ドサイドン@こだわりハチマキ

ここは ただの びぼうろく

ORASのテーマが「共存」なのを踏まえてORASを振り返る

タイトルの通りポケットモンスターORASのストーリーを、作品が持つテーマ「共存」と共に振り返ろうと思う。とはいえ自分はORASのテーマが「共存」であるソースは知らないのですが…() 

 

本題に入る前に、まず自分はORASという作品が本当に好きだ。ストーリーの本筋は分かりやすいのにどこか隠された部分や要素があるような雰囲気があったり、ヒガナのエピソードのような本題から謎めいたストーリーがあったり、要するにどことなく隠された謎が存在するような雰囲気に、発売から7年が経とうとしている今でもワクワクしてしまう。単純に自分の理解力が乏しいのも理由の一つかもしれないが…

 

そんなORASという作品について度々気になり、自分は過去にその場の勢いで気になった部分をブログに書いていたが、どれも長すぎて整理がついていなかった。今回もおそらく同じように長すぎる文になると思うが、せめてORASという作品を自分の中で一区切りつける為にある程度整理した内容で語ろうと思う。(出来るとは言ってない)

 

長い前置きはさておき本題に入ると、ORASという少なくとも自分から見ると色んな意味で謎めいた作品は、「共存」というテーマを踏まえると大筋が紐解けると感じた。せっかくなのでそんなORASという作品を、緩くテーマに沿って考えていこうと思う。恐らく文は全く整理されてないと思うが了承願いたい。そして本記事はまるで事実ベースであるように書いてあるが実際は大半が個人の予想である事を大きく強調しておく。

 

また、「共存」というテーマと共にORASを振り返るのは、既に大勢のファンによって行われており、このブログより具体的にかつ分かりやすく振り返られており、本記事は独自性があまり無い個人の備忘録程度の話である事も記しておく。

0.共存とは

今作の「共存」というテーマについて、「共存」はどのような意味で使われているのか?

 

根拠は後にして、軽く結論だけ先に触れておく。

 

それは即ち「互いに尊重し合い互いに十分に生きる権利を持つ関係性」

 

と思われる。別の場面であまり意味合いが変わるような単語でもないが、一応具体的に記しておく(具体的でも無い気がする…)

 

1.0 ストーリーの振り返り 

それはさておき、ここからはORASのストーリーを、いくつかシーンを取り上げて「共存」というテーマと共に振り返る。また、所々ポケモンマスターズEX(以下ポケマスEX)のストーリーを振り返ると補強される話があるので、時に応じてポケマスEXのストーリーと共に振り返る。

 

1.1 メインストーリーと「共存」

 

大まかなストーリーは「グラードンカイオーガを目的の為に利用しようとしたマツブサアオギリ(以下ボス達)がグラードンカイオーガの暴走を止められず世界が危機に晒されるのを主人公が止める」というものであった。

 

「共存」がテーマなのを踏まえずともボス達は人々に、人々が美しい自然を無造作に壊していったと主張し、幼少期の友達であるポケモン(恐らくジラーチ)の為にも美しい世界を取り戻そうとして活動していた。

 

テーマ「共存」を軸に考えると、まずボス達の主張は人々が自然との共存を止め、一方的に利益を貪る状態であると主張していた。しかし最終的にボス達は目的に失敗し、制裁という形で罪を被る事になった。ここの部分をポケマスEXの専用ストーリーを含めて見直していく。

 

ポケマスEXでは再び脅威となったグラカイをボス達が制御し、あわよくば自身の力にしようとして活動していたが、ユウキやハルカの影響で冷静になり、元はグラカイは普通のポケモンであった事を思い出し、「普通のポケモン」として接しようとした結果バディーズとなり、(その後余談を挟み)終わる。

 

ここからざっくりと考えると、ボス達は確かに人々に「共存」が出来ていないと主張していたが、ボス達はグラカイ達を自分の力のように一方的に利用しようとしており、結果的にその事に制裁が回るようになる、と解釈できる。つまり共存せず一方的に支配しようとした結果制裁が回ったと考えられる。

 

大まかに察するにORASというストーリーは共存する事が正義となっており、逆に一方的に踏みにじるような独占は悪とされている、と思われる。しかし、この話はいまいち根拠が薄い。そこで同作に同じく入っているエピソードデルタを振り返る。

 

1.2 エピソードデルタと「共存」

 

(過去にヒガナについて長々と記事を書いたような気がするが、内容が無い上読むに耐えないので割愛させていただく…)

 

という事で結論から言うと、ヒガナはホウエンを守る為ボス達と同じように伝説のポケモンを利用し目的を果たそうとした。しかし結果的にボスと同じように目的を果たせず、プライドを傷つけられた。

 

ここでポケマスEXのヒガナのストーリーも振り返っておく。細かい話はさておきレックウザと一人で向き合う事を決めたヒガナは、熟考の末、「空の中一人で寂しくない?」と、ポケマスEXのボス達と同じようにレックウザを1匹のポケモンとして向き合い、そして初めてバディーズとして認められる。

 

ポケマスEXはこれに限らず、伝説のポケモンを普通のポケモンとして接するシーンが数多く見受けられ、そのような描写に意味を持たせているとも考えられる。つまりボス達やヒガナのエピソードからも分かる通り、対等な関係でいる事に正しさ(正義)を見出されていると思われる。

 

「伝説のポケモンも1匹のポケモンとして接する」事を正義とされる場では、つまりこの作品での「共存」は、どんな存在にもきちんと1つの命として尊重する事を同時に意味すると考えられる。(ORASに限らず大体その意味は含まれると思うが、ORASではその部分が強調されているように感じた)

 

最後に改めてボス達の話に戻すが、ボス達のストーリーに込められた意味を示す為ヒガナのエピソードを持ち出したのは、ボス達がグラカイと持つ関係性を、ヒガナもまた同様にレックウザと持っているのではないかと考えたからだ。つまりマツブサグラードンアオギリカイオーガという関係性でヒガナとレックウザという関係性を持っていると考えた。もちろんこれは予想でしかないが、ストーリーの形としては自然であり、実際同じような関係性を持っている為そう考えるのが良いと考えた。

 

1.1、1.2をまとめると、ORASのストーリー全体は「共存」を「伝説のポケモンも一方的に利用するのではなく普通のポケモンとして接するように、互いに尊重し接する」という意味合いを持ち、それを正義とされている。

 

大まかさな全体のストーリーの振り返りを終える前に、言及しておきたいことがある。それは罪と罰の関係性についてである

 

長々と語っても意味はないので結論だけ書くが、このゲームの世界では何か「悪い」とされる事をすると高確率でその悪い事が自分に返ってくるという関係性が存在するということである。

 

フラダリは他人に死を望んだ結果自分が死ぬ事になり、AZは愛するポケモンに無理矢理生きる事を押し付けた結果自分が生き続ける事になり、ボス達は美しい世界の為に他人の大切な物を奪おうとした結果美しい世界が失われてかけてしまう。

 

ポケマスEXでもそれが顕著に現れていると考える。ゲーチスは他人に付け込みポケモンとの絆を奪おうとした結果、サカキに付け込まれキュレムとの絆を奪われかける。Nは自身の罪の意識もあってか、絆を奪おうとした過去と親との絆を取り戻せない状態になっている。

 

考察の域を出ないが、かなり顕著だとも思っている。

 

思い切ってこの仮説を真として話を進めると、まずボス達は人々との共存を無視し大切なもの(土地)を奪おうとし、結果的に同じ事が自身に返ってくるという罰を受けた。ではヒガナのエピソードはどのようなものだったのだろうか?それはヒガナが受けた罰から考える事が出来るかもしれない。

 

ヒガナは自身の計画に甘さがあり、結果に結びつかなく絶望するという状態に陥る。裏を返せばヒガナは他人の計画の甘さを(執拗に)責めていた。

 

これだけだと判断材料が少ないので、もう一度ポケマスEXを引き合いに出す。ヒガナは心を入れ替えレックウザを1匹のポケモンとして受け入れ、心を通わせバディーズとなった。つまり裏を返せば原作ではレックウザの心に向き合わず、目的を果たす為の道具として見ており、その罪を罰せられたと考えられる。

 

(余談だがヒガナの「目的」とはホウエンを守る事だけだと思われがちだが、自分はそれとは別に彼女は自身が正しいという事実に飛びつく事もあると予想する。仮にホウエンを守る為だけならば時空転送機を壊す理由は無く、終始高飛車な態度で接するのはかえって無駄だからである。ホウエンの平和と同様に優越感を欲していたと考えられる。また、ボス達も似たような節は存在する。彼らは対話を行わず破壊活動を行なっているからである。ヒガナは幼少期、姉と違い伝承能力は無いにも関わらず姉が亡くなった事で姉が果たす筈の使命を託される事になり、そうした使命がもたらすプレッシャーや特別感は、ヒガナの性格や振る舞いに顕著に現れていると感じられる。幼少期から使命を背負う苦しみは同じく一族の末裔の婆の話からも分かる)

 

1.3ではホウエンの「共存」がテーマと思われる話を数個程度簡単に纏める。

 

1.3 ホウエンの「共存」が関わる話

 

・まず有名所としてシーキンセツの話である。大まかに説明すると環境破壊を生む産業をしていたとある(ブラック)企業が内部告発で解散に追い込まれた話である。離職に追い込まれた社員達の苦悩も同時に描かれており、人と自然との共存の難しさが表されている。そして同時にポケモンの生体エネルギーから作られる∞エナジーで大躍進した企業がこの時生まれ、それは現在大企業になるまでに発展したのも忘れてはいけない。その企業の名前はデボンコーポレーションである。

 

・トクサネ宇宙センターで開発された時空転送機は、隕石を別空間に移動させる技術だったが、技術がまだ進んでいないホウエン地方(RSE?)に隕石を落とす危険性があった,

 

別世界との共存をすべきか否かという話であり、当然普通の理解力を超えた話である。そうした危険性を考慮していない事をヒガナから「想像力が足りないよ」と諭されるが、どこまで真剣であろうとそのような想像力は持てない…。というよりヒガナの行動はそうした危険性を「知っている(考慮出来る)」という優越感欲しさの行動と思われる。

 

続きは1-4で取り上げる。

 

 

ホウエンのご当地ヒーローの事をどなたかが取り上げていたのを覚えている。話自体はあまり覚えていないが要するにホウエンご当地のマスコットキャラ的ヒーローは別のキャラに人気を奪われてしまったという話である。致し方ない話である…。

 

 

 

1.4「共存」の難しさ

 

ここまでを振り返るとボス達やヒガナは目的の為伝説のポケモンを道具として利用しようとし、それは悪の行為だと作中で語られ罰が降り注いだ。シーキンセツは環境破壊した罰が結果として降り注いだ。

 

しかし同時に、人間と自然は完全に「共存」しているとは言い難い事実もある。そして何より人間とポケモンが共存関係とはとても言えない(一部の話)事実がある。ポケモンからの∞エナジーの抽出はわざわざ前作のXYでフレア団のしたっぱから「これは子供には見せられないわ…」と辛そうな声でつぶやかれている。しかし現状そのエナジーを主に使うデボンコーポレーションに「罰」は与えられていない。

 

 

デボンコーポレーションは逆にお咎めが無い理由がある、という事かと言うと違うと思われる。ボス達やヒガナはあくまで一方的な略奪であったので咎められており、今後デボンや、ボス達の言う自然破壊をする人間達に「罰」が来る可能性は十分ある。

 

しかし、∞エナジーは実際クリーンなエネルギーである事を売りに出されており、結果としてシーキンセツは悪者となり解散した。裏を返せばポケモンの生体エネルギーを使わなければ自然破壊は止められなかったのである。

 

また、1-3で取り上げた時空転送機の話は、どれだけ苦悩して共存しながら困難を克服しようとしても結局不可能であった話と言える。

 

ここまでの話から、どれだけ平和的な共存を求めても、というか何を求めたとしても、結局何かは犠牲になるのである。

 

