ドサイドン@こだわりハチマキ

ここは ただの びぼうろく

【没記事】ポケマスの編成やキャラクターの調整について考える

語りたかったのですが深夜に謎のテンションで書いた長文記事が消えて萎えてしまったので、書く予定だったものをダイジェスト(?)形式で振り返ります

 

まず、自分はポケマスのバランス調整先として、このゲーム自体が大きく分けて4つのタイプの編成に分かれていると予想していて、その内の3つの編成がスタンダードな編成で、残りの1つは例外のようなものですね

 

仮想敵としての調整先の予想はシンオウのチャンピオンバトル2000ptです 理由について語ってましたがデータが消えたので軽く言うと、耐久やらギミックやらその他諸々で、調整先としてはここかな〜と思ったからです (例えば相手の耐久が低いとテクニカルの存在意義が怪しくなってしまう)

 

3つとは、短期戦、中期戦、長期戦で、

 

短期戦は相手のBワザ前に2回Bワザを叩き込んで倒す戦法、

 

中期戦は相手に1回Bワザを撃たれつつ味方が3回Bワザを打って倒す戦法、

 

長期戦は相手に1〜2回Bワザを撃たれつつも味方が4回Bワザを打って倒す戦法

 

で、通常は短期戦がメジャーですが、シンオウチャンピオンバトルだと相手の耐久はテクニカルの気迫2の超火力Bワザ+そこそこの通常技が無いと倒せないけど、中期戦はアタッカーのBワザで十分倒せますよ〜その代わり味方の耐久(や偶に相手へのデバフ)が必要ですよ〜という話をしてました

 

長期戦は基本的にプラターヌやフラダリ等の半永久タンクを使って相手にデバフを巻いて味方に耐久バフを積んで粘り勝つ戦法です(普通のサポーターだと厳しい)

(毒編成はここに入ります 相手の火力を削いでるオプションなのでカスミのようなバディーズでもタンクになれます)

 

 

どちらの戦法も一長一短で、超端折って言えば、短期戦は相手の火力が高い時、中期戦は相手の耐久が高い時、長期戦は相手の耐久が極端に高い時に役に立ちます

 

片方の戦法では困らない相手のギミックにも他の戦法だと苦労することもあります 相手に合わせた戦術が必要になりますね〜 

 

他だと例えばまで中期戦や長期戦は広い場面で応用が効くというメリットがあります 短期戦の場合は1日1回地方限定バトル(味方地方補正抜き)のような相手に勝てたりしますね

 

BC加速周りの話を熱く語ってましたが、その記事は消えたのでまたしてもサラ〜〜〜ッと書きます

 

短期戦の場合は味方1回目のBワザ後にBC加速をすると相手がBワザを打つ前に2回目のBワザを打てます

 

中期戦の場合は味方の1回目、2回目のBワザの後にBC加速をすると、相手のBワザ後の、味方の3回目のBワザ後までの行動回数を2回に抑える事が出来ます 片方のみだと3回まで、何もしないと4回まで許す事になります

 

また、味方の1回目、2回目のBワザ後にBC加速をする場合、オプションでBC加速2を取っても相手の2回目のBワザ前に3回Bワザを打てます

 

怯みについてはあまり触れません 初回Bワザ前にBC加速と合わせて駆使すると全ての行動を1巡早く行動出来ます

 

言い忘れてましたが長期戦用オプションじゃ無いと基本的に相手の2回目Bワザは耐えられないです

 

また言い忘れてましたが、戦術に合わせてオプションを変える必要があります

 

この記事(になる筈だったもの)が言いたかった事は、中期戦という戦術が知られてないのでは、という話ですね

 

多くのアタッカーや一部テクニカルはBワザ後に本領発揮するバディーズであり、そんなバディーズの活かされ方があまり広まってない印象を覚えた、という話を書こうとしてました。でもそれ気のせいかもしれませんね

 

例えばNがBワザ後ゲージ消費0だったり、アデクがBワザ後BC加速2を持ってたりする事のメリットはそういう所にあったりします 

 

 

後は、このゲームのキャラクターバランスは、大まかに言えばこのゲーム自体の要素を様々な要素に分解して、各バディーズに適切に振り分けてる印象があって、相性の良い要素を持つバディーズ同士が組めば、時にレア度の壁を越えて相性のパワーを出すようになっており、また誰一人誰かの劣化や強化になってる事は無く、編成単位で見ても極端に何でもできてしまう編成が造られないような作りになってる印象を覚えてました

 

逆に言えば編成的な意味では要素同士の相性が悪ければ仮にレア度が高い同士でも十分な力を発揮し切れず、相性が良ければ互いのやりたい事がマッチして相当な力を発揮出来たりします(この相当な力も千差万別になってたりして、過剰になんでも出来たりはしない印象)

 

勿論チャンピオンバトル以外の調整先として、レジェンドバトルやソウリョクバトルの適正という要素もあるでしょう ここら辺を長く語ってましたが、記事が消え(ry

 

 

今も燻ってるとされるバディーズも、適性な味方がいないか適正な使い方が知られてない可能性があります 主にこの記事で言われてる中期戦の使い方をすると良いかもしれませんね!

 

 

終わりになりますが、この記事を要約すると、スマホでブログを書いてはいけないという事でした 仮にもし下書きが消えても焦らずPCからログインして編集履歴を探れば多分解決します(私は焦りました)

 

 

今更ポケマスEXのジョウト編の感想を軽く書く

自分の備忘録として書いておこうと思ったら1ヶ月経っちゃった… 備忘録が無かったので結構忘れてるかもしらませんね() 軽〜く残しておきましょうか。

 

 

まずマツバさんですけど、このショートストーリーの中で印象深いのは、何よりマツバさんも偽物の羽をありがたがった人達と、同じとまでは言わなくても結構俗っぽくホウオウが欲しかった部分を表してた事ですね。

 

プレイヤー目線だと少なくとも金銀での登場回数は少ない(ものの様々な理由でファンが多いとかなんとか)ので、イケメン優男で超ストイックで思いやりがあるキャラクターの側面だけが強く見えるんですが、そんな彼のホウオウに対する心は、どうしても自分本位な部分が "全く無いわけじゃない" 事を示されてましたね。

 

