ドサイドン@こだわりハチマキ

ここは ただの びぼうろく

ポケマスEXのイッシュ編 (悪の組織編)の感想を、今までのイッシュエピソードと原作から一部振り返って語りたい

時間的には少なくとも24時間以内にパルデア地方への入学をする方々が多い時期であり、ポケマスEXのイッシュ悪の組織編完結から数日経った今ですが、非常に語りたくなってしまったので語ります

 

ゲーチス編の感想は自分は頭がフワフワした状態で書いていたので、完全に怪◯書紛いのものになってしまって、読み返すのも辛いですね…()

 

本当に素晴らしいと思ったので、また怪◯書が出来上がってしまうかもしれないが、取り敢えず備忘録として書きたい欲があるので、パルデア入学式の前に勝手に感想を書いちゃいます!

 

ポケマスEXの悪の組織編イッシュのストーリーや、ホームボイスからのネタバレを含むので閲覧には十分なご注意をよろしくお願いします。また、全ての内容は単なる根拠不十分の推測である事を強く認識していただけると幸いです。

 

①エピソードの全体像

 

エピソードの内容は各自で見てもらうとして、まず今作のエピソードは、

N、ヒュウ等を含む様々なキャラクター達の成長

が主軸だと思いました。その上で今作のエピソードの要素は複数あると思っていて、それは

 

・上記の通りNやヒュウ達の成長

・悪い事をすれば悪い事が返ってきたり、良い事をすれば良い事が返ってくるといった、「因果応報」の関係

・原作のテーマである「思想」の部分への追及

 

という3つだと思います。2つ目は何言ってだと思われそうですが、一旦話を進めます()

 

それぞれを軽く語っていこうと思います

 

まずはNやヒュウ達の成長

 

「思想への追及」の部分にも関わると思いますが、主軸なので話を進めますと、まずBW/BW2を通して、Nという人物に注目すると、まずNは原作では幼少期に様々な特殊な経験をする中で優しい少年に育ち、特にポケモン等への繋がりを尊い物と認識し、同時にゲーチスとの親子関係も尊いものと認識し、多大な価値を見出すようになりました。

 

その中で(恐らく)ポケモントレーナーを、ポケモンに無理強いをする残忍な人間達であると(ゲーチスに吹き込まれたか何かで)認識してしまい、若い故の知識不足等で気持ちが先行してしまい、(価値を守る事こそが自分を自分たらしめる事と認識したかはさておき)ポケモントレーナー達を差別し非難し引き剥がそうとしました。

 

(既に怪文書感が出てきた…!)

 

Nは自分の思想が、トウヤ(達)に負けたからではなく、トウヤ(達)の姿を見て、歪み間違っていた認識であった事・守りたかったポケモン達を自分のそうした欲求(や知識不足)が原因で傷つけてしまった事を悔い、自責の念を抱き始めました。

 

BW2は一旦省略するとして、イッシュ悪の組織編以前のエピソードでは、ゲーチス編では親子の関係を取り戻したいという欲求は、今まで悪い事をしてきた自分への罰として封印する様が見えます。

 

順番が前後しましたがNのパシオ入場会では、Nと似た(少し利己的な欲求が多い)ブレイク団員を、同じくブレイク団員本人にとって知識不足で取り返しのつかない事になる前に説得するシーンがありました。

 

ブレイク団員の思想を否定はせず上記のような説得ベースで、それでも止めようと尽力するNが印象的でした。

 

2022年の夏イベでは、Nが仲間達から「ひとりじゃない」事を伝えられました。かけがえのない絆を利己的欲求で引き裂いてしまった事に自責の念を抱いていたNが、仲間達からここまで慕われるシーンが出てきたのは、Nが仲間達、ポケモン達に心から優しく接し続けた故の「因果応報」なのかもしれません。

 

しかし、仲間達の絆の証である夏の宝物は、悪事を働いたブレイク団に仕返しの意味を込めての悪事の暴きをした瞬間に破壊されてしまいました。このシーンは、因果応報として報復を食らわすならば、Nにも「報復」が無くてはならないという、N自身の自責の念という「呪縛」が引き寄せたものなのかもしれません。

 

ただ、自責の念という因果応報の呪縛に囚われているだけではなく、優しさを振り撒いた分だけ返ってくるものがあるという「因果応報」もあるという事で、トウトウの二人は側に居続けました。

 

(イッシュ編の前に語りすぎちゃった…)