デボンにボス達と同じ罰が与えられない理由は不明だが、ここで一つ個人的な予想を1-5に書く。

 

1-5 「共存」とは

 

人間に限らずポケモンも誰しも個人的な欲望があり、それを各々叶えようとする。作中の大多数の人物はそれに当てはまる。

 

まず、共存を訴えたアオギリマツブサも人々との共存はせず、自分達が正しいという事を証明しようとして破壊を試みる。ヒガナは自分自身だけは共存の意味を分かっていると自負していたものの実際の行動は一方的な(ここではメガストーンの)略奪であったり、優越感を満たすための行動が多い。

 

両者とも自身は共存が出来ると自負しながらも結局は自分本意の行動であり、彼らが責めた「人間達」の行動と変わらない。最後は伝説のポケモン達を道具として扱おうとする、「共存」から離れた行動をした罰を受ける。

 

デボンコーポレーションは共存を自負してはいないが、彼らと同じように目的の為に何かを犠牲にしている。アオギリマツブサが主張した通り人間達は目的のために自然等を傷つけており、これもまた共存とはいえない。

 

今作に限らず心から共存を欲する人間は出てきておらず、皆心の底では自分の為に行動しており、それはダイゴもアオギリマツブサもヒガナもクスノキもツガも変わらない。そしてダイゴと同様に皆も必死に生きている。

 

本ストーリーでは「自分達は共存が出来ている」と主張したボス達やヒガナが、伝説のポケモンを道具のように扱った事でその罰という形で共存が出来ていない事を示していたが、他のキャラクター達も同様に共存は出来ていない。あくまでボス達やヒガナは人が共存が出来ていない事を示しただけである。

 

誰しも自分の目的のために動いていると書いたが、そもそも「目的」とは自身の幸せの為の行動であり、元を辿れば「生」の為の行動と言えるだろう。人もポケモンも皆自分の「生」を第一の目的として動いており、その為には誰しも犠牲を出しても良いと判断した時には犠牲を出す。3000年前の戦争の時から何も変わってない、というヒガナの忠告はある意味正しかったのかもしれない。(さっきからヒガナクラスに口が悪くなっているのをお許し願いたい…そんなつもりはない…)

 

作中では隕石という、自身の命を脅かす存在が出てきた際、ヒガナ含め誰もが自分の命の為に必要な犠牲を作ろうと考えた。メインストーリーではグラカイの暴走という自身の命を脅かす存在がもう一つ存在した。

 

知っての通りどちらも何の犠牲も生まず解決したが、解決したのは主人公と完璧なスーツとレックウザである。

 

主人公は突然命運を託された後、感情も出さず使命を全うした。他の人間らしい感情によって動いていないのを明白にする為に、レックウザをゲットしヒガナを倒した後はテキストを読まないまま既にレックウザと共に空を飛んでいたのは、そうした事を示す理由があったのかもしれない。

 

ここまでの事を踏まえると、誰しも自分の「生」の為に動いており、それに反さない範囲であれば犠牲も生む。作中でのデボンかシーキンセツを選ぶように自然かポケモンの命のうちどちらかを犠牲にすると迫られた時、強い支持を集めた側に軍配が上がる。特に「生」を脅かす事が起きれば尚更である。

 

いかなる時でも犠牲を全く生まないようにする為にはORAS無感情主人公と完璧なスーツとレックウザのような非現実的な存在がいなければ達成は出来ない。

 

そうでない限り、この世界は力が強い側は生き残り、反対に、例えば支持を集められなかった側は犠牲になる…といったように、まるで弱肉強食の世界である。

 

 

 

 

 

 

まるで別キャラに追い出されたホウエン地方のご当地ヒーローのように……

 

 

 

 

 

個人的な予想だが、伝説のポケモンによる罰は、共存していない状態を示す存在であったとも言える。作中のテーマのヒントのような存在であったと予想する。

 

ORAS発売前に「グラードンカイオーガは本当は争っていない」と、とある媒体によって判明したのも、今となってはこうしたテーマへのヒントだったのかもしれない…

 

 

1.6 追記

今作を別の視点から考えると、ヒガナには罰が返ってきたが、その罰の大きさはプレイヤーの想定よりは小さく、実際にしでかした事より心情の部分への罰という印象を受ける。自身のプライドの為に共存と反する事を行おうとして窃盗等を行なったが実際はプライドの部分に置いての罰のみだった。

 

ダイゴもまた、知らない内にポケモンの犠牲の上での利益を得てしまっていた為、罰が返ってきても不自然では無いが実際は自らチャンピオンの座を退こうとする事への仄めかしに留まった。

 

今作の「罪」への罰は総じて罪を犯した本人にかかったというより、罪を生んだ行動によって目の前で起きた事を認識する事で「罰」となっている印象がある。

 

この罪を比較すると、「共存」に失敗した人への罰は、結果的に実害が無いと言える。この「罪が皆平等に小さい」事から、人は皆形はどうあれ、どうしても共存では無く等しく身勝手に生きているという事であり、それを冷笑する為のストーリーでは無く、ただどうしようもない事実として有る事を意味していると思われる。

 

どのような思想であろうとも根本は同じく個人の身勝手な感情である、という方向性は、ある意味思想の平等性を説いてるようにすら感じる。

 

ヒガナもダイゴもデボン社も、誰しもがアオギリマツブサと同じように共存に反する身勝手な行動を等しく行なっているから、その意味も込めて「自分の身勝手さを気づかせる」以上の罰は無いのでしょう。

 

対比として前作のXYのキャラであるフラダリやAZは、片方は未遂でありながら罪は全て自らに返ってきていた。この両極端な2作品を比べる事で、罰の意義について考えるきっかけになっていたのでは無いだろうか。XYのように妻がそのまま返ってくるのであれば、特にデボン社に関しては…考えない方が良いかもしれない。

 

「例え身勝手な行動で周りを苦しめたとしても、それは生き物皆が生きる為に同じように行なっている事であり、それへの罰はそうした自分の姿を見つめ直させる事に留まる」というORAS特有の価値観は、「共に生きる」という事について研究し尽くした末の物であり、敢えて少しズレたこの価値観をプレイヤーに見せる事で、生きるとはどういう事かを見せていたのかもしれない。

 

………とは言ったものの製作側は普通に罰の大きさはこの程度が十分と考えているとも言えて、そこの部分をあまり意識していない可能性が高い。あくまで自分の印象に過ぎないのでそもそも意味のない話である可能性が高い。

 

次に、隕石をレックウザと共に壊した主人公について。

 

ヒガナ、ボス達は必死に共存の社会を目指し、ヒガナは特にそれにプライドを持っていた印象があったが、彼らもまたある部分では共存と真反対の部分があり、結局共存を問う「資格」は無かったとされた。これは同じく共存する社会を好いていたダイゴやデボン社もポケモンの生体エネルギーを利用してエネルギーを生み出したり、別次元の空間にいる人間への被害を考えていなかったのと同じである。(自分の最愛のポケモンが死んでほしくないからと最終兵器を使ったAZと同じなのかもしれない)

 

話を隕石破壊に戻すと、ヒガナやダイゴ達が生んだ案は、そのどれもが共存から反する案であった。全ての生き物が共存(ここでは生存)出来る案は一体なんだったのだろうか?理屈だけを考えるとレックウザと心を通じ合わせた後に伝承者からガリョウテンセイを覚えさせて貰えば全部解決のように思える。しかし実際はレックウザが「いんせき」を食べなければメガシンカは出来なかった。この「いんせき」はどのような意味を持つのか…?

 

ヒガナが連れてきた主人公が偶然持っていた「いんせき」が無ければ解決出来なかったという話を考えると、この「いんせき」には、他人の思想や心情など関係無いただの無機質な理不尽性を感じる。

 

また、レックウザが隕石を壊す事は皆が全員生きられる事に繋がり、逆に隕石を壊さなければ(例え転送しても)全員は生存出来なかっただろう。つまりこの「いんせき」は全員生存のキーである。

 

共存から反する事として、ポケモンの命を利益として奪いムゲンダイエナジーを生み出す事が挙げられる。つまり「共存」は全員が真っ当に生きられる関係性を指し、それは互いに尊重するだけでは為せられない事である。

 

誰かが隕石破壊の為にレックウザを呼び、道具としてでは無く互いに尊重し合う関係としてレックウザに頼み込む…という事をしてもレックウザメガシンカをしない。誰もが生きたままで困難に解決するという事は、例えば偶然いんせきを持った主人公が駆け寄っているような奇跡が起きない限りは起こり得ないのである。

 

 

そうでなければポケモンと別空間の次元の世界を犠牲にしなければ生きる事は出来ないのである。それは生物が別の生物を食べなければ生きられないのと同じように…

 

「生」を維持する事の難しさを、エピソードデルタでは過不足なく描き切ったと断言出来る。「共存」の持つ特性を全てこのORASで描いたのだろう。

 

1.7 追記2

既に記事で山ほど触れた部分だが、ORASはつまるところ人間やポケモン達等の生き物を全て同じように描いていると思われる。理由は後述するが、自然や共存を描こうとした作品としては、まさしくそれらしい描き方に思える。

 

これまで書いた通り、ダイゴもデボン社もアクア団もマグマ団もヒガナもその他一般市民も全員、共存の為に生きてはおらず深い所では自分の為に生きている、と考えた。

 

そんな「同じ生き物達」の中から、自分は他とは違うと言ったり、何か嘆いたりするのは現実的であり、同時に本当に違う事は無く、結局は皆同じという結末になる。

 

そうなるとボス達が辿った結末は身勝手な行動への罰とも捉えられるが、「ボス達は共存の為に行動してる訳ではなく、もたらされる結果が共存になるはずが無い」というメッセージの表れだったのかもしれない。実際にもたらされたのは共存とは真反対の理不尽な破壊であるのも同様の事柄と言える。もっともその結果通りになったのは罰と言えるとも思うが。

 

ヒガナはダイゴ含む周りを、戦争で罪を犯した人間と同じだと糾弾したが、自身もまた深い所で共存を目指してる訳でもなく、「世界を救う継承者」という立場になろうとしたかったのであり、レックウザにその願望を載せていた為、まずその欲を見透かすかのようにレックウザメガシンカしなかった。「ねぇ、してよ! メガシンカ しなさいよ!!」というセリフは、ヒガナのレックウザに対する見方が共存の対象ではなく道具としての一方的な利用だった事が明確に表れていると思われる。

 

奇跡的にメガシンカをし、最終的にヒガナを継承者に選ばなかったのが、「共存を目指していない」ヒガナの心を見透かしていた、と考えられる。

 

奇跡的にメガシンカしたのは、前述の通り共存自体奇跡が起きなければ不可能という事の表れと思われる。

 

ではそもそもホウエン伝説はどのような存在だったのか?(今更…?)