いつもは一歩引いた聖人ポジションで底が掴めないキャラクター性だった所を、偽物のホウオウの羽で騙したブレイク団に必要以上に迫ったのは、彼の「素」が表れるシーンで、熱いですね〜 シルバーに諭されるシーンも含めて、彼の素が分かってしまうのが良かったです。

 

そんなこんなでホウオウに認められた後のシーンは、無言でマツバが歩いて終わりなんですよね 凄い演出だと思いますし、これは勿論意図的だと思います。

 

もうホウオウに認められても認められなくても、マツバは既に完成されてて、ホウオウに認められても何も変化は無い、というのを表したシーンと思われます。

 

ホウオウのような存在に認められるかどうかに固執しすぎてる時は、その存在に対し自分の存在を認めてくれる為の存在として見る事になって、つまり身勝手な目線を向けてるという事になるんですよね 勿論マツバにそんな気は無いのですが、全く無い訳じゃ無かった所をシルバーに諭されて気づき、ホウオウのような存在に対しても全く同じ目線で向き合うな人柄になり、そしてホウオウに認められる そんな展開がされるのを表すストーリーのような気がしました。

 

 

マツバに向き合ったストーリーで本当に良かった………

 

 

ジョウト編に話を移します。

 

 

勿論ジョウト編も滅茶苦茶好きです まず前編の印象深いシーンは、ワタルが「ポケモンを無理矢理自分の目的の為に使うだなんて許せない!(意訳)」と言った言葉に、自分に向けられてないとしても罰が悪いと思って外に出てしまうシーンですね。

 

シルバーはかつては本当に自分の目的の為にポケモンを使って最強になる事を目指してましたが、その過程でポケモンに対する情を覚えていくんですよね。

 

シルバーは今でも最強になると言っており、情はあくまで「最強になる為」に使うもの、と自称してる節がありますが、実際は勿論彼のそれも、「ポケモンに優しく向き合う為」の情なんですよね。

 

それでも「最強になる為」という建前を本気で主張しているのは、真の目的のはずのものである、「優しく向き合う為」の情である事に触れてしまうと、彼が過去にポケモンを盗み自分の為に使ったという現実に苦しめられてしまうから、というように思えます(前述のワタルのシーンがあるのはそういう理由なのかと)。

 

強くなる為の「情」という建前が必要なので、敗北してしまうとその現実に向き合う危険性が生まれてしまう

 

その上でサカキはシルバーに、「…自分が負けそうになっても無理矢理ポケモンを使う残忍さは無いか(意訳)」と残すんですよね。

 

勿論これはシルバーのそうした部分に触れる言葉であり、シルバーの視点から見れば滅茶苦茶意地悪に一瞬見えてしまいます しかしサカキとシルバーが親子である事を踏まえると、サカキなりの色んな意味が込められた優しさなのかもしれませんね…(ところで上記のシーン、本当に強さの為に情を使おうとするキリヤとの対比になっている気がします 実際そんなシーンが前半にしっかり有り、つくづく隙が全く無いなあ…と、非常に驚かされます)。

 

(追記:過去の自分が犯した罪を重く受け止めて、目を向けきれない部分は、Nとそっくりなんだな〜と思いました 親がアレという要素以外もかなり似てる部分があるからこそ、掛け合いボイスの追加があったのかもしれませんね)

 

何にせよシルバーは思い詰めてしまうが、ヒビキはシルバーからの突き放しに「断る!」と強気に行き、「シルバーの悩みは分からないけど、側にいる事は出来る!(意訳)」と言い放つんですよね。

 

ここが個人的にジョウト編後半の肝だと思っていて、原作でのシルバーと主人公の関係は、突き放すような冷たさを持つシルバーと、一緒になって戦って気づきを与える主人公、という構図でしたが、この部分を踏襲されていると思いました。

 

 

シルバーとのヒビキの向き合い方としては、実際悩みを打ち明ける事が正解ではなく、辛くなって突き放そうとする事が正解でも無く、悩みが分からないまま側に寄り添う事でしょう。

 

シルバーの悩みの内容が(偶然)分からないヒビキにとっての、シルバーに対する本気の向き合い方なのでしょうね そしてそれを選ぶヒビキの優しさであり器…

 

単なる爽やか少年に見える姿からは(ガチャ演出で韻を踏むお茶目さがある立場としても)想像できないこの芯の強さ、そしてそれをシルバーに向けるこの熱さ、何よりそれ自体が原作での金銀主人公とシルバーとの関係性を表しているのが、ジョウト編の2人の描かれ方として最強ですね…

 

 

自分一人で解決するのではなく、今回限り(という建前)で仲間と共に解決する事を選んだ彼の心境の変化は、彼のそうした悩みに少しだけ向き合ったのを表していると思われます。

 

 

その熱い2人の関係性を表すかのように、ヒビキとシルバーがホウオウとルギアを並べてサカキに立ち向かう姿は、ホウオウとルギアが原作では絡みが無いのも踏まえて、凄く新鮮で良いシーンでした…! サカキ様があまりにも強すぎて突破出来なかったのは面白かったです()

 

ストーリーの本筋以外の部分で言えば、コトネとクリスが並んでロケット団を足止めするシーンは、中々に来るものがありますね 喋ったセリフも原作を非常に踏まえたものであり、クリスやコトネがそれを言うのが何とも素晴らしい…!

 

 

あと、ポケマス版ジョウト通常対戦BGMが、音がHGSSよりで、音楽(?)が金銀ベースなのは、やはり金銀がジョウトの元になった作品としての描かれ方で良いですね〜 勿論HGSSも元は金銀ですからね。

 

 

総じてジョウト編は、ジョウトに対する信念を滅茶苦茶感じて、個人的にかなり好きなストーリーの一つになりました! 話あまり関係ないですが、ポケモン映画も、「みんなの物語」が一番好きな人間なので、実は自分はジョウト地方が思ったより好きなのかもしれない…

 

 

自分の話はさておき、本当に隅々まで濃密なジョウト要素のあるストーリーで素晴らしかったです。 相変わらずビビる…

 

 

 

ポケマスEXの夏のN・トウコのエピソードも良い意味で滅茶苦茶ヤバいと思った話

どうもです 真深夜にポケマスのNのエピソードを読み感動してふせったーに書き殴ってたのですが、あまりに量が多くなった為、別途にブログに書き起こしておくことにしました