 

そして本題のイッシュ編ですが、様々な経験を経て、過去の失敗の大きな原因の一つである「知識不足」に向き合い解消して成長するNの姿は、同様の成長をしたヒュウと重なります。妹がチョロネコを奪われ怒りに燃えたヒュウは、原作ではその後に「プラズマ団の中にも良い奴はいる」という事を通して、

 

「敵を憎むあまりプラズマ団が絶対悪であって欲しいという欲求からくる認識の歪みへの冷静な気づき」や、「様々な場所に様々な背景の人々がいる事への気づき」

 

を得て成長しました。ここら辺は思想を取り巻くヒューマンドラマの一面があったBW/BW2のテーマに深く直結した重要な部分と言えると思います。

 

ヒュウがNの過去を知っても、中身を見て冷静に判断し寧ろ励ましたのは、上記の通りヒュウの成長やイッシュ原作のテーマの他に、そうした存在に励まされるようになる要因になった、Nの善行の返しという意味合いが込められたいるように思えます。

 

(Nの成長の様と重なる事から、Nは幼少期に、ヒュウ視点での「妹がチョロネコを奪われる」といったような経験で、BW原作のように過激になってしまったのかもしれませんね。イッシュ編でヒュウとNが一緒に閉じ込められたのもそうした意味合いがあるのかも…? 同時に、ヒュウとNは原作の段階で、立場の違う似た存在として描かれている可能性が高い事を今知りました… 自分は気づけないものですね…………)

 

話的にはこの後も続きますが、テーマ毎に分けると書いたので一旦ここで区切ります。

 

・因果応報の関係

 

原作BW2でのNのゼクロム(レシラム)が奪われかける展開、ポケマスEXでのゲーチス編の、ゲーチスキュレムとNのゼクロムがサカキに奪われかける展開、Nの自責の念、Nの夏祭りの宝物が壊される展開、イッシュ悪の組織編でゲーチスが奪ったゼクロムを唐突に登場させ自身のキュレムを合体させようとした結果、BW2で唐突に主人公を助けにきたNのゼクロム(レシラム)を奪って合体させた事の裏返しのように、唐突にやってきたトウヤのキュレムに阻止されブラックキュレムと対峙する事になった展開、(その他あるかもしれないが省略)、イッシュにまつわるエピソードには数々の「因果応報の関係」が描かれている。

 

犯した罪は返さなければならないという認識や流れがBW/BW2が「思想」をテーマの一つにした作品である事の表れや、自責の念に囚われるNの心象風景として「因果応報の関係」が活かされていると感じました。

 

ゲーチス編で、ストーリー上の展開とはいえNが最後に苦しまなければならなかったのか、という答えの一つにそうした「因果応報の関係」が挙げられるように、イッシュ悪の組織編でNが「助けられる存在になれた」のもまた、「因果応報の関係」がある、と考えるのが自然に思えました。

 

イッシュ編でNが優しく解放させたゲノセクトが、トウヤ達の元に流れ着いてNが助けられる手がかりになり、トウトウ・キョウメイ・元プラズマ団の長(?!)が一緒に助けに行く展開になったのは、その場で助けられたゲノセクト、今まで優しく接してきた皆の代表の人物達(アクロマは一旦さておき…)が表すように、それまで優しく接し続けたNへの「因果応報」に思えました。

 

何故ゲノセクトだったのか?という部分は、原作でプラズマ団魔改造された古代のポケモンという文脈を踏まえると、プラズマ団の身勝手な行為の「因果応報」なのでしょう。

 

以上の事や、「因果応報」がBW/BW2でも部分的に存在し、テーマとして活きていた事を踏まえると、マジコストウヤ&ゲノセクトは、

 

・イッシュのテーマや本質

・Nの善行の表れやそれに応えるトウヤ(達)

 

といった文脈を持ったバディーズに思えました。

 

ゲーチスがイッシュ編でダートリ達に冷たいのは、N達とその部分(返ってくるだけの優しさを振り撒いた事)で対照的であるという事なのかもしれません

 

ここからは思想の話…

 

・「思想」の部分への追及

 

上記の部分はBW2の成長といった要素が中心でしたが、ここからは原作を含むイッシュのストーリー全体に関係する、「思想」の話をします。

 

原作のNはポケモンの解放を望みましたが、それが「異なる意見を受け入れなかった」という意味での部分でもNは悔いています。その後Nは「異なる意見を排除するのではなく 受け入れる」事を意志においていますが、トウトウ等含めて皆、ゲーチスの行為には反対しています。これは何を意味するのだろうか?