 

簡単に書くが、ホウエン伝説を周りの人間は力の象徴としてしか見ておらず、共存とは言い難い。そもそもグラカイに関しては互いに戦ったという伝説は無く、そういった伝説は「共存とは言い難い周りの感情」から生まれたとも思われる。

 

グラカイの時もレックウザの時も、もたらされた結果は全て当事者(ボス達やヒガナ)の心情を表している。気に入らないからと周りを力で封殺しようとしたり、継承者になりたいだけの願望や、その為に伝説達と共存ではく一方的や利用をしようとする目論見を…

 

全て本人に返ってくる形になったのは天罰のようだが、結果は自業自得とも言えるかもしれない………

 

 

 

 

1.7 総括

 

いや〜ORASはやはり凄い。作品のテーマによりつつ、それに沿った登場人馬達の人物像が多種多様で素晴らしかった…。

 

既に大体感想のようなものは書いたしこれ以上書く内容が思いつかず、既に眠いのでこれにて唐突だがおさらば… 恐らく気が向いたらここの部分を少し書いておく。

 

ではまたの 好きなORASを大体全部振り返られて満足です。ちなみにミツルくんが廃人化したのもテーマに沿ってるかと思いましたが全く結び付けられなかったので分かりませんでした()

 

この作品に限らずストーリーというのは本当に難しい!またいつか考え直せたら整理して加筆したいですね。まだスッキリと踏み込めてもいない気がします。

 

 

記事の最後に書くのも少しおかしいと思いますが、ORASという作品が好きな人の意見がみたいですね。自分はいまだにORASが一番好きな作品なので…

 

それにしても結局同じように長く読みにくい文になってしまいましたね…描き直すにしても同じように読みにくくなるし、描き直そうとは思わないし… しかしこれくらいがブログとしてちょうど良いのかもしれませんね

 

 

 

 

ポケマスの夏ユウリとマリィのストーリーが剣盾の「ライバル」の関係性を鮮明に描いてるのかもしれない

いつも以上に雑記調です 文章としては纏まってない事を先に記しておきます というか短いっす

 

 

ポケマスの夏ユウリマリィエピソードが短いながらも本当に満足出来た一方、その満足感の正体が書きたくなったので書いてます

 

 

ユウリ(剣盾主人公)のライバルとしてホップが有名だが、勿論ビートやマリィ達もライバルだった

 

剣盾という作品はホップというライバルポジションの心情を過不足なく描写した事が人気爆発の要因と思っているが、このライバルという立ち位置について改めて考えたい

 

 

ホップの夢はNo.1のポケモントレーナーになる事だったが、その障壁としてライバルは存在する

 

 

そもそも夢は何故持つのだろうか?細かい話は省くが、生まれ持った時からある生存本能に基づいた感性が原因だと思っており、つまりアイデンティティそのものと思う

 

 

達成する事で自分を自分たらしめる=アイデンティティの確率=生への悦び

 

となり、裏を返せば達成出来なければ苦痛なのである

 

ここでホップの原作でのストーリーを振り返る

 

ホップは同じ志をユウリと持ってるから、同じ価値観を持っているユウリと意気投合した一方、勝負を挑むたび負け、アイデンティティを脅かす存在として認識し自分にその危機が来ていることを自覚し焦る

 

トーナメント最後では全てを受け止め勝負をするも結果的に敗れる

 

アイデンティティを失った事での喪失感に苦悩するも、ザシアン(ザマゼンタ)のストーリーを通じてアイデンティティを見つけ、それに向けて前進していく

 

 

というストーリーだった(思い返せばシーソー兄弟の話はアイデンティティがテーマの話だったのかも?)

 

ライバルはホップだけではなくマリィも含まれており、それが描かれたのが今回のポケマスの夏エピソードである

 

マリィはユウリの手伝いを頼まれて行ったとはいえ結果的に客を呼ば満足させる事を目標にしており、原作では笑顔の練習をしており、良い笑顔を作る事を目標にしている

 

だからこそ周りと違い(ここが実は重要)客を満足させられなかった事に辛さを感じてしまう 

 

清い志がある一方、より優秀なライバルがいるから苦しさを感じるのを表しているのは、その後出てくるブレイク団が表していると思われる

 

その後ブレイク団を手伝うと決めたのは、アイデンティティを失いかけてるブレイク団に自分を重ねつつ、ライバルとしてユウリと戦い勝つことを目標にした故の行動だろう

 

ユウリ達は最初は戸惑い、マオは少し懸念を見せた ユウリを「倒して自分が上になるための土台」として見ることと思われる上(手伝うのがブレイク団というのがそれを鮮明にしているように見える)、マオの反応は、勝者になるという夢を両者が持つ中そこで生まれる敗者に肩入れをするのは夢への否定になるからこその懸念であろう ただどちらもそこまで深刻には受け止めてないだろうし、実際そこまで深刻では無い(マリィは優しいので…)

 

皆自分のアイデンティティが大事である 勿論当然だ

 

そして、ユウリ達はマリィが何か悪意等があるわけでは無いのを知っており、その上でアドバイスをする

 

最終的にマリィは勝負を見せることで人気になり、自分のアイデンティティを見つけ、ユウリに勝負を挑み勝つことで得られるアイデンティティは必要ないと判断し、それに合わせてブレイク団も同様にアイデンティティを見つけたから、マリィはユウリの店を再び手伝う事にする

 

ユウリは客を集める事を目標にしており、その過程で生まれてしまう敗者にばかり共感してしまうと、それはユウリ達の目標への否定になってしまう マオはそのような部分を描くためのキーパーソンとなっている

 

目指すアイデンティティが同じであれば共感し合えて仲良くなれるのは、原作剣盾は勿論、マリィとブレイク団、マリィとマイの関係性に描写されている

 

しかしマリィは勿論ユウリに勝って負かすためにブレイク団を手伝ったわけではなく、あくまで切磋琢磨をし合おうとしていたと思われる しかし、心の底では勝って負かしてアイデンティティを手に入れようとしていた節もあったと思う そこがライバルの生々しい苦悩である

 

マリィという心優しいライバルが持つ苦悩の末の行動は、ユウリ含む全員が理解しており、苦悩を乗り越えアイデンティティを得られたマリィと、それを全て理解し受け止めたユウリの2人は、ラストシーンではなんだか始めとは少し違った関係性に見える(「お疲れ様」とだけ互いに言うシーンだったり)

 

ユウリは自分が「負かす為」の存在として見られていたかもしれないのも、分かってたのかもしれません

 

こうしたアイデンティティを巡る年頃の苦悩といった要素は、さながら剣盾原作のようである

 

今回のポケマス夏ストーリーは、原作での主要ライバルポジションがマリィだったverのストーリーだったような気がする ミニ剣盾である

 

という事で、今回の夏ストーリーは剣盾のライバルというポジションを原作同様に鮮明化しているようで感動した、という話でした〜(全く纏まってない…)

 

勝負というのは当然勝った側と負けた側に分かれ、その勝った側に皆なろうとする訳ですよね そこにアイデンティティがあるので…

 

だから時には相手の事を、負かして踏み台にする為の存在として見てしまう事例もある訳ですね

 

しかし、この勝負という事を互いに分かっていれば、切磋琢磨し合う関係性となれる訳ですね ただそれでも負けた側になるのは辛くて…というのが剣盾で描かれた苦悩だと思います

 

マリィがブレイク団の店で出した物が「勝負」だったのは、そうした勝負の価値を表したのかもしれません 勝ち負けを決めるコミュニケーションに価値を見出していたのならば、それはこのストーリーのテーマが表れているとも思えます

 

きっと互いに十分色々と理解し合えてる関係性を持つ者同士の勝負は良いコミュニケーションとなりそれ自体が価値になるのでしょう

 

ユウリとマリィは、そうした「ライバル」になれたと思われます

 

 

元のタイトルの話はここで終わりますが、それにしてもユウリちゃんなんとも凄い人物というか、「剣盾原作主人公」のような凄みがありましたね…

 

常に平然と振る舞ってるけど、自然とライバルが出来てしまうほど色んなことが普通に出来てしまうという…

 

マリィの事も全部わかった上でアドバイスとか会話とかしてるように見えますし、その平然となんでも出来てしまう様が、原作の無口(?)な主人公感が出てて、普通に喋るキャラでありながらその凄みが原作再現のように描写されてて、相変わらず凄い…と思わせます

 

ここまでで本当に1mmも纏まったこと書かなかったのですが、一番言いたかったのは今回の夏ストーリーが剣盾原作のようにライバルの心情にに焦点当てていて凄かったな〜という部分なので、そこだけ伝わればそれで良いっす

 

最後に、ポケマスは第二弾のメインストーリーがあるのですが、ある共通点を持つキャラが中心となったシリアスストーリーらしいのですが、これはキリヤくんの話もあるので「ライバル」が共通点だと思いますが、今回の夏ストーリーがまるでその伏線のように感じちゃいましたね 妄想しすぎか…

 

ではこの辺で

 

【感想】ポケマスのゲーチスのエピソードがあまりに素晴らしかったので感想を書きたくなった話

ポケマスのゲーチスのエピソードがあまりに素晴らしかったのでブログにまで感想を書きたくなってしまった 

 

実はこれ、一度少し書いたが言葉が纏まらなさすぎて消したのだが、やはり文字に起こさずにはいられなくなり、もう一度書こうと思った

 

ゲーチスのエピソードの何が素晴らしかったのか、今からちょっとした考察も交えて書こうと思う ネタバレ含みまくるのでそこだけ注意

 

感想と言ったけど後半になるまで感想書いてない…どうしてこんなことに…

 

ちなみにこの記事で書かれている考察部分はほぼ全て筆者の憶測が常に混じっている事を了承して頂くことをお願いする

 

1. ポケモンBWとは

 

いきなり別の話題を振り始めてしまったが、感想を話す前にこちらの話をするのが欠かせないと思ったので、ざっくりとさせていただく

 

今回のエピソードの原作となるポケモンBWという作品は、「思想」がテーマの作品であった

 

ストーリーの内容については割愛するが、タイトルに沿って話をすると、異なる思想同士がまるで黒と白のようにぶつかり合ってた…というよりは誰かがいきなり「思想というのは黒が正しいんだ!」という形で黒という勢力が生まれ、それが持つ危険を防ぐ為に主人公達が立ちはだかる、という話だった

 

最終的に「黒」を主張していたNという人物は、主人公達の姿を見て、アデクの「異なる意見を拒絶するのではなく、受け入れるのが良い」という助言から気づきを得た後、立ち去っていってストーリーは終わる

 

一つの色を強制するように思想を強制するのではなく、異なる色を受け入れるように思想を受け入れよう、というのがストーリーの流れであったが、今回のゲーチスのエピソードはそのBWの話の補完とも言えて締めとも言えて、またテーマへの一つの回答を示した素晴らしいストーリーと認識した おまけと言っては何だが、キャラの魅力も大いに引き出しており、まさに素晴らしいストーリーに思えた

 

 

2. Nの掲げる理想とは

 

まだ前置きをしてしまうのだが、またしても語らざるを得ない要素として、Nはたびたび自身の「理想」を語っている事だ

 

Nは自身の理想を、「異なる考えがそれぞれ受け入れられる、黒と白が混じった灰色の世界」とし、同時に「それでも白だ黒だと主張する人はまだおり、まだまだ理想にするには難しい」とも言っている

 

 

N自身の使用キャラが理想の神であるゼクロムなのもあり、この「理想」に基づいてNは動いている、と考えられる BWのストーリー当初から一貫して「絆」を大切にしているNらしい、と言える

 

 

 

3.今回のストーリーに存在する一つの「要素」について

 

今回のエピソードを最初に読んだ時は、感動したと同時に何となく底知れない凄みを感じたのだが、それを知ろうと考えた結果、今回のエピソードの最後のシーンについて考えるとストーリーの全容が見えたような気がしたので、そこを語らせてもらう

 

 

・Nはなぜ今回のエピソードの最後のシーンで苦しんでいるのか?

 

・Nはなぜ「ボクは高望みしてはいけない」と、罪の意識があるような言葉を漏らしているのか

 

・Nはなぜ「苦しむ役」になったのか? 