 

という事で以下↓ふせったーに自分が書いた文のコピー 日本語が相変わらず終わってます

 

 

 

 

 

夏イベというよりイッシュイベだ!となる今回のイベント
 
とにかくトウトウやNの絡みが濃くて凄いのですが、そこら辺の細かい部分はBWの過熱ファンが何か語ってるのでそっちを見たいですね 細かい部分はよく分かりませんでしたが、Nが本当にこの祭を楽しんでたのと、トウトウにニンゲンとして優しく扱ってもらえたのが、初めてホントウの居場所が見つかったような感動を覚えたのでしょう
 

俺もNと似たような時になってるから気持ち分かるわーwwwとか半分冗談で笑いながら言ったらNの超過熱ファンにサツ意の目で見られそうですが、冗談はさておき実際Nのように、自分に居場所が無い上に自分は居場所を求めるべき人間では無い、と自責の念を持つ人にとってはこの優しさは本当に泣くほど嬉しいのは事実だと思われます


本題に入ると、今回のエピソードで一番ヤバいと思ったのは、あまりに分かりやすい勧善懲悪者を描いた事なんですよね そして怒るトウトウとそれに続くNの構図
 

少し話が逸れますが、原作を踏まえた今までのポケマスでのNは、白黒どちらかを選ぶのでは無く、どちらも受け入れる灰色の世界が美しい、という思想があると思われてました。ポケマスでのゲーチス編は、ただ一人ゲーチスの存在と平和の両方を肯定した存在であり、その他全員が一方を否定する存在になるという、Nというニンゲンとその他のバケモノという構図になっていました(自分の過激な表現です…) 原作でNが一人バケモノという構図の対比であり、また原作での罪の意識から(白黒混ざった世界を望む者としての)、この孤独に立ち向かわなければならないという悲しき使命感を持っていました
 
ところで一般論ですが、ニンゲンは白黒どちらかにどうしても偏った生き物であり、それはNに関しても、「白黒のどちらも肯定されるべき」という、白黒ハッキリした思想を持っているという意味で同様でしょう
 
ゲーチス編ではゲーチスの侵略を許さないという意味でも思想が表れていました。でも、それこそがニンゲンでしょう。ここの、ある種の矛盾とも言える要素は意図して描かれてるのかそうでないのか自分にとって分からない部分でした。

 

話を戻すと、今回のNのストーリーは、あからさまな勧善懲悪、何よりヘイトを買うようなブレイク団の行動という、プレイヤーにとってもとても肯定出来ない存在を敢えて描かれており、否定に先陣切ったトウコに続く形ではありましたが、Nは否定に行動を振り切りました。しかし、これこそNが無意識の内に持った人間性なのでしょう。
 
それと同時に、彼もまた当然白黒のどちらかハッキリした「ニンゲン」側である事、そしてNにとって、また皆にとって否定したい要素を持つゲーチスという存在を肯定しようとする際、この葛藤に自分の過去をも含めて悩まされてしまうのでしょうね…

 

ここで話は終わると思ってましたが、実は一つ気になった部分がありまして
 

Nの、白黒ハッキリさせるべき、と主張して行動してしまった過去に、白黒がどちらも受け入れられた世界を望む彼がその自責の念で自分を縛っているのがゲーチス編までのNですが、それを踏まえて、「ねがいぼしが壊されたシーン」を見直したいと思う
 

初めは単なる悲しい事故として認識してましたが、そうではない可能性もありそうなので、振り返ろうと思います
 

Nはブレイク団に宝を壊された訳だが、その前にブレイク団を、形はどうあれ「騙し返し」ている また、ブレイク団は振る舞いがエグい割に報復にそこまで遭われてない(解釈によって分かれる部分であり自分は敢えてそうしたと思ってるが、そもそも報復が足りない演出では無いという見方もあれば、報復が足りないと思ってる層もいるとかなんとか…)
 

この一連のシーンについて考えると、まずそもそもブレイク団への報復に関して考えると、まずBWという作品上、特にゲーチスのような絶対悪のような存在(目的が果たせなくて暴れた点は似ている?)についても、その作風のテーマから完全否定される事は無い。そのため報復が少なかったという演出は敢えて行われた可能性も大いにある 理由は上記の通り
 
次にNがダメージを受けた理由について考えると、まずNは過去の振る舞いについて強い自責の念を覚えており、これは、自分(N)は因果応報の内の応報に当たる部分を受けるべきだと認識していると考えるのが自然
 
"それを踏まえると、白黒ハッキリさせブレイク団を否定し、悪事の報復として騙し返すのを選んだNは、その因果応報の関係性を用いたNに対して、まるでNが自責の念を持ち過去の振る舞いを応報という形で断罪されるべきと思ってる事を思い出させるように、また今のNが過去のNを「否定」してしまっている事を表すかのように、ねがいぼしを壊されるという「報復」が襲ったのでしょう"
 
↑この部分特に日本語が終わってるので軽く言い換えると、Nが白黒つけた思想をぶつける為に悪事を仕返すのならば、同時に過去の振る舞いに対する報復が存在するのを表しているのでしょう うーんこれでも表しきれてない…
 
無意識下とはいえ白黒どちらも受け入れるのではなく白黒ハッキリさせて報復を騙し返しという形で浴びせるなら、過去のNの行動も否定されてその報復を浴びるべき…という彼自身の無意識下の思想が、それを思い出させて表し、報復という形で彼に襲いかかってきた、と言いましょうかね… 
 
もっとも、Nの過去がそんな否定をされるべきじゃない、とNに言ってくれる誰かが来る事こそが、BWの最終帰結点だと思います 今回はそうしたNの自責の念への疑問を表した内の一つなのかもしれませんね(もう一つはゲーチス編のラスト)
 


Nが行った「悪事」は、人を騙した人に対する解決手段としてのみなので悪事と呼ばれる事は無いが、ここら辺は原作のNが言われた事と少し重なるのもポイント


要するに、Nはこの自責の念が生み出す因果から逃れられないのでしょう ブレイク団からの悪意という、内的では無く外的な不幸に見舞われてはいますが、これは彼が自責の念と一生戦い続けていることの表れ、なのかもしれないですね まあ実際は単なる不幸として描かれてる可能性も大いにありますが、話の造形が(特に騙し返した故の不幸なのが)特徴的であり、何か意味がありそうな予感がします
 