 

一般論として、思想に正しいも間違いもありません。異なる思想を受け入れるべき(壊すべき)という思想も同様です。ゲーチスの思想(?)もまた同様です。

 

そう、現在のNの思想もまた、プラズマ団の王であった時のように、一方的なのです。前と違うのは、Nは全体を見渡せられ、知識不足を改められる上、トウトウ・その他大勢の人間(多くのプレイヤー達)が同じ思想である事でしょう。

 

その一方的な思想を、プラズマ団の王の時のように覚悟を持って前に出て進む決意を持った結果、Nのマジコスはあのような(プラズマ団の王のような)服装になったのかもしれません。マジコスのあのデザインだけでなく、マジコスNのBGMがプラズマ団のような雰囲気を現すNの城アレンジなのがそれを凄く表していると思いました。

 

また、Nが決意を持ったと認識出来るシーンは複数ありますが、Bキュレムを授かった後の事として考えると、ゲーチスと決別した場面だと思います。

 

それまで自責の念だけでなく、様々な理由で自分がどうすれば良いのか分からなかったN。そんなNがポケマスEXを含む様々な経験を経て、「ポケモン・ニンゲン達を守る」という、思想の一つを信じて動く決断に至ったのがゲーチスとの決別のシーンで明らかになったから、と思います。

 

そんな優柔不断で知識不足の中、人に優しく想いの強いNは今までゲーチスにとって操りやすかったのでしょう。しかし、主人公達と同じように、何をすべきかがしっかり分かった今のNは、到底操れるような部分はありません。ゲーチスの最後の(明らかに嘘っぽい)同情を誘いそうな言葉は、Nに迷いを生じさせる意味での爪痕を残そうとした台詞だと思えますが(諸説多あり)、何にせよNにはもう通じません。

 

Nがプラズマ団の王の時と同じように(知識不足、その他の幾多の成長の有無という違いはあるが)一つの思想を信じて進むという意味での決意を持った、という部分は、どこまでいってもヒトは白か黒かで分断されているという「真実」を表していると言えるのかもしれません。また、それこそがBW/BW2のテーマへの絶対的な答えに思えます。

 

また、トウヤがゲノセクトとバディーズになったのと同じように、NがBキュレムとバディーズになった意味も深く込められていると思いました。

 

それは、まずNの思想はゲーチスと対峙するという意味を表すキュレムの要素、また、トウヤのキュレムとNのゼクロムの合体という、二つの思想の調和が示されているという部分。

 

勿論思想の調和ではなく合体であり、Nの言う「全ての思想の調和」では無い事を示すかのように、このキュレムはブラックキュレムであり、対峙するホワイトキュレムの存在は設定上にあり、結局平等な思想の一つでしかないという事が示されているように思えました。

 

対峙するゲーチスキュレムに対し、「ほんものは二ついても良い」というトウヤのセリフは、ゲーチスが「異質であったりイレギュラーである存在」ではなく「対峙するもう一つの存在」である事を表しているように思えました。

 

(BWの次の作品がグレーというような名前の作品ではなくBW2であったり、ゼクロム・レシラム・キュレムが合体した姿が設定上は明らかでない、合体する姿はBキュレム・Wキュレムと、互いに対照的な姿のままである事を踏まえると、もしかして思想が調和した思想だと思っているものも、別の思想と反対の一つの思想でしか無い、という事や、グレーの世界など存在しないという事を、原作の段階で示していたのだろうか それはもちろん自分にはわかりません…)

 

大方予想できる要素は語り尽くしましたが、余談と称してもう少し語ってから、最後に感想を少し語って終わりにします(この記事は感想記事では無かったのか?!)

 

2.余談

余談の部分は箇条書きにして軽く語って終わります。

 

・Nは本当に人間味が無かったのか?

 

そんな事はなく、むしろ人間味のあるキャラクターとして描かれている。自他共に人間味の怪しいキャラクターと称されるのは、それ自体が人間らしさの表れであり、BW/BW2が人間味溢れたストーリーである事を示しているように思えました。キャラクターは例外なく全員人間味があると思います。

 

・Nの「思想の調和を望む」という認識の正体は?

