められる。

 

ポケマスEXはこれに限らず、伝説のポケモンを普通のポケモンとして接するシーンが数多く見受けられ、そのような描写に意味を持たせているとも考えられる。つまりボス達やヒガナのエピソードからも分かる通り、対等な関係でいる事に正しさ(正義)を見出されていると思われる。

 

「伝説のポケモンも1匹のポケモンとして接する」事を正義とされる場では、つまりこの作品での「共存」は、どんな存在にもきちんと1つの命として尊重する事を同時に意味すると考えられる。(ORASに限らず大体その意味は含まれると思うが、ORASではその部分が強調されているように感じた)

 

最後に改めてボス達の話に戻すが、ボス達のストーリーに込められた意味を示す為ヒガナのエピソードを持ち出したのは、ボス達がグラカイと持つ関係性を、ヒガナもまた同様にレックウザと持っているのではないかと考えたからだ。つまりマツブサグラードンアオギリカイオーガという関係性でヒガナとレックウザという関係性を持っていると考えた。もちろんこれは予想でしかないが、ストーリーの形としては自然であり、実際同じような関係性を持っている為そう考えるのが良いと考えた。

 

1.1、1.2をまとめると、ORASのストーリー全体は「共存」を「伝説のポケモンも一方的に利用するのではなく普通のポケモンとして接するように、互いに尊重し接する」という意味合いを持ち、それを正義とされている。

 

大まかさな全体のストーリーの振り返りを終える前に、言及しておきたいことがある。それは罪と罰の関係性についてである

 

長々と語っても意味はないので結論だけ書くが、このゲームの世界では何か「悪い」とされる事をすると高確率でその悪い事が自分に返ってくるという関係性が存在するということである。

 

フラダリは他人に死を望んだ結果自分が死ぬ事になり、AZは愛するポケモンに無理矢理生きる事を押し付けた結果自分が生き続ける事になり、ボス達は美しい世界の為に他人の大切な物を奪おうとした結果美しい世界が失われてかけてしまう。

 

ポケマスEXでもそれが顕著に現れていると考える。ゲーチスは他人に付け込みポケモンとの絆を奪おうとした結果、サカキに付け込まれキュレムとの絆を奪われかける。Nは自身の罪の意識もあってか、絆を奪おうとした過去と親との絆を取り戻せない状態になっている。

 

考察の域を出ないが、かなり顕著だとも思っている。

 

思い切ってこの仮説を真として話を進めると、まずボス達は人々との共存を無視し大切なもの(土地)を奪おうとし、結果的に同じ事が自身に返ってくるという罰を受けた。ではヒガナのエピソードはどのようなものだったのだろうか?それはヒガナが受けた罰から考える事が出来るかもしれない。

 

ヒガナは自身の計画に甘さがあり、結果に結びつかなく絶望するという状態に陥る。裏を返せばヒガナは他人の計画の甘さを(執拗に)責めていた。

 

これだけだと判断材料が少ないので、もう一度ポケマスEXを引き合いに出す。ヒガナは心を入れ替えレックウザを1匹のポケモンとして受け入れ、心を通わせバディーズとなった。つまり裏を返せば原作ではレックウザの心に向き合わず、目的を果たす為の道具として見ており、その罪を罰せられたと考えられる。

 

(余談だがヒガナの「目的」とはホウエンを守る事だけだと思われがちだが、自分はそれとは別に彼女は自身が正しいという事実に飛びつく事もあると予想する。仮にホウエンを守る為だけならば時空転送機を壊す理由は無く、終始高飛車な態度で接するのはかえって無駄だからである。ホウエンの平和と同様に優越感を欲していたと考えられる。また、ボス達も似たような節は存在する。彼らは対話を行わず破壊活動を行なっているからである。ヒガナは幼少期、姉と違い伝承能力は無いにも関わらず姉が亡くなった事で姉が果たす筈の使命を託される事になり、そうした使命がもたらすプレッシャーや特別感は、ヒガナの性格や振る舞いに顕著に現れていると感じられる。幼少期から使命を背負う苦しみは同じく一族の末裔の婆の話からも分かる)