 
話を進めると、最後付近のシーンは、Nがトウコに「宝を壊した」事を謝ってるが、ここら辺は本当に他意は無いと思うが、トウコに話しかけられて深く考え込んでた理由は、宝を壊された事へのショックの他に、この上記の因果の関係から、ペンダントを壊されたのは本当に自分(N)自身の責任があると考えていたのかもしれない… そして、自分が「過去のN」になった事を悔いているのかもしれない…


余談の前に最後に、自分は今のNに必要なのは過去のNの肯定だと思ってるですが、まさか最後のトウコの励ましの言葉(形は無くても想いがあればそれで良いとする言葉)は、まさか過去のNへの部分的な肯定になっているのだろうか… (よくわかってない)

そうかどうかはさておき、白黒どちらも受け入れるべきという思想と過去の行いへの自責の念が両方あったり、肯定されて心の底から喜べる辺り、Nさんニンゲンらしいニンゲンだよ! 少し共感性が薄いくらいなのかな…
 

何にせよ、今回のエピソードは、焦点が当てられるのか怪しかった、Nが持つニンゲン味に焦点を当てられるのを中心にBWの濃密なストーリーが展開されてて、本当にヤバかったです 個人的にいつか見たい部分がその焦点を当てられた部分だったので…
 
あと改めて、Nはトウトウが本当に大事なんですね…! トウコは後から知り合ったという形になったっぽく、話に厚みが広がっている印象です 
 

N自身が過去のNを受け入れられないのも


BWの過熱ファンは興奮ヤバそうですね
 

ここからは余談ですが、まずからておうは何故太鼓を素手で殴ってたのでしょうか…笑
 

サイトウがデカすぎるのも面白かったです
 
あと冒頭付近のシーン…

 

 

 

りんごって何ですかーーー!!!(やめr

今回のポケマスEXのアカギ&ダークライのエピソードが滅茶苦茶濃密に感じた話

今日リリースされたポケマスEXのシンオウ編後編の話だが、もう感想を書いていいものか悩んだが、まあブログやし大丈夫でしょって事で書く。

 

ぶっちゃけ初見だと薄ボリュームだとか、最初のアカギのエピソードと結末がそこまで変わらなかったりする印象を覚える為にインパクトに欠けたと思われなくもなさそうだが、自分はこのストーリーを2周して、このエピソードが「DPtのストーリーのオチとしてあまりにも美しい」とさえ思うようになった

 

 

その理由をざっくり書いていく…と言っても話す内容は主にストーリー後半の部分だが

 

 

ストーリー後半でアカギのダークライパルキアが負けた時、サターンがアカギに「貴方を素性も知らなく信じていたのは、貴方が世界を変える意志があると本気で思ったからです!感情が無い世界になったら貴方に忠誠する事ができなくなってしまう!(意訳)」

 

と言うシーンの事。このシーンの中でシロナはアカギに「感情を無くさなければ痛みを感じるのは、傷つけたくない仲間がいるからじゃないの?(意訳)」と言う。

 

このシーンの後アカギは「部下の有用性 その点については認めよう」と言い、それに続いて「サターン、ジュピター、マーズ。今後もお前らは道具としてしか扱わないがそれでもよければついて来い」と言う。主に最後に挙げたこのシーンを中心に語る。

 

 

まあこのシーン、ぶっちゃけ一見サターンの「私達が忠誠出来なくなってしまう!」のシーンと繋がらないんですよね。これはサターン達の勝手に過ぎないので、サターンを引き止める道理は本来無いんですよね。

 

しかしアカギは「道具としてしか使わないがそれでも良いならついてこい」と、サターン達に歩み寄る展開に。ここは何を意味しているのだろうか?ここのコミュニケーションにギンガ団の真の深い「情」の物語があると予想しています。

 

まずアカギの本質から話すと、アカギは友達や仲間がいなくなった苦しみが嫌で逃げたくて「感情という不完全なものを消し去り真の世界を作る立場」になろうとしたのであって、本当は感情を消し去りたいのではなくて、昔仲間を失ったという理不尽が自分に来たという現実が嫌でたまらないんですよね。

 

 

まあつまり自分で自分に本気でウソをついて本気でそれを信じたという事…

 

 

だからこのような行動に出たと思うが、自分についたウソはやっぱりウソであり、本人としてもそのウソをつくのが辛いんですよね。何故なら本当は孤独が辛くて計画を始めたのに、結果的にその孤独になってしまうのだから。

 

 

でもついたウソは撤回出来ない。その理由は何より、自分を守るためのウソであり、守る為についたウソを撤回できないほど辛い現実がそこにあったからなんですよね。

 

 

それを薄々察した(予想)幹部達が、「私達は道具として扱われても大丈夫です(意訳)」と言う事で、「アカギが自分の計画を進める為に、アカギ自身が寂しくならないように救われる為の、アカギにとって都合の良い口実」を提案したのだと思います。

アカギは自分の側から離れていった部下を取り戻せる口実が出来た、と内心では安堵していたと思う。しかし当然アカギはそんな自分の心には無自覚であり、むしろ自覚しないようにしていると思われる。

 

この何ともめんどくさい所、文字で見るよりは実体験等で共感出来る人も割といると思う。

 

また、アカギから「お前らは不完全な存在だ。捨て駒であり道具に過ぎない」と言い放ったのに対しジュピターが「そうです…でもそれは私達が離れる理由にはなりません」という場面は、

 

アカギが自分にウソをついて、辛くなりながらもジュピター達を追いやっているのに対し、ジュピターが「ウソはついててもそのウソの為に無理してでも私達を突き放さなきゃいけない事は無いですよ」という、

 

サターンと同様、アカギの気持ちを読み取った、ジュピターの精一杯の優しさがこもったセリフに思いました。(マーズも何かある筈だが思い出すのに時間かかる為ちょっと自分の都合で今は省略します 話に特に支障は無い為後で追記します)

 

 

 

要するにアカギの複雑な心中を読み取った、本当に忠誠心がある幹部達のアカギへの精一杯な優しさが表現されていた、「情」に溢れる良いシーンに思いました。

 

  