 

調和を望むと言ったNや、人間の思想に優劣を付けるのは非人間的と思ったアデクも、ゲーチスの事はバケモノと思ったり間違ってると思ったりする。

 

そうした自己認識もまた、本人達の真の自己認識はそうした場面で間違えるというのも、大きいリアリティがある〜と思いました。

 

・Nってなんで早口だったの?

 

分かりませんが、ああいった内容の事を言う際に、早口で言っているという要素が加わる事で、人間味がある事の表れかもしれませんね

 

・原作のゲーチスって物語上でどういった役割があったのか?

 

上記の通り「本当に間違っていると思われている」存在であり、ゲーチス無しには人々の思想がどこまで行っても一方的でしか無い事が表せられない。

 

また、人の思想というのは視点を変えてしまえば、誰かが利用できる道具のようなものでしかないという事も表せられる気がします。その部分があるという根拠は(特に)十分では無いですが、このすぐ後に語る余談を踏まえると、そうでも無いと思ってしまいます

 

その余談とは↓

 

・原作でのアクロマの物語的役割とは?

 

アクロマはN達が本気で気にかけている部分に全くの無頓着であり、Nの認識がアクロマのようになったら、本当に「人間味」が無くなった、と思ってしまうかもしれない、そんな存在です。しかしそんなアクロマも、心の底では絆が生み出す力が一番強いという事を信仰していたり、ゲーチスはキライだったりと、人間味のある部分が多いように思えます。

 

また、アクロマは結構な悪事を働いた気がしますが、ポケマスでも何の報復も食らいませんでした。

 

以上の事から、逆説的にN達が人間味のあるキャラクターである事や、「自責の念」や「自責の念」が生み出す「因果応報」といった概念も何も、逆説的に無から生まれた単なる幻想でしかない事を表す存在である事を示すキャラクターに思えます。ゲーチスも似たような事を示す存在なのかもしれない、と思いました。

 

Nが人間味があるキャラクターであると強調される事の意味は、Nもまた一人の人間であり、人が持つ認識とは違う絶対的な存在では無いという事を示す意味があると思います。

 

(原作を見るとついついNが人間味の無い、どこか答えを知ったキャラクターに思えてしまうが、実際は同じ人間である、という事が上記の事から重要であると考えます。)

 

ここからは話が逸れますが、プラズマ団が単なる団体ではなく宗◯団体のように描かれたのは、プラズマ団を動かす団員の原動力が信仰心となる事を踏まえると、思想の根源は何かに信仰したい欲の元である、何かへの不満・不足である事を示していたり、Nが宗教の長である事を表す事で、Nが絶対的でどこか違う雰囲気を出させ、実際は人間味に厚い存在である事を強調する意味合いがあると思いました。

 

また、プラズマ団員はNと違い、利己的な部分が多く、居場所を与えられればそれで良いと思っている団員や、人の上に立ってやろうとする団員も多かったが、実はNも根底はあまり違わないのかもしれませんし、ある意味ではそこも遠回しにNの人間味を表していたのかもしれない…

 

・イッシュ悪の組織編続編があるとして、どんなストーリーになるのか?

 

そもそも続編があると思われる要因である、イッシュ悪の組織編ラストのシーンは、ゲーチスに策が無くなると精神が崩壊してしまう故のシーンだと思っているので、そもそも続編は無いと思っているのですが(現時点でBW/BW2の要素を全て過不足なく備えていると思う)、それにしては続編が無いというには疑問の残るシーンであり、原作の構造上異質なので仕方ないが、マジコスキョウメイが来ない事になるので、イッシュ編後編があるという前提で話を進めると、どういった話になるかを考える。

 

長い前置きの割に短く終えるが、ゲーチスの派閥もまたNの派閥(?)と同じような人達がそこそこいる事を突きつけられるも、N達はその正義を実行し続ける決意を新たにする、といったストーリーになると思います。

 

唯一拾ってない要素は、原作で唯一示されていないいない「罪の無いポケモン達を守るべき」という思想の正当性への疑問なので、Nの思想の鮮明化というストーリーになり、エピローグ的なものになりそうですね。マジコスゲーチスを出す場合はNと対照的な存在であるWキュレムを持ってきそうですが、レシラムと無理矢理合体は流石にアレなので出てこないと思います() 

 

続編があるとするならば、Nがプラズマ団の王のように決意を持ったという事から、トウトウ達が誰かから見ればプラズマ団のような脅威を持っていると思われるシーンがあったりとかするのかもしれないですね。

 

それでも尚N達はその思想を全うする決意を示し、そのエンドはハッピーエンドななかビターエンドなのか、見る人の判断によって変わる…とか?生々しいかもですね

 

追記: 後の余談でも書いていますが、Nが心から受け入れられた今、Nは周りと同じように本心を出す事を受け入れられたという事になり、実際積極的にNが本心を出すかはさておき、トウトウキョウメイのうち誰かが間違いを犯しかけて、それをNが咎めるシーンがあるのかもしれない…?