 

1.3ではホウエンの「共存」がテーマと思われる話を数個程度簡単に纏める。

 

1.3 ホウエンの「共存」が関わる話

 

・まず有名所としてシーキンセツの話である。大まかに説明すると環境破壊を生む産業をしていたとある(ブラック)企業が内部告発で解散に追い込まれた話である。離職に追い込まれた社員達の苦悩も同時に描かれており、人と自然との共存の難しさが表されている。そして同時にポケモンの生体エネルギーから作られる∞エナジーで大躍進した企業がこの時生まれ、それは現在大企業になるまでに発展したのも忘れてはいけない。その企業の名前はデボンコーポレーションである。

 

・トクサネ宇宙センターで開発された時空転送機は、隕石を別空間に移動させる技術だったが、技術がまだ進んでいないホウエン地方(RSE?)に隕石を落とす危険性があった,

 

別世界との共存をすべきか否かという話であり、当然普通の理解力を超えた話である。そうした危険性を考慮していない事をヒガナから「想像力が足りないよ」と諭されるが、どこまで真剣であろうとそのような想像力は持てない…。というよりヒガナの行動はそうした危険性を「知っている(考慮出来る)」という優越感欲しさの行動と思われる。

 

続きは1-4で取り上げる。

 

 

ホウエンのご当地ヒーローの事をどなたかが取り上げていたのを覚えている。話自体はあまり覚えていないが要するにホウエンご当地のマスコットキャラ的ヒーローは別のキャラに人気を奪われてしまったという話である。致し方ない話である…。

 

 

 

1.4「共存」の難しさ

 

ここまでを振り返るとボス達やヒガナは目的の為伝説のポケモンを道具として利用しようとし、それは悪の行為だと作中で語られ罰が降り注いだ。シーキンセツは環境破壊した罰が結果として降り注いだ。

 

しかし同時に、人間と自然は完全に「共存」しているとは言い難い事実もある。そして何より人間とポケモンが共存関係とはとても言えない(一部の話)事実がある。ポケモンからの∞エナジーの抽出はわざわざ前作のXYでフレア団のしたっぱから「これは子供には見せられないわ…」と辛そうな声でつぶやかれている。しかし現状そのエナジーを主に使うデボンコーポレーションに「罰」は与えられていない。

 

 

デボンコーポレーションは逆にお咎めが無い理由がある、という事かと言うと違うと思われる。ボス達やヒガナはあくまで一方的な略奪であったので咎められており、今後デボンや、ボス達の言う自然破壊をする人間達に「罰」が来る可能性は十分ある。

 

しかし、∞エナジーは実際クリーンなエネルギーである事を売りに出されており、結果としてシーキンセツは悪者となり解散した。裏を返せばポケモンの生体エネルギーを使わなければ自然破壊は止められなかったのである。

 

また、1-3で取り上げた時空転送機の話は、どれだけ苦悩して共存しながら困難を克服しようとしても結局不可能であった話と言える。

 

ここまでの話から、どれだけ平和的な共存を求めても、というか何を求めたとしても、結局何かは犠牲になるのである。

 

デボンにボス達と同じ罰が与えられない理由は不明だが、ここで一つ個人的な予想を1-5に書く。

 

1-5 「共存」とは

 

人間に限らずポケモンも誰しも個人的な欲望があり、それを各々叶えようとする。作中の大多数の人物はそれに当てはまる。

 

まず、共存を訴えたアオギリマツブサも人々との共存はせず、自分達が正しいという事を証明しようとして破壊を試みる。ヒガナは自分自身だけは共存の意味を分かっていると自負していたものの実際の行動は一方的な(ここではメガストーンの)略奪であったり、優越感を満たすための行動が多い。

 

両者とも自身は共存が出来ると自負しながらも結局は自分本意の行動であり、彼らが責めた「人間達」の行動と変わらない。最後は伝説のポケモン達を道具として扱おうとする、「共存」から離れた行動をした罰を受ける。