 

自分は特に、Nはなぜ「苦しむ役」になったのかが気になった

 

個人的に答えは、なぜ「ボクは高望みしてはいけない」と、罪の意識があるような言葉を漏らしているのか、という疑問に隠れていると思った

 

Nが漏らした(というか心の声だった)その言葉は、Nの性格だけから来る言葉にしては後ろめたさの要素が多すぎると感じた 何か罪の意識が無い限りは出ない言葉である

 

最後のシーンでNの状況は、Nがゲーチスとの繋がりを保ちたいと考える一方、アデク達の「ゲーチスとは縁を切るべきだった」という空気に逆らってはいけない・自分がそれに逆らうのは罪だと考える、という状況である

 

ここでNが持つ罪の意識を、Nの過去を振り返りつつ考える

 

Nは過去(BW)で自身の思想を押し付けた、と冒頭に書いたが、その思想とは「ポケモンを人間の手から解放すべき」という思想であった

 

ポケマスのエピソードNのシーンでも、「ボクはポケモンとニンゲンの繋がりを断とうとした」と言っており、前述の過去の背景を加味して考えると、「ポケモンとニンゲンの絆を一方的に無理矢理絶とうとした」という部分が罪の意識としてある、と考えられる(エピソードNを見ると、冒頭でのアイリスとの会話からも分かる)

 

 

Nの罪の意識については考えられたが、それでも何故Nが持ってる罪を断罪させられる必要があるのか?という疑問を考える上で、今回のストーリーの一部を振り返る

 

一方的に絆を奪う事を罪とするNの意識を考えた上で今回のストーリーの一部をゲーチスに注目して大雑把に振り返る

 

 

ゲーチスはそもそもポケモンと人間との繋がりを絶とうとしたプラズマ団のボスであり、プラズマ団のそうした行動も全てゲーチスの私欲の為であった

 

そうした過去のあるゲーチスはNが自身との親子の繋がりを戻そうとするのを利用し、Nとゼクロムとの繋がりを絶とうとした しかし、同業者という繋がりのあるサカキから、その同業者という繋がりを利用され、逆にゲーチスとのキュレムとの繋がりを切られそうになる…

 

 

その後の展開は省略するが、ここでNの「他者の繋がりを一方的に絶とうとするのが罪」という認識と、Nにその罪が返って来ている事を踏まえて改めてこの展開を見直すと、ゲーチスは自身の罪が返って来ているのだ

 

ゲーチスは「他者の繋がりを、利用するという形で切る」という罪と、「人とポケモンとの繋がりを絶とうとする」という罪がそのまま返って来ているのだ(Nが自身と親子の繋がりを戻そうとしているのを利用した罪はサカキが自身と同業者であるという信頼関係を利用した裏切りとして、Nとゼクロムを私欲の為に切り離そうとした罪はサカキが自身とキュレムとの繋がりを私欲の為に切り離そうとする行為として)

 

 

長くなってしまったが、つまり作中では他者同士の繋がりを切ろうとするのが罪だとされている

 

これらの事から、作中では罪を犯した側は犯した罪が自身に返ってくるという「断罪」という要素がある、と考えられる

 

そうした事情を踏まえると、Nは自身の犯した「人とポケモンを切り離そうとした」罪がラストのシーンで「断罪」として返って来ている、と言える 

 

自分は今回のエピソードに、そうした「断罪」という要素が隠れていると感じた

 

 

4. ラストのシーンの詳細

 

Nが断罪の意識から自身が苦しむ事を受け入れてるのは分かったが、具体的にNはラストのシーンでどのような苦しみを背負っているのか?という部分を考えていく

 

ここでもう一度Nの過去を掘り下げると、Nはポケモンとニンゲンとの繋がりを絶とうとしたが、それを正しいと信じ込み、それを一方的かつ強引に押し付けようとした、という要素もある この「一方的に」という要素もNが感じている罪の一つと言える

 

根拠の一つとして、NはエピソードNにてトウヤから「Nさんはアデクさんに勝つほど本気だったんだぞ!」とNを褒めたのに対し、Nは「……………」と言葉に詰まる様子 どちらが正しいかをポケモンバトルの勝敗で決めていたからこそ、その一方的さに後ろめたさを感じているのだろう

 

 

Nはラストのシーンでは、ゲーチスと持ちたかった絆を(ゲーチスが切り捨てたのはさておき)アデク達に否定され、その否定された現実を受け止めている

 

Nに自身の犯した罪が返って来ているという現実・そして前述のNのそうした現実への受け止めから、絆が一方的に失われているという点も踏まえると、Nに、かつてNらプラズマ団によってポケモンとの絆を切り離そうとされた人間の苦しみがそっくりそのまま返ってきている、と考えた 

 

Nがラストのシーンで罪の意識から、アデク達のゲーチスとの絆の否定に対し受け入れている(反発してはいけない、という感情)事からも、かつてNがしてきた事のように一方的に否定という思想を押し付けられてしまっている、と言える

 

 

しつこくなってしまうが、かつてNがしてきた罪が返ってきている事を踏まえ、その罪というのは、一方的な思想の押し付けである事を考えると、その思想への反発をしていた側であるアデク達によって思想を押し付けられてる形となってるのを考えると、両者(アデク達と元プラズマ団)の思想というのは正しいものと間違っているものという関係ではなく、まるで黒と白のように両者が背反し、どちらも平等であると言える

 

思想という話題になると必ず起こる話題(言いたくないけどSNSとかだと嫌でも目にしてしまうのは周知のお話…)だが、思想というのはいつどの時代でも、どちらかが正しいという事はなく、常に個人の感情の一つでしかない、という話である

 

ポケモンBWというタイトルは、あくまで白と黒であり、間違っても正義と悪ではない(そんなタイトル嫌すぎる…)

 

思想というテーマを持ち、タイトルは「ブラックandホワイト」 白と黒の両者が平等に扱われているのと同じように、思想もまた優劣も何もない平等なもの同士、という表れである

 

ただ、原作BWが触れたのは「一方的に思想を押し付けるのは危険」という部分であり、原作BWのラストのNの「黒と白のどちらも受け入れるのが理想」という部分は、そのシーン以外ではあまり目に見える形では触れられていなかった印象(単純に自分の読解力が薄い)

 

黒という思想を一方的に押し付けるのがダメなら、その反対の白という思想も同様にダメだよね、という話が今回のエピソードのラストのシーンに描かれていた プラズマ団の思想の押し付けが危険なのと同じように、その思想に反対する、という思想を押し付けるのもまた「同じように」危険だ、という話であり、後者は「別のプラズマ団」なのである

  

「別のプラズマ団」側にいるのは、アデクだけではなくBW2の主人公であるキョウヘイでもあるのだ ポケマスをプレイすると忘れがちだが、主人公キャラは他のキャラとは違いプレイヤーが動かしてきたキャラなのである

 

話の筋を考えると極めて妥当ではあるのだが、「かつてプレイヤーが動かしたキャラもまた、見方を変えた場合の悪の集団の一部」だ、という現実をしれっと織り交ぜていくポケマス…凄まじい…

 

そしてその現実を見せる為に(というとアレだが)Nはそれで味わう苦しみを味わっている…何故ならかつてその苦しみをプラズマ団を率いて他人に味わせたから…だからNはアデク・キョウヘイ・シルバーの「別のプラズマ団」に苦しめられているのだ…

 

…とここまではキョウヘイ達を不当に悪く言ってしまったのだが、ここからはその話を少し修正(?)する…が、その前に、かなり前述での3つの疑問について整理する

 

とは言っても大方疑問は解決しているのだが、「何故Nが苦しむ役だったのか」について、少しだけ追加で考察する

 

この疑問については「Nが罪を背負っているからその報復」という形で答え終わっているが、ストーリー上での意味合いを考えるともう少し要素が必要となってくる

 

黒と白という二つの平等な思想、というのを示している今回のストーリーでは、それを示す為にNが過去にした事と今Nに返ってきている事を極力同じにしなければならない

 

Nは過去に罪のないニンゲンからポケモンとの絆を切り離そうとしたが、その危険性はアデク達にも平等に存在するのを示す為には、N自身が今回のエピソード内では「罪のない、そこらの一般人」と同じ繋がりをストーリー上で絡めるのが自然だ それが「親子の繋がり」だ

 

親子の繋がりは、作中では誰しもが求めてしまう繋がりであるのをアデクも共感という形で認めており、シルバーの苦悩からも分かる通りである 親子の繋がりという一般人でも求めるものを求めているNと、それを否定するキョウヘイ達という構図は、一般人とプラズマ団という構図と酷似しているのだ (実際はゲーチスが罪人である為事情は違うが、「絆を求める側」と「それを否定する側」という構図であることには変わらない)

 

 

関係性を出来るだけ同じにする事で、この思想というテーマの一連の問題を描くための要素を付け足している このために「Nが苦しみを受ける側に立つ理由」の一つである

 

 

 

5. (2回目)Nの持つ理想についてと、そこから分かるNの孤独

 

Nは自分の持つ理想を、黒と白の混じった世界と称した

 

黒と白が混じる事を、アデクは「異なる意見を受け入れる」と称した 絆を重んじるNの立場を考えると、異なる意見を「受け入れる」という行為は、異なる意見との絆を保つという意味とも取れる

 

今回のエピソードでアデクは海岸でNに対し「異なる意見とぶつかり、受け入れ悩み苦悩する… そこに人間味を感じる(意訳)」と言い励ました

 

勿論人は多種多様であり、キッパリと分けられる訳ではない 数式のように人を判断しようとしたかつてのNは、たしかに人間味は薄い

 

逆にいえば異なる意見への一方的な否定は、人間味が無いとも言えるし、同時にそれは異なる意見への拒絶である

 

ゲーチスはそのような過去のNに対し、人間味を見出せずバケモノと称した そして、Nが親子という絆を持ちたいという心を、それを利用するという形で完全に理解を拒絶し拒否するゲーチスを、アデクはバケモノと称した

 

そしてアデクは「やはりお前さんを止めるべきだった…」と、Nの心意気を否定してしまっている 前述の通り意見の存在自体への否定は、本人との心の受け入れの拒否であり、人間味の無い行為なのである

 

 

ところで過去のNは、前述の通り数式が好きで人を数式と同じように考えようとする、ちょっと人間味の無いキャラとして描かれていた ある意味では他のニンゲンと比べると異質である「孤独」な存在と言えた

 

しかし今のNはどうだろうか ニンゲン達が異なる意見同士が存在する事を知り、そこから絆を重んじる性格のため、それらが受け入れる、黒と白の混じった灰色の世界を理想としている

 

数式のように割り切れないのを人一倍知っている、ある意味人間より人間味の深いキャラとなっている

 

一方Nの置かれた現状はどうなのだろうか 親子の絆を持ちたいという感情はゲーチスからそれ自体を完全に否定され、アデク達からもある意味否定されている 形はどうあれ思想の否定をどのサイドからもされてしまっている、Nという異なる色が誰からも受け入れられていない現状は孤独と言える また、「異なる意見を受け入れられなかった」サイドであるアデクやキョウヘイ達を考えると、「異なる意見を受け入れられない」というのは、Nの言う理想からは離れている、と同時にアデクの言う「人間味」から離れている

 

言い方は最悪だが、ラストシーンでのアデク達もまた、バケモノに近い存在だったと言えてしまう 同じくゲーチスもまた絆を存在自体完全否定した為か、バケモノと称されておりNの周りには「バケモノ」しかいない、と言えてしまう(表現が適切では無いのは承知だが、作中の表現内で一番的確だと思われるのがこの表現なのである…) 

 

(また、ここまででかなりアデク達への批判をしてしまったが、自分はゲーチスと同じような悪、とは考えていない 後述するが、アデク達は絆の否定を強制してるわけではないが、Nはそれに逆らってはいけないと思ってる為に、結果的に強制してるようになっていると言える)

 

「バケモノ」しか周りに存在しないNの現状 黒と白とを受け入れている人間味のあるNは「人間」と言える

 

ただ一人あの場でバケモノではなくニンゲンであるNは、その意味でも孤独である

 

Nに課せられた断罪という枷は、絆を失わせようとする罪への報復である「孤独」という罪である…悲しい

 

 

6.何故異なる意見を受け入れる灰色の世界を理想とされているのか

 

今回のストーリーでは異なる意見が受け入れられている調和という状態を理想とされている それはN自身のが持つ理想、というよりはストーリー自体が持つ正義感のようなものとして感じる というのも絆を一方的に切ろうとしたNやゲーチスが、その報復を受けている事からも明らかである

 

「何故?」という疑問を突き詰めすぎても意味は無いと思うが、BWという作品が思想を題材にしているからだと思われる

 

無数にある思想のうちどれか一つが他のどれかより正しかったり優れているという訳ではなく、そのように正しくも間違ってもいないものを正しいものと主張し他者の思想を否定し潰そうとする、思想が絡む問題を描く上では、誰もが平等である事を示す為にもこの「灰色の世界」を理想とする空気が必要だったのだろう これに関してはそれ以上は詮索しても仕方ないのでここで終わる

 

ただ、ここで一つ重要なのはこの正義感はN本人が持っているそれと同じである事だ これがよりNというキャラの深みを増していると考えられており、物語上のキャラの立ち位置が分かりやすく見える

 

7.理想と対とされた存在である「真実」とは

 

ポケモンBWでは理想と対になる存在として「真実」が挙げられていた また、Nは自身の灰色の世界という理想を挙げた上で、「未だに世界では白だ黒だと主張されている」と漏らしている 

 

黒と白が調和するのを理想とするのならば、それと対になる「真実」は、世界は白と黒というような色が存在するのみ、という事だろう

 

(また、作中でNがその真実から唯一離れた存在なのか、またはそういう意図で描かれているのか、については不明だが、個人的にはその可能性もありつつ、「真実」としてNもまた例外ではない事も示されてる可能性もある…というのもN自身にも正義感はあるのが描写されているからである… ただ、これはあまり関係ない話でもある)

 

N本人はともかく、Nの周りは白だ黒だと騒がれているという現実があるのが、真実なのだろう

 

 

8.アデク達は本当に「悪い」のか?