また、アカギが「感情がある事による悲劇を起こさない為に、感情が無い完璧な世界を作るのは一つの手だろう」と言った時、マーマネは嫌な顔ではなく驚いたんですよね。これはアカギがほんの少しだけ自分に正直になった(正直になる口実を引っ張ってきた)事への良い意味での驚きだと思います。

 

 

と、話を纏める前に、実はこの上記の話の部分、根拠が少し足りないんですよね。それはアカギが「仲間がいなくなる事が寂しい」と思っているという部分の根拠の話。この話の根拠を説明する前に、一人活躍しそうで出番もあまりなかったような見えるキャラの説明をします。

 

マーマネです。彼は意外にもアカギと話すシーンは一切ありませんでした。その一方で彼がいなければBADENDだったのも知っていると思います。それはロトムの声ですね。

 

 

まあつまりロトムの鳴き声で突然悪夢が収まったんですよね。これが何を意味するかをざっくり書きます。

 

 

恐らくこのシーンはアカギがロトムの声で悪夢から目を覚ました、という文脈でしょう。 

 

 

それまでアカギは悪夢の世界に逃げ込むようにいたが、ロトムの声で目を覚ました…それも突然。これは悪夢から目を覚ましたというより、(自分の理想であった)悪夢を断ち切ったと言えるのではないだろうか。かつてロトムを失ったというアカギの過去を鑑みると、つまり

 

 

 

自分にウソをついて「何も無い暗い世界」に自ら入り込んだが、本当はそのような世界を望んでおらず、それでも自分の心を保つ為に無理して「自分はこのように暗くて何も無い世界を望んでいるんだ」と意地になっている所に、ふとロトムの声を聞いて、反射的にロトムがいる世界を望む本心が出て、その意志で悪夢から身を離れた

 

 

というのが実態ではないだろうか(結論をまとめてるのに自分の文章力の無さで読みにくい…)アカギは「ここの夢の中にいるのが幸せなんだ」と自分にも言い聞かせているものの、実際無理してたんだと思いますね〜

 

 

 

だからマーマネの役割はロトムを連れていた事、というのが強調されていると思うんですよね

 

また、アカギを縛り続けた、逃げる先として存在し続けている呪縛こそが、アカギがロトムを失ってから見続けている悪夢なのでしょうね…

 

それはさておき、アカギのそうした複雑な心中の中にある「ロトムといないのが寂しい」という本心の強さが分かった瞬間でもあると思います。何故なら悪夢の発生をも瞬時に断ち切っている為。それほどアカギが「情」に厚い、熱い人間であるのが分かるのも個人的に良いシーンでした。

 

 

また、これを敢えて少しぼかす為に、ロトムの鳴き声がした直後がストーリーの切れ目なのもあって、直接ロトムの声で悪夢が終わった、とちょっと思いにくくするのが粋だったと思います。原作で直接アカギとロトムについて描写されてる訳ではないのでね。

 

 

という事でアカギは、ロトムをはじめとした周りとの出来た繋がりを消したくない人物なんですよね。だから幹部達との繋がりも消えたくないし、ディアルガが自分の元から去った時は内心寂しかった筈なんですよね

 

それでも自分にウソをついているからディアルガが去る場面でも(恐らく)無理して突き放してるんですよね〜

 

 

総じてこのストーリーはアカギという人物について心情を事細かく考え、その上でどのようなストーリーを作るかを突き詰めて考えた、エグいアカギファンが作ったような作品だと思いました。アカギは幼少期の辛い経験から自分にウソをついて行動していて、そんな彼がどう転ずるのか。原作ストーリーへの愛だけでなく、非常に細かい理解力抜きには出来ない、エゲツなく良いストーリーに思いました。個人的にジュピターが一番好感度上がりました。ガチャ出たら思わず引いちゃうかも…

 

 

…と纏める前に、このストーリーで本当に一番重要なシーンを挙げて終わります。

 

それはサターンと(マジコス)ヒカリのシーンで、好戦的なサターンにヒカリが「戦いたいならそれで良いと思う。感情を抑えて何かの言いなりになっちゃうのは良くないと思う(意訳)」と言うシーンで、ここ一見本筋とあまり関係ないように思えるんですよね。でもこの一見不自然なシーンが、一番重要に思えました。

 

自分を抑えて我慢して行動するのをヒカリは「良くないと思う」と言ったが、この「自分を抑えて我慢する」というのは、アカギそのものなんですよね。

 

アカギは自分を抑えて我慢した結果、一人で孤独に耐えて辛くなって自分にウソをついてギンガ団を作ったので、自分に正直になれないままになったんですよね。アカギに本当に必要だったのは

 

ロトムがいなくなって辛い」 

 

と言えるような環境だったのかもしれません。 

 

また、サターンがヒカリに、そのセリフの後「…それがお前の強さか…」と言うシーンがある。これはボス(アカギ)にはない強さ、というよりアカギ本人に足りなかった要素そのものなのでしょう。

 

 

ちなみにヒカリはそのセリフ群の最後、「だってそうしないと、いざという時ダメって言えなくなっちゃうから!」と言った。実はこの〆こそが最重要だと予想する。

 

 

何故ならいざという時戻れなくなってしまったのがアカギなので…

 

 

★その他個人的に好きだったシーンを断片的に取り上げる箇所

・シロナがアカギに「貴方は他の誰かから必要とされてるのよ!」と言って起こすシーン、シロナ本人はただ本当に起こす為だけに言ったとも思うんですけど、「貴方は無理して人から離れて貴方はそれを苦しんでるけど、本当は皆それでも貴方からな離れてないから、今も間に合うから帰ってきて良いんだよ」というつもりで言ってたら最高ですね。ポケマスは全てのセリフが何かしらに関係しているような節があるので、「貴方は他の誰かから必要とされている」というのを意味を込めて入れたのだとしたら、こういった意味合いなんじゃないかな…最高

 

 

 

撮り急ぎで書いたので滅茶苦茶読み辛くてアレなので後で内容に関係無い範囲で直す…

【ポケモンUSUM】ウルトラビルディングから見るUSUMの真相

この記事ではUSUMのネタバレを多く含む。了承願う

 

USUMにおいてアクジキングが出現するウルトラビルディングについて、どのような意図で置かれたのか、具体的な真相は何なのか、書いている時間が深夜なのでサラッと書く。

 

下記の文章は全て単なる根拠不十分の予想に過ぎない事を記しておく。

 

 

1.ウルトラビルディングはどの場所なのか?  