 

デボンコーポレーションは共存を自負してはいないが、彼らと同じように目的の為に何かを犠牲にしている。アオギリマツブサが主張した通り人間達は目的のために自然等を傷つけており、これもまた共存とはいえない。

 

今作に限らず心から共存を欲する人間は出てきておらず、皆心の底では自分の為に行動しており、それはダイゴもアオギリマツブサもヒガナもクスノキもツガも変わらない。そしてダイゴと同様に皆も必死に生きている。

 

本ストーリーでは「自分達は共存が出来ている」と主張したボス達やヒガナが、伝説のポケモンを道具のように扱った事でその罰という形で共存が出来ていない事を示していたが、他のキャラクター達も同様に共存は出来ていない。あくまでボス達やヒガナは人が共存が出来ていない事を示しただけである。

 

誰しも自分の目的のために動いていると書いたが、そもそも「目的」とは自身の幸せの為の行動であり、元を辿れば「生」の為の行動と言えるだろう。人もポケモンも皆自分の「生」を第一の目的として動いており、その為には誰しも犠牲を出しても良いと判断した時には犠牲を出す。3000年前の戦争の時から何も変わってない、というヒガナの忠告はある意味正しかったのかもしれない。(さっきからヒガナクラスに口が悪くなっているのをお許し願いたい…そんなつもりはない…)

 

作中では隕石という、自身の命を脅かす存在が出てきた際、ヒガナ含め誰もが自分の命の為に必要な犠牲を作ろうと考えた。メインストーリーではグラカイの暴走という自身の命を脅かす存在がもう一つ存在した。

 

知っての通りどちらも何の犠牲も生まず解決したが、解決したのは主人公と完璧なスーツとレックウザである。

 

主人公は突然命運を託された後、感情も出さず使命を全うした。他の人間らしい感情によって動いていないのを明白にする為に、レックウザをゲットしヒガナを倒した後はテキストを読まないまま既にレックウザと共に空を飛んでいたのは、そうした事を示す理由があったのかもしれない。

 

ここまでの事を踏まえると、誰しも自分の「生」の為に動いており、それに反さない範囲であれば犠牲も生む。作中でのデボンかシーキンセツを選ぶように自然かポケモンの命のうちどちらかを犠牲にすると迫られた時、強い支持を集めた側に軍配が上がる。特に「生」を脅かす事が起きれば尚更である。

 

いかなる時でも犠牲を全く生まないようにする為にはORAS無感情主人公と完璧なスーツとレックウザのような非現実的な存在がいなければ達成は出来ない。

 

そうでない限り、この世界は力が強い側は生き残り、反対に、例えば支持を集められなかった側は犠牲になる…といったように、まるで弱肉強食の世界である。

 

 

 

 

 

 

まるで別キャラに追い出されたホウエン地方のご当地ヒーローのように……

 

 

 

 

 

個人的な予想だが、伝説のポケモンによる罰は、共存していない状態を示す存在であったとも言える。作中のテーマのヒントのような存在であったと予想する。

 

ORAS発売前に「グラードンカイオーガは本当は争っていない」と、とある媒体によって判明したのも、今となってはこうしたテーマへのヒントだったのかもしれない…

 

 

1.6 追記

今作を別の視点から考えると、ヒガナには罰が返ってきたが、その罰の大きさはプレイヤーの想定よりは小さく、実際にしでかした事より心情の部分への罰という印象を受ける。自身のプライドの為に共存と反する事を行おうとして窃盗等を行なったが実際はプライドの部分に置いての罰のみだった。

 

ダイゴもまた、知らない内にポケモンの犠牲の上での利益を得てしまっていた為、罰が返ってきても不自然では無いが実際は自らチャンピオンの座を退こうとする事への仄めかしに留まった。

 

今作の「罪」への罰は総じて罪を犯した本人にかかったというより、罪を生んだ行動によって目の前で起きた事を認識する事で「罰」となっている印象がある。

 