 

これまで散々アデクやキョウヘイを悪く言ってしまったような気がするので、彼らのファンの中でこれを真面目に読んでる人がいたら、その中の一部の人は怒り、その矛先がこちらに向かってきそうな予感がするのでこれを書く

 

自分は実際彼らを悪い、というかゲーチスや旧プラズマ団のように身勝手な欲求を押し付けている、とは到底思っていない、というよりそもそも作中ではその真逆である事が描かれている

 

 

キョウヘイは、同じくBW2の主人公(バトルサブウェイのマルチバトルの味方…)であるメイという存在からも察するに、共鳴という言葉が名前の由来だと思われる

 

 

今回のエピソードでも、Nには人一倍共感する程の感受性を持っているし、「Nさんが幸せである事を強く望む(意訳)」と宣言している その上、冒頭では「被害にあった人のことばかり考えて、Nさん自身のことを考えていなかった」と、自身の主張を押し通しすぎてしまうのを自身の優しさで抑える描写があった この事からも、Nと同じように様々な意見を取り入れられる人物だと言える

 

同様にアデクも、海岸のシーンで「ワシには孫がいる… その孫が仮に悪の道に進んだとして、信じてくれと言われたら、ワシは信じてしまうかもしれん…」とNに話している

 

親子の絆はどんな時でも大切にする気持ちを、深く理解したこの言葉もまた、Nと同じように様々な意見を取り入れられる人物なのだ

 

だから間違っても自分勝手なキャラではなかったのだ

 

だからこそ今回のエピソードの最後のシーンで、ゲーチスアデク達の両者が黒と白というサイドで分かれた、平等に描かれている事に衝撃を受けた

 

かたや自分の私利私欲の為に絆を完全否定し奪おうとしたゲーチスと、かたやNの心を受け入れようとしたアデク

 

両者の理解度というのは甚だ違うというのに、最後のシーンでは平等に描かれているように見える… ここが凄まじい点である

 

ただ、これは明らかに最初に書いた方が良かったのだが、アデクやキョウヘイはNの「親子の絆」を否定はしているが、恐らくゲーチスのようにそれを強行はしないだろう

 

ただ、Nには罪の意識が存在する以上、一言言えば何か変わりそうな場面だったラストのシーンでは、「これ以上求めちゃいけないんだ」と、自身の罪の意識から、自分にその言葉を課している場面から察するに、アデクやキョウヘイはゲーチスと同じように強制的に思想を押し付けてるというよりは、N自身がアデク達の思想に逆らうべきではない、と思ってるからこそ、結果的に強制的になってしまっていると言った方が正しい

 

このような描写になったのは、思想というものが持つ平等な危険性を見せる為であり、何と言ってもNの持つ断罪の意識を描写する為であろう そしてこのような歯痒いままの終わり方になった(何よりも他のエピソードと違い悲しいBGMのまま終わった事からも顕著)のは、Nが持つ断罪の意識を示しているだけではなく、実際に断罪されている事を示しているのだろう

 

 

この項目を終える前に、「じゃあアデクさん達はどうすれば良かったのか?」という、自分に向けられそうな疑問について書く

 

特に前半の項目で偉そうにアデク達を批判しているような表現を使ってしまったような気がするが、これはむしろアデクさん達が優しく理解力もあり思慮が深い為に起きた悲劇だと思っているので、アデク達への批判の気持ちは無い

 

ただ、物語を踏まえた上で強いていうならば、Nという異なる意見が受け入れられる、という事が理想だったと言える ただ、今回のエピソードのラストがあのようになったのは、やはり思想が持つ要素を表す為であったり、Nの断罪の意識や断罪の描写を描く為であろう

 

今回のエピソードにトウヤが出てこなかったのも、そうした演出にする為だろう(単に出てこなかった説もあるが、あまり重要な問題でも無い)

 

 

 

 

9.補足

ここでは細かいストーリーの要素や、説明する最中で飛ばした要素を少し拾っていこうと思う

 

 ・物語中でシルバーがもつ役割とは?

  

シルバーはNと同じく、悪の組織のボスを父親に持つという共通点で出てきたキャラだが、まず、彼はNの優柔不断さに怒っていた節があった

 

彼はNと境遇が同じでありつつ白黒ハッキリしている為、「過去のN」のような立ち位置のキャラクターと言える 現在のNとの対比となる存在である

 

あとは親子の絆という話に関して、キョウヘイに対し「皆が同じように育ったと思うな…」「馬鹿な親を持つと苦労するんだよ…」と言っている事からも、人には様々な背景があり異なった思想も自然とできる事を示す役割の人物と言えるだろう

 

余談だがサカキは息子であるシルバーの成長した姿を見て、「良いものを見れた」と言い残して、特にそれ以上の成果は無かったものの満足そうに立ち去っており、やはり親子の絆はどうしても残っている事が描かれている

 

プラズマ団が罪のない人間から絆を奪おうとしたのと、アデク達がNの持つ親子の絆への欲求を否定したのは、被害の種類は同じなのか?

 

何言ってんだと言われそうな疑問ですが、簡単に言えばプラズマ団アデク達は本当に同じとして見なして良いのか?という話

 

結論から言えば、心への否定という側面では両者ともに同じと言える アデク達は思慮深く思いやりもあり、Nの話はNが思い詰めすぎずに内心を暴露すれば解決出来た話ではあるのですが、やはり言い返せない人間が強引に思想を強制されてしまっているという点では同じなのである(アデク達は強制してはいないけど、Nのような罪の意識がある人は自分から強制されに行っちゃうんですよね… アデク達の思想が持つ危険性はプラズマ団のそれよりはずっと小さいと思うが、実際に危険を味わう側からすると平等であり、それを描いている)

 

重要なのは否定された側の状況はどちらもほぼ同じである事だ

 

片方は罪のないニンゲンで、もう片方は親子の絆を欲しているニンゲンである

 

どちらも傷つけられれば同情されるような側の立場である

 

 

 

・原作のラストのシーンについて

 

BW原作は高評価であった一方、賛否両論でもあった作品だった

 

否の要素は様々だが、その一つに「悪役が好き勝手した挙句満足そうにどこかに立ち去ってしまい、話の整理がついていないというかカタルシスがない」というものがあった

 

 

そうしたカタルシスへの是非も一つの焦点であったのが原作BWだったが、やはり前衛的だったのか伝わり切らなかったように思える(エピソードデルタを思い出してしまう)

 

しかし、そもそもNはBWでは従来の悪役としては描かれておらず、それは従来の悪役として描かれているゲーチスとの対比にもなっているので明らかである

 

なのでカタルシスという形での他者からの断罪は無いのと今回のエピソードを踏まえると、そもそもBWのカタルシスというのは、「Nが一人で立ち去った事」なのでは無いか

 

絆を奪おうとした自分への贖罪として、ゼクロム以外との繋がりを切ったという話がBWだったと言える

 

その上で改めて今回のエピソードを見直すと、一度は断ち切ったトウヤやアデク(やそれ以外のキャラ)との繋がりを、孤独でいるべき(とNは勝手に思ってる)であるNは、その繋がりに感謝しつつ、彼は自身への贖罪は終わってないと思ってるので、その絆に逆らってはいけないという意識があるから、あのような結末になった…と言える

 

 

 

ゲーチスの「人とポケモンを切り離す」という絆への否定と、親子の絆を利用する、というのは同じく「否定」として描かれたが、本当に同じ事なのか?

 

同じ事なのだろうけど、「親子の絆」の否定というだけで作中の悪という位置付けになっている訳ではない事を書いておく

 

エピソード中でも一貫している事だが、「悪」とされている事は絆を切る事ではない 異なる思想に対し、まるで黒に対し白を強制するかのように違うものを強制させる事が悪とされている

 

厳密にはトレーナーがポケモンとの絆を切るのが悪というより、他人であるトレーナーとポケモンとの繋がりを切ろうとするのが悪とされているのである

 

ゲーチスはただ絆を切ろうとしただけでなく、Nの絆を持ちたいという欲求すらも否定したので悪として描かれている、と考えられる

 

 

 

 

 

10.ゲーチス等のキャラの魅力の出させ方

 

ここまでを振り返った訳だが、最後はストーリーの深部というよりは、直接的な感想に立ち戻って書こうと思う(この記事のタイトルは感想だったのに今まで書いてなかった…)

 

そもそもポケマスというゲームは、原作のキャラをそのまま持ち込もうとしており、新たに脚色するのは控えており、キャラ同士の新たな絡みはあるとしても出来るだけそのままの状態を保とうとしている そこが人気である理由の一つであり自分も好きで尊敬している部分である

 

そんな中ゲーチスがパシオに来るという情報は、ユーザーの皆も流石にそのまま参戦するということは難しそうに思えて、ゲーチスが改心してしまうのでは…という僅かながらの不安を抱えていた

 

そんな中迎えたストーリーのリリース そんな不安を一蹴するかのように、ゲーチスの開幕のセリフの「私と関係を戻してくれませんか…?」という紳士風の演技からの皆知っての通りのあの様子 ゲーチスへの不安など感じてる場合では無かったという、安心を通り越した別の感情が渦巻かれたストーリーであった

 

しかし、ゲーチスのヤバさの描写はここだけでは収まっていない 皆が知っていたゲーチスのヤバさの描写に感動した部分は、最初の騙すシーンと最後のNへの発言だけでは無かった筈

 

つまり、サカキからキュレムを奪われそうになるシーンである 

 

敬語が抜けて本気で怒っていた所だけではない要素がある それはサカキからキュレムを奪われそうになっても狼狽えなかった事である

 

ポケマスは元来ポケモンとキャラクターとの絆を、1対1という関係性で強く描写しており、まるで家族のような、通常何よりも失いたくない絆として描かれている 原作以上にその意味合いを込めて作られているのは、作品の方向性からも明らかだ

 

 

シロナ=ガブリアスだったり、ダイゴ=メタグロスだったりと、まるでアイデンティティのようにさえ描写されている 

 

アイデンティティのように何よりも失われたくないもの、というのは、本人の生きる目的とさえ言える

 

そんな中、同じく冒頭で「私に残っているのはこのポケモンだけです…」とキュレムを出すシーンは、他のキャラと同じようにポケモンを自分のように大事にしているシーンに見える

 

だからこそサカキに自分のかけがえのない絆であるバディーズを奪われかけたシーンは、その話の流れを考えると、N達に助けてもらった際には自身に降りかかる本当の惨劇から守ってくれた、と認識する為、それなりの言葉を言う筈である

 

しかし実際は都合の良い存在が自分を守ってくれたという認識である キュレムもまたNと同じように、自身に都合の良い力の一部でしか無かったという話であった

 

ゲーチスは他とは違い一際ヤバいキャラだった(普通の感想…)

 

 

11.感想

 

え?!今になってそのタイトル?!という話だが、今になって感想を書く…

 