 

キョウヘイが実生活で上手くいかず、その不満を晴らすために思わず血眼に敵を見つけて排除しようとしてしまったりとか…それをNに咎められて考え直したりとか…(さっきから生々しい!)

 

追記終

 

 

 

 

・Nの「自責の念」は終わったのか?

 

終わってないと思うが、自責の念を持つNに、自責の念を持ってしまう事を肯定はしつつも、自責の念はいつまでも持たなくても良いという事を示してくれる仲間達が側にいるようになった、という事を示していると思います。

 

これはゲーチス編でのNの姿からは対照的であり、このように変わることが出来たのがNという人物像を表していると思います。

 

Nの自責の念を表す心象風景としての、実際に影響を及ぼす「因果応報」は、Nの善行が生んだ、「トウトウ達から『もうそれ以上自責の念に悩まされなくて良い』という言葉のプレゼントによる気づき」という「因果応報」により、打ち消されたと言える。

 

重ねて言うが、この一連の流れが、Nの人物像や、BW/BW2のテーマ、その他あらゆる原作の要素が込められているといって良いでしょう。

 

・原作のBW(BW2)とSM(USUM)が似ている事についての要素

 

(原作の話です)

 

USUM発売の段階で気づいた人はいるかもしれないが、明らかにこの2作品はあまりに似ている。

 

パッケージの伝説のポケモンが、最初の作品で話で上がらなかった、クリア後に会える伝説のポケモンと2作品目で合体してパッケージを飾ったり、そのポケモンは完全体にはならなかったり、最終的な姿のタイプはパッケージで変わらなかったり(ウルネクをどう捉えるかは人それぞれ)、なんかアクロマが出てきたり、二作品目に移る際にアベニュー的要素が充実したり、過去作のトレーナーと戦えるモードが出てきたり、ストーリーにガッツリ関わってくるキャラクターが一作品目では最後にいなくなって二作品目で常駐したり、主人公の姿が作品移って変わったり、悪の組織が善良組織として振る舞っていたり、ボスが所謂毒親(過激表現!)だったり、ストーリーにテーマがかなり展開されていたり、色々とめちゃくちゃ似ている。

 

似ているとは何を意味するかは詳しくは分からないが、単なる予想のため端的に言うと、SM(USUM)がXY、ORASで描かれた共存といったテーマの終着点だと思うので、その原点がBW(BW2)にあった、という話なのかもしれません。また、そもそもBWからBW2の流れが、赤緑から金銀への流れと似ている為、そのオマージュかもしれませんね。

 

・Bキュレムの真実(ホームボイスバレ)

 

Bキュレムは原作での伝承の事はよくわかってないらしい。隕石からやってきてたり、穴に入った人間が戻ってこなかったりとか

 

これは完全な妄想ですが、伝承が全て嘘で、ゼクレシの合体もキュレムとの三匹合体も全て嘘だったら、そもそもゼクレシの合体というのは、誰かの願望だったのかもしれませんね

 

異なる思想は調和する事で真の平和がもたらされる…的な…  

 

そうして伝説のポケモン二匹を、夢想主義者と現実主義者の代表に分け、伝承を伝えた…とか

 

ただ信仰心というのは、原作での姿は言うなればプラズマ団なので、結局は白か黒かの世界でしかなく、グレー、すなわちゼクレシの合体は無いんですよね。

 

しかし、ゼクレシの合体に意味が有る無しと騒いでも、当の伝説ポケモン達は全く関係無いので、結局騒いでる側も信仰した方向性が違うだけだったという話があったり…

 

ただ偶然なのか否かはさておき、キュレムとはそれぞれ合体する。異なっていると思われる思想が合体しても、別の思想と対峙した物でしかないといったり…

 

取り敢えず完全なる妄想はここまでにしておきます()

 

・Nの、トウトウキョウメイ達への感情

 