この罪を比較すると、「共存」に失敗した人への罰は、結果的に実害が無いと言える。この「罪が皆平等に小さい」事から、人は皆形はどうあれ、どうしても共存では無く等しく身勝手に生きているという事であり、それを冷笑する為のストーリーでは無く、ただどうしようもない事実として有る事を意味していると思われる。

 

どのような思想であろうとも根本は同じく個人の身勝手な感情である、という方向性は、ある意味思想の平等性を説いてるようにすら感じる。

 

ヒガナもダイゴもデボン社も、誰しもがアオギリマツブサと同じように共存に反する身勝手な行動を等しく行なっているから、その意味も込めて「自分の身勝手さを気づかせる」以上の罰は無いのでしょう。

 

対比として前作のXYのキャラであるフラダリやAZは、片方は未遂でありながら罪は全て自らに返ってきていた。この両極端な2作品を比べる事で、罰の意義について考えるきっかけになっていたのでは無いだろうか。XYのように妻がそのまま返ってくるのであれば、特にデボン社に関しては…考えない方が良いかもしれない。

 

「例え身勝手な行動で周りを苦しめたとしても、それは生き物皆が生きる為に同じように行なっている事であり、それへの罰はそうした自分の姿を見つめ直させる事に留まる」というORAS特有の価値観は、「共に生きる」という事について研究し尽くした末の物であり、敢えて少しズレたこの価値観をプレイヤーに見せる事で、生きるとはどういう事かを見せていたのかもしれない。

 

………とは言ったものの製作側は普通に罰の大きさはこの程度が十分と考えているとも言えて、そこの部分をあまり意識していない可能性が高い。あくまで自分の印象に過ぎないのでそもそも意味のない話である可能性が高い。

 

次に、隕石をレックウザと共に壊した主人公について。

 

ヒガナ、ボス達は必死に共存の社会を目指し、ヒガナは特にそれにプライドを持っていた印象があったが、彼らもまたある部分では共存と真反対の部分があり、結局共存を問う「資格」は無かったとされた。これは同じく共存する社会を好いていたダイゴやデボン社もポケモンの生体エネルギーを利用してエネルギーを生み出したり、別次元の空間にいる人間への被害を考えていなかったのと同じである。(自分の最愛のポケモンが死んでほしくないからと最終兵器を使ったAZと同じなのかもしれない)

 

話を隕石破壊に戻すと、ヒガナやダイゴ達が生んだ案は、そのどれもが共存から反する案であった。全ての生き物が共存(ここでは生存)出来る案は一体なんだったのだろうか?理屈だけを考えるとレックウザと心を通じ合わせた後に伝承者からガリョウテンセイを覚えさせて貰えば全部解決のように思える。しかし実際はレックウザが「いんせき」を食べなければメガシンカは出来なかった。この「いんせき」はどのような意味を持つのか…?

 

ヒガナが連れてきた主人公が偶然持っていた「いんせき」が無ければ解決出来なかったという話を考えると、この「いんせき」には、他人の思想や心情など関係無いただの無機質な理不尽性を感じる。

 

また、レックウザが隕石を壊す事は皆が全員生きられる事に繋がり、逆に隕石を壊さなければ(例え転送しても)全員は生存出来なかっただろう。つまりこの「いんせき」は全員生存のキーである。

 

共存から反する事として、ポケモンの命を利益として奪いムゲンダイエナジーを生み出す事が挙げられる。つまり「共存」は全員が真っ当に生きられる関係性を指し、それは互いに尊重するだけでは為せられない事である。

 

誰かが隕石破壊の為にレックウザを呼び、道具としてでは無く互いに尊重し合う関係としてレックウザに頼み込む…という事をしてもレックウザメガシンカをしない。誰もが生きたままで困難に解決するという事は、例えば偶然いんせきを持った主人公が駆け寄っているような奇跡が起きない限りは起こり得ないのである。

 

 

そうでなければポケモンと別空間の次元の世界を犠牲にしなければ生きる事は出来ないのである。それは生物が別の生物を食べなければ生きられないのと同じように…

 