本当に白と黒とで、とことん対照的に描かれている凄まじいエピソードだった キャラの魅力の描写は勿論、思想というテーマへの答えを描き切り、尚且つキャラ同士での不自然なく綺麗に収めた今回のストーリーは、一際違った面白さがあったので、こうして思わずブログにまで感想を書いた

 

ストーリーのクオリティに、毎回ただ驚かされるばかりである…

 

他にも感想とかあったら語りたいですね というかいまだにこのストーリーの他人の意見を聞きたいくらい 

 

面白い感想あったら出来るだけ見つけたいですね

 

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結局ワンピースってなんやねん

多分一繋ぎの秘宝はロジャーが見つけたのはそれまでの歴史がそのまま乗ってた物なんだろうな ただ20年後以降のは載ってなかったっていう

 

そりゃ全部書いてあるなら戦ってた相手も味方もバカバカしくなるわな

 

ワンピースは世界一美味い酒 古代兵器を3つ揃えれば手に入る的な うーむ分からん

 

海軍が隠し通している空白の100年は、それこそ邪智暴虐の類の行動だと思われる 真偽問わず海賊だという時点で捕まえてるのは、逆に自身の海賊行為に後ろめたさを感じているからなのでは? ドフラミンゴ41歳が言ったように「勝った奴が正義」ならば、海軍は勝った側なので正義を手に入れている

 

 

いや、さっぱり分からん 取り敢えず既得権益や逆らえない運命に反発する、というのが大きな路線なんだろうけどもね レイリーは「まるで大航海時代はロジャーが作ったようだ」というウソップの発言に「それにはまだ答えかねる」と答えていたり、レイリーの「我々は歴史のすべてを知った…」という発言だったり… 後者は「過去の歴史だけじゃ無くて未来の歴史も知ったのでは?」と思ってしまう

 

歴史に関わる事、というか予言のような物だったり、人類皆平等だった、天竜人も一般人も同じだった、というような内容が少なからずあると思います あとはもう分からん なんなんだあの作品

 

ではまた

【ポケモンORAS】エピソードデルタの謎に迫る

久しぶりのブログ更新なので書く時のテンションすら思い出せない…

 

相変わらず自分、特に理由もないのにスマホで描いてしまう人間なので今回もまた色々と雑だが、まあブログってそんなもんでしょ(挨拶)

 

 

 

さて今回も雑に書いていくが、タイトルにあるようにこの記事ではポケットモンスターORASの、クリア後ストーリーであるエピソードデルタ(以下エピデル)について書こうと思う。

 

今まで「謎」とか「意味不明」とか言われ、時に嫌悪感まで抱かれて一部キャラクターは未だにアンチが多くなってしまうハメになったが、ストーリー自体はクオリティが低いという印象は案外持たれにくく、何か裏はあるんだろうが、その裏についてよく分からないという印象を持たれやすいこのストーリー。

 

その謎大きストーリーの「謎」に迫りたい!というのがこの記事の内容である。

 

この謎を突き詰めると、どんどんエピデルの魅力が分かって来たのでいっそこちらに記そうと思った次第である。

 

 

さて、この記事を読んでる方にまず問いたい。

 

エピソードデルタ、初めて見た時どう感じましたか?

 

単純に面白かったとか、レックウザがカッコよかったとかの他に、不可解に感じたり、納得いかなかったりしたという感想を抱いた方がかなり多いと思う。

 

今回はその「不可解」な部分を生み出した要素を中心に、エピデルの謎、本質に迫りたいと思う。

 

 

まずエピソードデルタについて軽くおさらいすると、

 

舞台となっているホウエン地方に突如隕石が衝突しようとしており、隕石から守る為にホウエン地方の研究者が隕石を別の時空に移動させる装置を開発したが、実はその装置にはポケモンの生体エネルギー(ポケモンの命?詳細は不明だがポケモンの犠牲を必要としているのは間違いないらしい)を利用しており、隕石の落下を予言で知っており行動していたヒガナは、研究者がポケモンの犠牲を生んだ事に呆れ、隕石を移動させる装置を壊し、研究者一同は騒然

その一方、ヒガナの案は、多数のトレーナーの持つメガストーンを盗み、レックウザを呼びメガシンカさせる事で、メガレックウザに隕石を破壊させようとしていた そしてメガストーンはヒガナによって盗まれた

プレイヤーはヒガナの動向を追い続け、ヒガナはレックウザメガシンカさせる準備が出来た際、主人公に自分の所に来るよう招いた

ヒガナは主人公に過去の歴史と自分の野望について語る(大まかに言うと、過去に1000年周期で隕石が降ってるけど、次隕石が降るのが今であり、今まであらゆる厄災をメガレックウザが沈めて来た。ヒガナはメガレックウザに隕石を壊してもらおうと思ってる、という内容) 

ヒガナは盗んだメガストーンをレックウザの前に置くが、何故かレックウザメガシンカしない…ヒガナが絶望していたその時、主人公の持つ隕石にレックウザが反応し、レックウザはその隕石を喰らい、主人公と絆を結び、メガシンカ出来る様になった。

そうして無事主人公とレックウザによって隕石は壊され、ヒガナは一連の出来事が終わった後、どこか遠いところへ旅に出た…

 

 

というお話でした まあこの記事はエピデルをプレイしてる人向けの記事なので、あくまでおさらいであり、細かいところで抜けてる部分があるのは了承願う。

 

さて、ここまで雑な振りになったが、ここからも雑なまま進行していく。主にエピデルの謎を考察してから、エピデル全体の詳細を考察していく流れにしようと思う

 

1.何故ヒガナの言動は自信満々だったのか?

 

雑なタイトルですまない…ここの項、かなり長くなると思うので了承願う(分けた意味…)

 

作中序盤から、ヒガナは自分の言動、ひいては理念、信念にやけに自信ありげな様子が多かったと思う

 

洞窟内で主人公に発した、「人は一体何を正しいと思って行動しているんだろうね?(意訳)」という言葉等、ここでは列挙できないくらい自信ありげな言動が多かったように思われる

 

まるでこの先何が起きるか知っているかのような程、自信のある行動をしていた。

 

 

彼女は未来にでも行って全てを知っているのだろうか?真相はさておき、ここでプレイヤーが感じた違和感、ひいては嫌悪感にまで行きつくヒガナの行動は、自信が膨れ上がったのか、研究者を中心とし、ダイゴ含めた大の大人を度々バカにして上から目線で言葉を喋っているポイントであるだろう

 

本編ではダイゴ含め、研究者達が隕石から世界を守ろうと努力して来たのに、彼らは何も考えてないと、真っ向から小馬鹿にするような態度を取り、努力の結晶である装置を壊してしまった

 

彼女は本当に「何か」を知っていたのか?知っていたとして、彼らを否定し馬鹿にする意味はあったのか?

 

 

まず、何か特別な事を知っていたか否かについて、彼女の情報を改めて軽く振り返る

 

 

隕石を予言し隕石から世界を守る使命を果たす一族の末裔であり、予言の能力を持った姉(シガナ)がいたが、本人はただの能力の無い少女だった しかし、姉が行方不明になり、残った一族は祖母とヒガナしかいなくなり、隕石から世界を守る使命を祖母から半ば無理矢理授かった

 

ORASで知れる情報はこれだけであり、その他公式がインタビューで、ヒガナはまったく普通の少女である、と明言されている

 

ヒガナが実は過去に行ったり未来に行ったり出来る少女であり、その過程で情報を得た…という設定は、正直恐らく無いと踏んでいる(過去記事にて稚拙な文で書いた、ヒガナは過去や未来に行っている、という記事を書いたが、正直言って根拠として薄かったと思う。しかし、どちらにせよ結論はそこまで変わらないと思っている)。

 

ヒガナは一族の末裔のみ知っている情報(主に上記の歴史の部分)を元に、隕石を壊そうと画策していた

 

それなら何故、同じく隕石を壊そうとしていた研究者やダイゴに向けて、いわばヘイトをぶつけるように嫌い見下していたのか?これが主な考察点である(前置きが長い…)

 

ポケモンを犠牲にして装置を生み出したのは確かに間違いないが、それだけだと見下している理由としては弱い。

 

犠牲を承知で装置を作ったダイゴ達に向けた、「想像力が 足りないよ」

というセリフに代表されるように、研究所でヒガナはダイゴ達に、彼らが何も考えていない、思考を放棄した、と言い放っている。

 

実際は思考停止とは当然思えないし、当然正義感がなければ、ましてや思考停止なら装置など作れるはずもない 背に腹が変えられない究極の決断の中、ポケモンの生体エネルギーを使った装置を作る事を決めたのである。

 

ここの苦しい葛藤を、思考停止と決めつけた部分がヒガナに対し嫌悪感を抱く要因になってしまっていると思うが、それはさておきヒガナは何故彼らを思考停止と断定したのか?

 

ヒガナは当初から、一族の教えである、メガレックウザに願いを伝え隕石を壊すという、当然成功すればポケモンの犠牲は出さず、隕石も壊せる一つの完全回答であり、成功率が極めて低いという点に目を瞑れば、ポケモンを犠牲に生み出された装置を使うより案としては良い

 

しかし研究者一同が努力を怠ったという事にはならない。

 

改めて問う 何故ヒガナはダイゴ達を思考停止だと言ったのか?

 

 

 

 

 

思考停止だと、思いたかったのではないか

 

 

 

 

 

大変具体例としては良くないが、私達の身の回りにもこのような人物はいたのではないだろうか?

 

何かを知らなかったり答えに辿り着かないだけでバカにするような人物に…

 

自分が今これを恨み節込めて書いているわけではないが、身の回りに一人はいたような生々しさを、ヒガナから感じるのである。

 

 

話を戻すと、ダイゴ達を思考停止だという風に曲解してまで見下したのは、それだけ一族の教えであり一族にしか浸透してない、「メガレックウザを呼び隕石を壊す案」を知っている事を過剰に誇りに思っており、その知識を持つことこそが正しさだと思っていたのだろう。

 

だからこそその知識を持たない人間を見下し、いつしか、人々が悪い評価を持っている「思考停止」な人物だと思うようになったのだろう

 

勿論実際は確かに辿り着かない人間が思考停止でも愚かでもない。ヒガナが間違った結論に一直線にたどり着いたのは、そうした誇りと彼女自身の差別心が原因なのであろう

 

しかしこれだけでは理由は弱い。そのような誇りを第一に信じるような原因について語られてないからである

 

 

ここでヒガナの生い立ちについて改めて振り返ると、

 

ヒガナは元々伝承者では無かったのに、伝承者の姉が行方不明になり半ば強引に伝承者になった。

そして新たにヒガナの情報について、ヒガナはエピデルが終わった後、祖母の所に行き、祖母は今まで重圧をヒガナにかけ、全ての責任を負わせていた事を詫びた

また、ヒガナは主人公に、「キミは苦しくなった時空とかを見る?(意訳)」と投げかけ、その後ヒガナは姉のシガナに会いたい、と嘆くシーンがある

 

 

これらの事から多少予想も交えて推測すると、

 

 

ヒガナは幼少期に姉を失い半ば強引に伝承者になり多大な責任を負う立場になってしまった

心の拠り所は少なく、姉を行方不明で失ってる為、相棒のゴニョニョに姉の名前をつけてしまうほど寂しい思いをし、伝承者という立場から失敗等の恐怖を怖れ不安のどん底に沈んだヒガナは、自分が選ばれし伝承者であり人を救う立場である事を心の支えにし、自分を保っていった 伝承者として人より立場が上だと思っているヒガナは伝承者でないのに世界を救おうとしている人々を、自分の誇りのせいで勘違い、想像力の足りない人間達だと見下した…

 

 

幼少期から続くプレッシャーから歪んでしまい、人を見下す性格になるという流れはなんとも生々しいが、特にあの見下し方の妙なリアル感が生々しさを生み出し時に嫌悪感を生み出してしまったのかもしれない

 

一つの章を終える前に余談を挟む

 

まず一つは、ダイゴ達はヒガナの言葉に反論できず、見下される事に反発しきれなかった事である。

ヒガナの論は正しくはないが、その間違いをハッキリ指摘するようなシーンは無かった。

 

これに関しては、ダイゴ達側は、「人々の命を守れる」かどうかに価値の有無を見ており、それが出来ないのを思考停止と罵られても、それを部分的に肯定している以上反論しきれなかったと推測する。

 

ヒガナの狡猾さ(表現正しくないかも)が垣間見えるシーンである…

 

余談もう一つ目は、ヒガナが自分を人より上と思い込んだのは、伝承者という立場の他にもう一つ理由があるのではないかという事である

 

簡潔に言うと、それはマグマ(アクア)団を手中で操った経験だと思っている。

 

この話に関しては証拠の無い予想に過ぎないが、ヒガナをわざわざ殿堂入り前からストーリーに絡ませ、エピデルでマグマ(アクア)団と深く絡ませたのは、何かしら理由があると自分は踏んでおり、それがこの話だと思っている。

 

2つの予断を挟みつつ、この話を終わりにしようと思う。

 

2.何故レックウザはヒガナの力でメガシンカが出来なかったのか

 

そりゃレックウザの力が弱まったからって言ってただろって言ってしまえばそれまでなんだが、少し話をずらし、

「何故ストーリー上でヒガナの力が及ばないような話にしたのか」

 

について書こうと思う。

 

ヒガナは確かに使命のために急いでいた部分もあるかもしれないが、レックウザが仮に従来の力があれば、ヒガナの行動と努力はしっかり報われ、無事レックウザメガシンカしたはずなのである。

 

それでは何故ストーリー上では、レックウザが力が弱まっておりヒガナの力ではメガシンカ出来ないという展開になったのか?