 

根拠の説明は他にも山ほど転がってるので省くが、大体察している通り其処は未来のアローラ地方である。というより大体気にされてるのはそれが並行世界なのかそうで無いかの違いだと思われる。

 

もう少し話題になるような部分であるならもう少し議論がされていたであろうが、取り敢えず持論としてはどちらであっても社会風刺的な意味合いは変わらない一方、直結した未来というのは現実離れし過ぎている為消去法で並行世界だと考えていた。実際はアニポケであまりにもガッツリと「並行世界」と言われていた為、並行世界であると断定した上で話を進める。

 

2.ウルトラビルディングの存在の目的は?

 

ウルトラビルディングは現在のアローラでも特に穏やかな観光地として栄えていた街が、観光客を取り入れる際に行った近代化の弊害により大気の過剰な汚染等で人が(星ごと)住めなくなった設定である。一体なぜそのような設定のエリアを設けたのだろうか? 

 

考えられるのは社会風刺だろう。アローラという自然のままの土地が観光業の優先の為に崩壊したという設定は、何もかも自身の欲のままに求めた結果は破滅を及ぼすという風刺だろうか。

 

ただ、もう少しだけ踏み込んでいきたい。

 

3.共存と発展途上

 

XYやORASを通して表現された「共存」という概念はSMにおいて舞台を通して直接表現したというのが正しいだろう。その一方、アローラは他地方と比べ田舎という立ち位置であり、実際文化も前近代のようである。  

 

しかしアローラにおいて発展を求めた結果が上述した通りの内容である。

 

自分の予想としては、共存関係で何とか互いに生きてきた状態からの更なる成長を行うのは、利己的になるばかりであり、その先にあるものは共存からかけ離れた事になる、という話の作りに見えた

 

4.アローラと他地方

 

上記を書いた数時間後(ド深夜)にここを書いている為話がますます読みにくくなると思うが直す気力が無いため続行する

 

話を戻すと、アローラ地方で読める文献や舞台等から、アローラ地方の人々は自分達が狭い田舎の場所の人間である事を自覚しており、極一部にはそこを思い悩んでいる節がある。

 

その一方でアローラ地方は現在の文化の根本になる文化が残されているといった要素があり、他地方の文化の根本であるという事を裏付けられている。

 

しかしその上で、他地方に追いつこうと文化を発展させた結果が破滅である事は何を意味するのだろうか?

 

5.共存と成長

 

結論だけを言うならば、文化が成熟する手前は人々は欲を満たそうとするも満たさない為、共存して生きるようになる上にどの道環境破壊をする手段が無い為自然は安定するが、そこから文化が成熟した人々が更に何かを求めた場合、皆がもっと自分の欲の為に動く以上、共存からかけ離れた破滅の道を歩む事が示されていると予想した。

 

ウルトラビルディングの描写は、そうした意図での表現がなされているのでは無いだろうか。

 

6.キャッチコピーについて

 

「ここはもう、キミの知っているアローラでは無い」というキャッチコピーはUSUMが発売された後に一部から疑問の声が上がった。「全然変わってねーじゃねーか!」という…

 

実際見てみると本当に何が変わったのかは殆ど分からない。表ストーリーのラスボスがネクロズマだった事以外には見当たらないし、実際その意味で「キミの知っているアローラでは無い」事を指していたのならばそれまでだが、ここまでを踏まえると少し見え方が異なる。

 

ここの部分は他の多くの方も主張している事柄であるのを踏まえて書くと、アローラ地方の変貌はなにより観光業に手を出し文化を発展させようとした瞬間にある、という事ではないだろうか。

 

7.キャッチコピーの表現

 

一見何も変わった部分が見えないにも関わらずそのキャッチコピーであるのは不可思議だが、上記を踏まえると一体この形式のキャッチコピーでのメッセージの伝え方はどのような物なのだろうか

 

結論だけ言うと、「文化の変貌・破壊・終わりの始まりは、意外な所からスタートする事」を示していると予想した。

 

それと同時に「キミの知っているアローラではない」と書く程の変貌が文化の過度な発展・成長と仮定した場合、それ程までに文化の発展の悪い部分の本質を主張しているとも予想した。

 

アローラ地方のように未成熟な文化が共存関係の生まれる平穏なのであり、そこからの発展は平穏ではないという表れなのかも知れない。

 

そうした事を表す為には、このようなキャッチコピーで発売しプレイしてもらう事に決まったのかもしれない。終わりの始まりは他でもなく共存を捨てたその瞬間、静かに起こるというメッセージであるかも…

 

8.終わりに

 

上記を纏めようと思ったが眠すぎるので挫折 

ところで余談だがSM初プレイ時、何か滅茶苦茶怖く感じた事が記憶に新しい。

 

世界の終わりが迫っている中最後に残った文化のような… 海の向こうは終末の迫った空気になっているような事を予想していた。

 

結果的に初プレイでそのように直感で感じた事が本質に掠っている可能性がある事を踏まえると、刹那的で儚い文化に見えるような表現を敢えてしていたのかもしれない。実際に初プレイ時に何故そのように感じたかは自分でもよくわかっていない為、同じ感想を覚えた方が見つかると嬉しい

 

 

 

【ポケモン】原作ダイパのエピソードを細かく知りたい

昨今ではポケマスEXがダイパをメインに取り扱って話題になったり、LEGENDSアルセウスの発売に伴い大きくダイパが盛り上がってる今、ダイパのエピソードを、特に制作意図を中心に知りたくなったのでここに書く。また、ポケモン原作DP(t)またはBDSPの既プレイ済の方が分かるような文を書いてる為、未プレイの方はあらゆる面でこの記事を推奨しない。

 

この記事の後半ではアルセウスの一部ネタバレを含む為(この記事の目印の境界線までは一切含まない)、特に未プレイの方はブラウザバックを非常に強く推奨する。

 

では軽く書き始める。

 

0.ダイパのストーリーのテーマは何なのか?