「生」を維持する事の難しさを、エピソードデルタでは過不足なく描き切ったと断言出来る。「共存」の持つ特性を全てこのORASで描いたのだろう。

 

1.7 追記2

既に記事で山ほど触れた部分だが、ORASはつまるところ人間やポケモン達等の生き物を全て同じように描いていると思われる。理由は後述するが、自然や共存を描こうとした作品としては、まさしくそれらしい描き方に思える。

 

これまで書いた通り、ダイゴもデボン社もアクア団もマグマ団もヒガナもその他一般市民も全員、共存の為に生きてはおらず深い所では自分の為に生きている、と考えた。

 

そんな「同じ生き物達」の中から、自分は他とは違うと言ったり、何か嘆いたりするのは現実的であり、同時に本当に違う事は無く、結局は皆同じという結末になる。

 

そうなるとボス達が辿った結末は身勝手な行動への罰とも捉えられるが、「ボス達は共存の為に行動してる訳ではなく、もたらされる結果が共存になるはずが無い」というメッセージの表れだったのかもしれない。実際にもたらされたのは共存とは真反対の理不尽な破壊であるのも同様の事柄と言える。もっともその結果通りになったのは罰と言えるとも思うが。

 

ヒガナはダイゴ含む周りを、戦争で罪を犯した人間と同じだと糾弾したが、自身もまた深い所で共存を目指してる訳でもなく、「世界を救う継承者」という立場になろうとしたかったのであり、レックウザにその願望を載せていた為、まずその欲を見透かすかのようにレックウザメガシンカしなかった。「ねぇ、してよ! メガシンカ しなさいよ!!」というセリフは、ヒガナのレックウザに対する見方が共存の対象ではなく道具としての一方的な利用だった事が明確に表れていると思われる。

 

奇跡的にメガシンカをし、最終的にヒガナを継承者に選ばなかったのが、「共存を目指していない」ヒガナの心を見透かしていた、と考えられる。

 

奇跡的にメガシンカしたのは、前述の通り共存自体奇跡が起きなければ不可能という事の表れと思われる。

 

ではそもそもホウエン伝説はどのような存在だったのか?(今更…?)

 

簡単に書くが、ホウエン伝説を周りの人間は力の象徴としてしか見ておらず、共存とは言い難い。そもそもグラカイに関しては互いに戦ったという伝説は無く、そういった伝説は「共存とは言い難い周りの感情」から生まれたとも思われる。

 

グラカイの時もレックウザの時も、もたらされた結果は全て当事者(ボス達やヒガナ)の心情を表している。気に入らないからと周りを力で封殺しようとしたり、継承者になりたいだけの願望や、その為に伝説達と共存ではく一方的や利用をしようとする目論見を…

 

全て本人に返ってくる形になったのは天罰のようだが、結果は自業自得とも言えるかもしれない………

 

 

 

 

1.7 総括

 

いや〜ORASはやはり凄い。作品のテーマによりつつ、それに沿った登場人馬達の人物像が多種多様で素晴らしかった…。

 

既に大体感想のようなものは書いたしこれ以上書く内容が思いつかず、既に眠いのでこれにて唐突だがおさらば… 恐らく気が向いたらここの部分を少し書いておく。

 

ではまたの 好きなORASを大体全部振り返られて満足です。ちなみにミツルくんが廃人化したのもテーマに沿ってるかと思いましたが全く結び付けられなかったので分かりませんでした()

 

この作品に限らずストーリーというのは本当に難しい!またいつか考え直せたら整理して加筆したいですね。まだスッキリと踏み込めてもいない気がします。

 

 

記事の最後に書くのも少しおかしいと思いますが、ORASという作品が好きな人の意見がみたいですね。自分はいまだにORASが一番好きな作品なので…

 

それにしても結局同じように長く読みにくい文になってしまいましたね…描き直すにしても同じように読みにくくなるし、描き直そうとは思わないし… しかしこれくらいがブログとしてちょうど良いのかもしれませんね