 

ただの理不尽要素?否、それはストーリー上の重大な局面の要素にしては弱く、大事なシーンに入れ込むような要素とは思い難い。

 

 

即ちここでヒガナが失敗する事を、ストーリー上の重大な要素として設けた。

 

これは、準備不足というヒガナの弱さを描いているのか?否、それはエピデルレックウザが弱まっているという事までを念頭において行動しよう、という教訓を伝える話になるが、そもそもレックウザの性質を予想で知ることなど不可能であるので、これを予測する事の大切さとして伝える話だとは思い難い

 

ズバリ、これはヒガナへの制裁だったと踏んでいる。

 

この話をする前に、ポケモン過去作の「制裁」について持論を踏まえつつ語ろうと思う。

 

まずXYに登場するキャラクターのAZ。

 

彼は彼の死んだポケモンのために最終兵器を起動し、多数の命を犠牲にした。 そしてその最終兵器で彼のポケモンを蘇らせるも、彼もそのポケモンも永遠の命を得てしまい、そのポケモンは彼に愛想を尽かし自ら離れてしまった

 

彼は「生」を求める為に犠牲を出した結果、「生」に苦しむ目にあった。

 

次にORASマツブサ(アオギリ)

 

彼は陸(海)を増やし悪環境を改善しようとして悪さをし古代ポケモンを復活させた結果、甚大な被害を被る事になってしまった(未遂)

 

 

彼は陸(海)を求める為に犠牲(悪さ)を出した結果、陸(海)に苦しめられる事となった

 

(この他もう一人フラダリという人物がいて、彼は命の数を減らそうとして犠牲を多少出そうとした結果、彼だけが犠牲になる事となったが、これは少し制裁と言うには違うとも言えるので除外した)

 

このように一部登場人物の行く末は、どこか共通点があると思って列挙した次第である

 

大胆な予想として、何か犠牲を出したor出そうとした結果、その何かに苦しめられる、という一つの決まりがあるのではないか、と思っている

 

何にせよ、犠牲を生み出して得る利益は実を結ばない、という決まり事のように見えた所存である

 

 

ここでヒガナに立ち戻ってみると、彼女は前述を踏まえると、何よりも己のプライドを第一に動いており、装置を壊す等(マグマ団やアクア団に入って悪さをしたことも含めるかは微妙)「犠牲」を生み出した結果、レックウザメガシンカしないという「制裁」を受けた。

 

前述の悪役等の例を踏まえると、何が利益で何を犠牲とするかは人それぞれだと思うが、自分の意見としては、

 

ヒガナは「己のプライドの為」にメガストーンの略奪や装置の破壊等「犠牲」を生んだ結果、レックウザメガシンカせず、このままでは世界が終わるという、自分の使命を果たせない事からの、「己のプライド」を完全にへし折られる「制裁」に繋がる

 

と考えている

 

 

実際この通りでないかもしれないが、高飛車で身勝手に振る舞いすぎた結果制裁をくらった、という認識までは一致していると思うので、大方正しいと踏んでいる

 

 

ちなみにポケモンはどの作品でも、「誰が正しく誰が間違っている」という基準を設けた事は無い(筈)

 

いかなる人物が思うままに行動しており、ゲームソフト単位でねじ伏せられるような事は無い

 

しかしどのソフトでも、犠牲を出そうとする登場人物がおり、それを常に防ごうとする役割の人物がソフト毎に存在する それを次章で記す

 

 

3.主人公とは?

 

orasに限らず、ポケモンのストーリーにおける主人公について皆さんはどう思っているのだろうか

 

結論から言うと、「答えを出し、実行する存在」だと思っている

 

何を言っているんだお前はと言われそうだが、まず主人公はいつも常にどのシリーズでも登場人物から特別視されているのは間違いないし、皆も実感していると思う

 

そして何より、犠牲を生み出しまいと行動する人物だと思っている

 

 

どのシリーズでも、誰が善か悪かどうかは明言されなくても、目の前で苦しんでる人がいたり、犠牲が生み出されようとしていたら、真っ先に身体が動いてそれを阻止している印象、皆さんも一度は抱いたと思う。

 

 

ことORASに関してはこれは顕著で、まずグラカイから守る為に主人公は専用スーツを着用し、危険な任務をこなし無事解決した

 

 

そしてエピデルでは、偶然持っていた隕石がレックウザの力を取り戻し、レックウザと絆を交わし、力を合わせて隕石を壊して結果的に何の犠牲も生み出さず、世界を救った

 

 

後者は特に顕著で、運も交えるほどである

 

他世代でも何度も見られるように、主人公はとにかく犠牲を生み出さないような動きをする

 

その一方、犠牲を生み出した人物には制裁されるようにも出来ている

 

 

プレイヤーが動かす主人公は、歩む道をある程度定められており、犠牲を悪とする世界の意志を踏まえると、主人公はまるで天からの遣いのように感じられる。まるで犠牲を生み出しまいとする世界の意志に従うように…

 

 

エピソードデルタでは、主人公が運よく隕石を持っていたから犠牲を出さずに解決したが、逆にこのような奇跡でもない限り何かしら犠牲を生んだと考えると、現実の世界ではこのような人物はおそらくいないので、逆に利益を得る為には何かを犠牲にしなくてはならない、というエピデルを通じて出された厳しいメッセージのようにも見える

 

 

4.総括

 

ここまでの話をまとめると、自分の推測するエピデルはこんな感じです

 

ヒガナは幼い頃から伝承者という立場の重圧に苦しんでて、自分は伝承者だという誇りが自分を支えてて、次第に自分以外の人間を見下すようになって、いざ隕石を食い止めようとするとき、マグマ(アクア)団を操ったり他人のメガストーンを盗んだり、研究員の装置を破壊したりした結果、それが祟ったのか失敗し、その時主人公が運と力でレックウザと絆を結び、何の犠牲も出さず無事終わった

重圧から解かれると同時に自分の事を知ったヒガナは祖母に慰めてもらい、遠い旅に出た

 

END

 

 

といった感じですかね

 

ヒガナは終始上から目線でしたが、終盤で弱みを出してしまう点からも、人間意外と分からないという事も伝わってくるストーリーでした

 

5.終わりに

 

もう少し長くなるかと思ったが、荒削りしたせいか、かなり短く収まった気がする

 

ストーリー上の細かいセリフや気になったセリフを解説するような事は出来ず、大雑把な内容になってしまい、皆の抱くエピデルへの違和感を払拭するような事は出来なかった

 

しかし、なぜか思ったより短くなったにせよ、大体書きたい事は書けたような感覚は何故か大きく、不思議ですね

 

今回の私の駄文がきっかけになる事は無いかもしれないが、エピデルについてまた話題になってほしい、という感情はあります

 

ピデル、考えれば考えるほど面白い作品なので…

 

では、めちゃめちゃ眠い(午前3時)のでここで終わりにします

2021/05/01 追記

 

そういえば、アオギリマツブサは伝説のポケモンに関わる悪役だった訳だが、ヒガナはレックウザ版のアオギリマツブサ枠だったのだろうか?という疑問が個人的に湧いてきたのでここに追記します

 

諸説あると思いますが、アオギリマツブサはやはりただの過激派環境保護派だと思うんですよね というのも行動からして本音は世界征服じゃないのかと思ってましたが、野望が失敗した際、というか伝説達が暴走した際に彼らは(どちらか1人が)「こんな事を望んでたんじゃない…(意訳)」と発言してたので、少なくとも目的としては環境保護だったんじゃないかな〜って思います

 

何故過激派環境保護派になったのかに関しては(自分のしてる事が正しい!と、プラズマ団のように信じてる描写とかがあるなら判断材料にもなるのですが、流石に覚えてないのでここは憶測です)、何というか現実にいる過激派な自然派とか過激派なヴィーガンとかの既視感を感じましたね 自己顕示欲の為に掲げた目的のために伝説のポケモンを、その目的を叶えてくれる願望の対象として見ているような感じがありました

 

勿論上記は憶測なのですが、少なくとも団を作り過激に運動してるのが一つの根拠のように思えます

 

何が言いたいかというと、ここがヒガナと同じに見えるんですよね 説明はさておき、彼女もまた同じ存在に見える…

 

勝手な願望を叶えてくれる対象として、伝説のポケモンという生き物を利用しようとすれば、そんな都合の良いことは起きず、その欲求を見透かすかのような報復が自身に返ってくる、という物語なのでしょう 利用しようとしたのが伝説のポケモンという強大な力であることに関して、その利用しようとした強大な力というのがどのような意味合いを物語に持つのかどうかは、自分には掴みきれませんでした…

 

 

 

ならば尚更主人公という存在って何だろうって思いましたが、やはり「答え」なのでしょうね

 

問題を解決しようとする事への自己顕示欲の為に利用しようとしても出来なかった伝説のポケモンを、特に問題解決しようという心情は露わになってないけど他には無い素質を持ち、その上スーツが目の前(手持ち)にあるという偶然が重なった人物こと主人公と、心を通わせ問題を解決するという…

 

話の悪質な曲解のしての例を出して申し訳ないのですが、皆に認められたいが為に学歴を強く欲するようになり、「自分にはこれだけの学力があるんだ!」という妄想を強く信じて、現実に直面した際絶望する最中、本当に学力を持ってる人は平然とした顔で世を生きてる…ような話と似ていますね(前者は筆者の私の事…というのはどうでも良い話)

 

最終的には表ストーリーとエピデルのどちらともハッピーエンドだった訳ですが、その裏には才能や素質の壁という結構無慈悲な話がひっそりと存在する、ちょっぴり虚しい話でもありましたね

 

てことで追記を終えようとしてますが、とある話を思い出したので更に追記

 

結構前のポケマスのホウエントレーナー全員集合イベントで、チケットが2000枚貯まると(二日で貯まる)全員の集合写真を撮ってクリアになるのですが、その際ユウキがヒガナにも入ってもらいたいが為に手を無言で振って、ヒガナは無言で手を振りかえすんですよね しかもその後ユウキとハルカは普通に喋ってるっていう…

 

あの手を振る瞬間だけユウキは原作主人公の振る舞いなのも良いし、ヒガナが無言で手を振るのが…もう……エモい(感情を説明できない時に苦肉の策として使われてしまう表現)ですね

 

いや本当に説明出来ないですね() ヒガナの感情としては、イキってた時にまるで赤子の弟(妹)のように接していた人間に、その感情を全部行動で気づかせて、おまけに自分が持ちたかった素質を持っていたと気付かされた人物ですからね その人物に手を振られた時の感情というとね… 無言で振り返すのが無難な対応とはいえ、来るものがありますね ホント

 

(あとポケマスでのORASの主人公ポジはユウキだったんですね ハルカは図鑑集めとしてのキャラを強調されてたので尚更ね というかイースターイベントのユウキさん、心震える活発思春期男児でしたね マジか…wwwwってなりましたwwww ぶっ込んできててウケた)

 

また何かあったら追記しますね というか、また近いうち何かありそう…(念の為ネタバレ厳禁でお願いします)

 

ではまた近いうちに…

 

 

放置しすぎてたので何か書く

とは言っても書く事何も無いんですよね…昔は吐き捨て場はブログとかだったけど今はTwitterにまとめて書くようになるってのは本当ですね ちょっとTwitterみたいに吐き捨てたいけど文字数が多いからかわりにブログに書きますね 大した事は全く話さないです ツイートレベルのどうでもいいお話です

 

このブログで何を書こうとしてたのか思い出していたけど、確かポケモンのストーリー?について気になった事書く的な目的だった気がする

 

気になってた事はxyからウルトラサンムーンまで時間と空間についての話があった(気になる人はググってみてね ヒガナ 考察で検索すれば多分わんさか出てくる)けど、あれがマジで面白かったけど、ウルトラサンムーンでなんか一区切りして剣盾以降全く新しくなって、剣盾は過去作と一切切り離したような世界なので、それも面白いんですが寂しい気持ちがないといえば嘘ですね

 

1文が長過ぎる…古典か…???