 

ここで最初に結論を書いておきますと、ダイパのエピソードは「差別」が一つのテーマになっていると考えている。あくまで仮説。

 

ストーリーを見返すと差別というテーマを短く端的に示した作品だと思ったが、その訳を次の段落からゆっくりストーリーを思い返しながら書く。

 

 

 

1.ダイパのストーリーとは

 

省略する(ごめん…)。また、今後この記事を読む際に断っておく必要のある物として、「アカギが目的を達成しようとする元々の動機は自身のロトムを幼少期に失った」という仮説を真実のように扱うので了承を願う。この話が深く関わる事は無いが一応…

 

軽く言えば、世界から感情という不完全なものを無くそうとするアカギと、それを意地でも止めようとするシロナの対立である。

 

2.シロナ、アカギの心情①

 

ここだけを見れば単なる主張のぶつかり合いで終わるようなストーリーであり、初見プレイならば大半はそれ以上の認識は起こりにくいように感じる。実際本作はキャラクターの裏設定が乏しく、意味を見出そうとも思われにくいストーリーであると思われる。

 

しかし前述のロトムの前置きと関係するが、アカギの行動や扱っている内容から見える「元々の動機」について考えると、DPtのストーリーは一味違った見方ができる。

 

アカギの言う「感情という不完全なものなど無くすべき」という主張をする人間の行動の源は、感受性豊かな方の中には察する人もいるのでは無いだろうか。

 

ロトムの件が真実であるかどうかはともかく、アカギは幼少期にトラウマレベルの出来事に遭遇し、その結果自分を守る為に「心がある世界は不完全だ」という、否定が難しい仮説を自分の心の拠り所にして、いつしか彼にとっての真実として行動の源になった、と思わされる。

 

勿論これはアカギとロトムの都市伝説があって初めて解像度の上がる話だが、そもそもアカギがするような行動は本当に感情を必要としない人間のする行動かと言われると疑問である。実際アカギは人一倍感情的な部分が多く、本当に感情を必要としない人間がする行動には見えない。

 

どちらにせよ幼少期の拗らせから現在の行動に繋がっている可能性が高い。

 

一方シロナはそうしたアカギの主張を真っ向から嫌う。ポケマスEXでは「因縁」という表現をされるまでに至った。

 

シロナは感情を大事にする事を信念に持つ一方、アカギに対する「世界が憎いなら一人自分だけが去ればいいじゃない(意訳)」という発言は、度々ファンからもツッコまれてるように冷たい発言という認識をされている。

 

アカギとは対称的に、感情を心から大事にしているのなら出てきにくい言動であり、アカギ同様矛盾を感じさせる。

 

3.シロナ、アカギの心情②

 

ここからはアカギやシロナの心情を深く予想する。先にシロナについて考えた方が考えやすいのでシロナから考える。

 

考古学者でチャンピオンというシロナの立ち振る舞いはまさしく立場の強い人間という立ち位置であり、少なくともプレイヤー視点からは立場の高いという事を「事実」として捉えており、それは同時に立場の格差の基準をも「真実」として捉えている事に他ならないだろう。

 

また同時にシロナはアカギと対称的に、感情を重んじる度合いを人としての基準として捉えている節もあり、その表れとしてアカギへの冷たい態度が表れている。

 

シロナの行動への是非はさておき、アカギへの対応の仕方は感情を重んじる人の行動と言うには適切とは言い難い。

 

ここでシロナの心情の予想の結論を書くが、予想の理由は長くなるので省く(ごめん…)。

 

結論としては、シロナにとって感情を重んじる度合いに左右される社会的立場の指標は「真実」であり、シロナはその中で高い立場にいると信じる事で心の安寧を持ち、その反対のアカギを嫌う事でその立場の高さを認識している。彼女が一番求めているのはその立場の高さである。

 

という結論だ。

 

例えば「真面目に生きろよ!」と部下に言っているが、本人はそう主張出来るほど真面目では無いものの自他共に真面目と思われてるような…(流石に言い方が悪い具体例)

 

要するにシロナは立場が高くありたかったという事。

あまりに伝わり難い文章でただの備忘録なのに申し訳ないが、何かニュアンスだけでも伝わってくれる人がいると個人的に嬉しい。

 

ところで自分に限らずダイパのエピソードを語ると必ず一回はシロナをsageる事になる上ここでは非常にsageているが、まだこの記事は終わらずこの後に続く文章にあるようにシロナをsageる意思がある訳では無いことを示しておく。

 

また、対称的にアカギは、(幼少期のトラウマ等から)感情を無くした世界が理想であるという説を事実として認識し、それを目指す事で自身が高い立場にいるという認識に繋がる事に心の安寧を求めている。アカギは何よりその立場の高さを求めている。

 

というのが結論だ。アカギもまたその立場の高さを求めており、正しくないと言い難い基準を事実として掲げており、その基準の中で上位に立っている事を求めている。

 

ここを裏付けかねない話として上記に挙げたロトムの都市伝説がある。幼少期に仲の良かったロトムを奪われた事で発生した強いトラウマから拗らせてアカギの人格形成に深く繋がったとするならば、心情の全貌が一気に想像しやすくなる。

 

両者共に「事実」と認識している価値基準で自分が上位に立っている事を求めており、両者そこから差別が行われている。シロナとアカギの価値基準はまさに正反対であり、両者が両者を差別する関係性になっていると思われる。

 

 

4.シロナは本当に悪人なのか?アカギは本当に善人なのか?

 

前述でシロナに対し差別だの立場の高さを求めているだのと酷い表現を繰り返した気がしないでもないが、実際はDPtはそのように「シロナが本当は悪人だった!終」と結論づけられるような作品ではない。

 

まず最初にDPtでは思想の是非やシロナの内なる心情といった部分は極力ぼかされている。その結果側からみれば単なる勧善懲悪として描かれていると思われやすい作品になっている。

 

その理由として考えられるものは複数あり、その中で特に挙げられるものとしてはポケモン自体そこまで話を踏み込んでしまうのはユーザーに求めている楽しませ方に反する、という説だ。

 

DPtに限らず思想のぶつかり合いのような部分を露わにしてしまう事は避けている印象だ。ポケモンの楽しみ方に支障が出そうと感じる。

 

正直ストーリー自体そこまで考えられてないという説もあるが、ストーリーを見ると個人的にはそのように思い難いので省略。

 

 