自責の念という部分にも関係のある話題ですが、端的に言えばNはトウトウキョウメイに対して、「取り返しのつかない悪事を働いたのに心を許してくれる凄い存在」であり、「思わず心を委ねてしまう存在」でもあり、いわゆる激重感情ってやつですね。今まで通りのNらしく振る舞えばトウトウキョウメイ達は今まで通り優しく答えてくれるけど、実際のNは本当に心から感謝してやまないっていう感じかもですね

 

だからゲーチス編でのラストでキョウヘイ達に対しても、自責の念からキョウヘイ達に反発する資格はないと思っていたり、悪事を働いた自分はキョウヘイ達に対して気丈に振る舞わなければならない、といった意志が、Nが自然体で振る舞いつつも心の中ではどうしようもなく深く悩み込んでいる事に繋がったのでしょう 重〜…

 

また、Nは罪を償う際にそれが耐えられなくて甘えたというより、罪を償う際に彼らからの助けを受けちゃいけないという意志があったかもしれないけど、それを裏切るのはNの主義に反するという事であり、そこに人間味を出したと推測します(他のより根拠が薄い)。

 

ただNはそれを、本人自身の自分への厳しさから勘違いしてしまったのかもしれません。この勘違いという要素も、前述の通り人間味を示す要素ですからね…

 

 

Nが深く受け入れられた今、Nがトウトウキョウメイに対して"素“を出すシーンがいつか来るかもしれませんね それが続編…? 

 

・イッシュ編悪の組織編ラストをアクロマが締めた事

 

イッシュ編はアクロマが絶頂して一人で語ってトウコに引かれて終わりましたが、アレはアクロマが絆の力こそが一番強い、という現実がある可能性に興奮しただけではない、と思いました。

 

それを説明するにあたって原作について話すと、原作BW/BW2は、勿論思想というテーマを軸に進んだストーリーではありましたが、あくまで思想について伝えるための作品とは思い難いです。単純にポケモンシリーズを通して、大前提はプレイヤーの体験を重要視する傾向があると思われるからです。

 

なのでそもそも原作BW/BW2は、思想を中心に渦巻くストーリーがあっても、全体としてはその中で懸命に頑張る人間味溢れたキャラクター達がいる、人情深く、どこか優しい世界観というのがあったような気がします(単に筆者の原作プレイの感想)。

 

イッシュ編本編でも、頭脳プレイと言いながら壁破壊を狙うキョウヘイだったり、Nの元に移動する際にシュールに進むゲノセクトだったり、絶頂するアクロマとそれを見て引くトウコだったり、マジコスに着替えたトウヤ・Nに対して1秒で対戦し始めるトウコだったり、何だかんだでどこか緩く優しい人間味のある世界観があり、それが随所で表れていると感じました。

 

そしてそれがオチに使われたのは、BW/BW2は思想について語るための作品というだけの存在ではなく、真髄はそうした世界観が織りなす人情味溢れる中でのプレイヤー体験というのが重要な事、というのを表した、のかもしれませんね

 

 

 

まだ気づけていない要素はあると思うのですが、今思っている事は大体書いたので、いずれ追記はするかもしれませんが、一旦ここで終わり

 

3.感想

 

こんなデカデカと感想とか書くものでは無いのですが()、まあ少し感想を書きます。

 

まず、決戦!NのBGMが最高でした… Nの城の厳格的なアレンジから、Nの方向性が予想できて、それが良い意味で予想外かつ、答えを出してきた事が伝わって最高でした!

 

後編PVを曲の為に複数回見てしまうほどに…

 

また、BW/BW2のテーマ等を不足なく表現し、なおかつ過剰な壮大にならず、それでいて尚イッシュの全体的な、小さくも温かい人情深い空気がそのままあって、そこも凄く感動しました…!(勿論何であっても良いけど、それはさておきそうしたストーリーを作った事が個人的に素晴らしいと感じた!)

 

 

ポケマスEX自体も本当に凄いのですが、これだけの意味合いを込められている原作ポケモンシリーズが本当に凄いですね…

 

 

まだ自分が分かってない・認識の違う部分もあると思いますが、非常に好きなエピソードでした!どの地方に対しても全力なのが伝わってくるのも、個人的に好きなポイントです(何であっても良いんですよ!) 

 

また追記はあるかもしれませんが、おしまい〜

 

 

 

 

P.S. ダートリのキリキザン達に一撃でダイケンキグラエナも倒されたのがグラエナの威嚇でキリキザンの負けん気が発動したからと言われてたのが笑いました トリプルバトル…!