 

まあつまりヒガナで話題になったあの時間関連のお話に凄く惹かれて色々追ってたけど、剣盾はその話関係なくなってちょっとだけ寂しーなーっていう話です それはそれで良いので文句とかでは一切無いんですけどね

 

更にツイートっぽい文が続きます

 

過去に書いた記事といえばヒガナの考察記事くらいしか覚えてないけど、実際ヒガナは凄くミステリアスだけど、ただ謎を出すだけのキャラじゃなくて、何か分からないけど真実を抱えてる感じが凄く興味深くて、ヒガナちゃんよりその真実が気になって考えてたこともありましたね(考えてた記事はこれの直前の記事にあります もし良ければ一緒に考察してくれると嬉しい)

 

戦争が起きて2つの世界線が生まれたとかいうけど、何でそれで生まれるんだよっていうのが気になって書いたような気がする

 

あの時間関連の話はマジで面白いし、このまま終わって欲しく無いな〜っていう気持ちが強いですね 個人的に製作者側はその話は、ウルトラサンムーンのサカキの最後のセリフ「さぁて、次はどこの世界で悪だくみしようかね…」で全部まとめたことにしてるような気もしますが…

 

 

あとはそうだな…ポケモンの対戦の方の話でもしますか

 

まあ頭で考えても正直このゲームの勝つ大まかな方法すら未だにわかってないし、何しろ前作で自信ある構築で酷く負けすぎたのもあって全然潜れて無いんですよね 潜れる時間が多いわけじゃ無いけどそれが原因とは言いづらいレベルです

 

 

突然ですが大昔自分がポケモンで勝ちたかった理由の本命って、ぶっちゃけ言うと強者になって多くの人間からチヤホヤされたいな〜って思ったからなんですよね

 

まあ現実は人より強くなるなんて自分から叶えようとするのには限界あるし、ましてや思考が未熟すぎて全然届かないし…

 

人より強くなるって実際はいつでも叶えようとして叶えるような願いじゃ無いんですよね 何故ならそれは自分より弱い人間がいて初めて成立する願いなので、極論言えば自分以外自分より数倍強い世界だったらその願い叶わないわけですよ

 

チヤホヤされたいっていう願いも、自分を評価する他人がいて初めて叶えられる願いですからね

 

叶えられる願いは、自分が昨日より強くなる、くらいですね 自分との戦いが全てです

 

「チヤホヤされたい自分が昨日より強くなり、チヤホヤされるようになった、自分は努力してチヤホヤされた」と思ってる人もいるけど、実際チヤホヤされるかは評価する側の人間によって決まるしうーんってなりますね

 

実際チヤホヤされたいっていうのが原動力になる人もいるし、強くなりたいという気持ちがその人を無限に強くさせられるわけでも無いし、その2つに違いはそこまで無いのかもしれませんね

 

結局どんな願いも、本人の力次第ですね ただそれは才能や性格等生まれ持ったもので決まるかもしれないし、はたまた努力して勝ち取るものかもしれないし、実はその2つは一緒かもしれないし、本人の力って何なのか、全くわかりませんけどね

 

 

チヤホヤって書きすぎた…この言葉あんまり好きじゃねえんだよな… 

 

 

話を戻すと、まあ一言で言うと自分は他人から評価されたくてポケモンやってたけど、その願いを叶えるのは難しかったから、夢破れたのもあってポケモン対戦から離れてました 

 

そもそも自分は自分が評価されたくてポケモンしてることに気づけてなかったな〜と気づいて、冷静に考えて見てその願い叶える必要あるんかな…って思っちゃって、それでポケモン止めてたのもある

 

(もちろん評価されたいっていう願いを叶えたいというのは極めて健全だと思いますよ 悪いものじゃ無いと思ってます あくまで自分にあってないかもしれないっていう考えがあったまでです)

 

(あと、評価を求めることに疑問を感じたというようなことを何度も言ってしまいましたが、アドバイスくれたり親身になってくれる方は本当に感謝してるしいつも本当に嬉しいです )

 

 

でも、評価されたいだけならポケモンなんて選ばないと思うし、それでもポケモン選んだ理由は、人から評価されたいっていうの以前に単純に強くなりたいっていう気持ちもあったからだな〜と思い返してました

 

理路整然とした勝ち筋を作りたいっていう気持ちはずっとあって、やっぱり人より弱くても、勝てなくても、昨日より今日、より理路整然とした勝ち筋を作りたいな〜ってきもちがずっとあって、ずっとポケモン辞めてたのに引きずってたのはその気持ちが残ってたからだな〜と気づいて、また始めようってなりました

 

どうして自分がポケモンで強い勝ち筋を見つけたいと思ってるのかは自分でもよくわかってません 誰かそれを教えてくれたら一生その人についていく自信がある それだけ自分について自分はよくわかってない…

 

 

昨今エースバーンが賑わせてますね 飛び跳ねるを与えてしまったのが全部ダメだったと思っちゃいますね

 

火力削って他で起点にしてやろうかと思ったけど、エースバーンの火力削られてたとしても起点に出来るやついないでしょ…いたらごめんなさい ボーマンダ………?(錯乱)

 

現状リフレクター弱保ドラパルトか初手ダイマ切るドラパルトくらいしか思いつきませんね (それも弱そう)

 

自分は他に思いついてないわけでは無いですが一応秘密にしたいのとそれめっちゃ弱そうなのでまだ言いません 

 

でもそこで終わらないのがこの環境の良いところで、ダイマを下手に早く切ると、相手の後手のダイマックスポケモンに反撃されたり、あまりダイマを温存すると普通に殴り負けるし、それはエースバーンでも変わらないし、単純な勝ち筋は作りにくいのがこの環境の面白い所だな〜と、つい思ってしまいます(あまりに難しくて何も思いつかない私のようなのもいますが…)

 

対戦について多く語るような記事でも無いのでここらで対戦について書くのは終えます やっぱ勝つと嬉しいし、負けると悔しい それはいつでもどこでも変わりませんね

 

 

 

 

次はポケマスの話題でもしますか 語ることありませんけど

 

 

あのゲーム、キャラクターの掘り下げ方が凄くうまくて、そこが好きなんですけど、やっぱりメインのシステムに疑問点が残るのは事実

 

ポケマスはバディーズを強くするシステムがメインコンテンツだけど、何故強くするの?っていう目的があまり存在しないんですよ

 

ストーリーで勝つ為…と言ってもストーリーだけならもう付け焼き刃でも勝てるし、EXやヴィラで勝って装備とか集めるため…と言っても、それも強くなるための道具でしか無いし…

 

イベント戦とかで、人より強いと多少スムーズに攻略できるくらいですね それも理由として弱い…

 

人よりやり込んでるっていう事実だけでも、人に評価されない事はないのでそれならモチベーションにならないわけではないけど、メインの理由が欲しいな〜というところ

 

 

やり込んでる事で評価されるために、その強さを実際に活かすシステムが欲しいところです レジェンドバトルがそれを満たしてくれるかはいまいち分かりませんが…

 

あとこのゲーム、キャラクターゲームだから、極端なこと言えばキャラクターへの愛を形にできるものが欲しいな〜とか思ったりします もっと言えば愛の力の強さによって変わるシステムが欲しい(言い方がちょっとアレ…)

 

毎日そのキャラクターに話しかけ続けたら、キャラクターがより親身になったり、キャラ独自の追加エピソードが出てきたりとか

 

悲しいのはこのゲーム、キャラが多過ぎるのと、本家が1人1人凄く人格が深く濃いのもあって、一人一人に力入れるのが労力的に大変難しいのが事実なので、製作が難しい事ですね

 

簡素なものでも十分だと思うので、何特定のかキャラクターへの気持ちをカタチに出来ると、更に楽しめるな〜とか思った、という話でした

 

 

 

最後に、皆スルーしてくれてありがたいんですけど、自分のツイート、長文の怒りや憤りのツイートが大変多く流れる時があるのは知ってると思います

 

まあそういう人間なので別に謝罪とかはしないんですけど、俗に言う悪いツイッタラーなので知らなかったらごめんなさいってだけです ブロックミュートスパブロいつでもしていいので…(謙遜とか圧力じゃなくてそのままの意味っす)

 

人類が誕生した当初から、正義か悪かなんて存在するわけ無いのに今は当然のようにほぼ全ての人が正義とか悪とか主張しますね 自分もその一人なんですけど

 

ただ人類が生まれた時から、人間は苦痛に合いたくない、生きたいと言う気持ちは持ってて、その気持ちが合わさって合わさって、正義や悪が無から勝手に作り出されたのかな〜って思います

 

また、そうした正義に逆らうと今なら刑務所に閉じ込められ、周りから見放され、孤独になるから皆その正義に迎合する、というのが実は真実かもしれません 根本は無意識のうちに生存本能から生まれた感情なのかもしれません

 

他人も自分も、人間関係の話で「◯◯は正しい!◯◯は間違ってる!」という気持ちがあったとしたら、実はそれは全て生存本能から生まれた感情かもしれません

 

人から怒られると嫌な気持ちになるのはそういう事でしょうか 怒りというのは人に対してそれは間違ってる!と主張する事ですからね

 

自分の生存本能の為に、自分が生きる為に、その行為を罰するのだから、要するに自分勝手を押し付けてるようなものなんですよね どんな怒りであったとしてもね

 

犯罪者も、凶悪犯罪者も、またその被害者も、勉強し続けた人も全くしない人も、テストで人より点数が取れる人も取れない人も、努力した人もしてない人も、根本は同じ人間だしそこになんの優劣も無いはずなんですけどね

 

作られた正義、集団の生存本能の為に作られた正しさによって、人のいつわりの優劣が決められてしまっているのが現状な気がします

 

かといって自分が暴力に遭うのは嫌だし、自分がよく知ってる人間がとんでもない暴力に遭うのは嫌だし、後者の感情が、自分の生存本能からなる気持ちかどうかは自分でもわかりません

 

人類皆同じなんだし、仲良くすれば良いのに…とも思いません 仲良くしない人間もする人側も皆同じですからね

 

Twitterでよく見る嫌な論争のようなもの記事の終わりにしちゃってごめんなさ〜い…

 

とりあえずこんな感じですね まあTwitterの文字数多いバージョンってくらいなので、特に纏まりもないような文章です 書いてる今現在課題が積まれてますが一向に触る気が起きません 自分も悪い側に回っちゃいそうです もう既に回ってるかな…

 

ブログも書いてみるとやっぱり面白いことがわかって良かったです 

 

以上