話を戻すと、シロナの立場としてはアカギという世界を壊そうとしてる人間が束ねる集団が本気で世界を壊そうとしているのを見せられているのであり、正直誰であっても差別とか区別とか立場の高さとか議論してる場合ではなく真っ先に止めたいという意識が先に立つ段階である。

 

しかしこれこそが差別なのである。世界を壊そうとする意志、感情を無くそうとする意志にNOを叩きつけるその価値基準自体元々存在しない物であり、その基準の存在自体差別なのである。

 

つまりシロナの反応は大多数から見て正常である。原作では終始(敢えて?)正常に描かれているからこその問題だろう。大多数の我々は行動に起こすかはさておきシロナと同じ感情を持つ筈だ。

 

「じゃあこれを書いてるお前は世界が潰れても良いというのか!」と突っ込まれそうだが、自分も世界が潰れて欲しく無いし感情が無くなって欲しくもない。そしてこれもまた差別である。

 

 

要するに差別とはそういう物であり、幼少期に自分が人に優しくされたり、恩を売ったら恩を返してもらったり、時には優しくされた後逆に恩を返す側に立ったり、そうした優しさの連続から生まれた価値観もまた差別なのである。そもそも、人が各々持つあらゆる好き嫌いも、本質は差別と同じなのだろう。

 

極め付けはシロナが嫌っていたアカギもまた差別をしており、アカギに関しては世界を壊そうとしている事を忘れてはいけない。

 

個人的にDPtは差別の本質を表していると感じた。差別が悪とか善とかそのような話ではなく、差別とは何なのか?についてを表した作品だったように感じた。

次の項ではまだ残っている大きな疑問について考える。

 

5.何故「神話」モチーフだったのか?

 

何故この作品は神話モチーフだったのだろうか。それは神話についての大まかな印象を語るのが良いと感じる。

 

神話には様々な存在があると思うが、その多くは人が求めている救いのような存在だろう。

 

話を少し戻すと、アカギ達は自身への立場の高さを求めており、その架空の存在として立場の基準を信じる様は人々の上記のそうした神話への信仰と似ていると感じる。(勿論全ての神話が架空と言っている訳では無い)

 

立場の高さというのは言わば生への安定が得られるかどうかの基準であり、神への救いを求める様もまた生への安定を願う様だろう。

 

ただ結果的に本作はパケ伝は単なる強大な力として扱われており、どちらかといえば本作でそれが表れているのはアカギが持つ「強大な力そのもの」への信仰だろう。

 

 

6.ポケマスEX

 

ポケマスEXはストーリーが度々話題に上がることがあり、アカギのエピソードは同じく強く話題に上がった。

 

ストーリーの内容は省略するが、本作で出てくるマーマネという人物の扱い方は取り分け大きな反響を呼んだ(自分調べ)。

 

マーマネはアカギと同じく人見知りで機械遊びが得意な子供であり、そんなマーマネにアカギは夜通し趣味について語り尽くし、「感情というもので不利益を感じた事は無いか?」と言った。

 

マーマネは言葉に詰まるも否定すると、アカギは「私の探した人間によく似た子供では無かった」と言い、その場を後にする。

 

その事から察するように、アカギは自分の共感者を心の中で探していたのだろう。それは自分が信じた価値基準が赤の他人にも信じてもらう事で信憑性が増すから、と考えると合点が行く。余談だが周りの大人がアカギを警戒し孤独になったアカギに、何も知らないマーマネが無邪気に話す様もまた、差別という本質をぶつけられる感覚を覚えた。

 

シロナはアカギを同じように止めようとするが、マーマネが心から説得しようとしている姿を見て考え方を改めようとする。(詳しくは本編の視聴を勧める)。

 

この後シロナがアカギを逮捕しようとしてアカギのパルキアジャラランガで倒すシーンがあるが、マーマネが説得を試した後、シロナは逮捕を取りやめるシーンがある。このシーンについて少しだけ語ろうと思う。

 

ズバリこれはマーマネが行った説得は、心を大事にした人間が行う説得であり、これはシロナが「自分が持っていると思い込んでいた」心情をマーマネが持っていた、という事だと思われる。

 

これはDPtのエピソードを踏まえるとマーマネの立ち位置はそのような立ち位置だと考えるとストーリーの収まりが良い。実際本当の意味での接し方ははマーマネの接し方が正しいのだろう。

 

ところでシロナがアカギをジャラランガで倒そうとしたシーンは、シロナは「感情で結ばれた私達に感情を捨てたアカギが勝てるはずがない」という主張をしているのに対し、アカギは「感情という不完全なものを信じている奴が勝てるはずはない」という主張をしている。

 

 

つまりこれは両者同じような人間だったという話なのだろう。

 

6.まとめ

 

本作は上記の話から、人間が生きたいという感情がもたらす差別という現象の本質を描いた作品というように感じた。また、それは人の内なる感情を描いた中で発生したもののように感じ、その中で神話という概念を登場させるに至ったのだろう。

個人的に人の心情を扱った作品としても、かなり深い作品だったと感じた。

 

ところでシロナの実生活は結構だらしないらしい。実はシロナが高い立場だとされている事へのちょっとしたアンチテーゼなのか、それとも単なるギャップ萌えなのか、どちらでも無いのか両方含まれているのか…

 

 

そしてここからはLEGENDSアルセウスのネタバレを含むので特に未プレイ・未クリアの方は

今すぐブラウザバックをしてください

 

 

 

下に長い空白の後に、アルセウスのストーリー触れた考察をします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでは始めます。都合上ウォロをUと表記します。了承願います。

 

 

7.Uについて

 

本作のUはまさかのあのような正体だったのだが、これは単なる「原作とアルセウスとで悪役と味方の立場が違う」ネタというだけの話なのだろうか?

 

自分はここにダイパの全てが詰まっているとさえ感じた。

 

Uは悪役だった訳だが、彼は幼少期は一人だったが、強い好奇心と共に世界を駆け巡り、いつしかその好奇心でより良い世界を作ろうとした。

 

ここでも自分のUの心情に対する結論は(そこに至る理由は省く)、Uはシロナと同じように立場が上になる事を求めており、その過程はアカギの幼少期と似ている。

 

Uはそうした幼少期の経験から、好奇心こそが人としての立場の基準だという「事実」と信じ、本作主人公を含むその他の人間を見下しており、ギラティナでさえも見下していた。

 

彼には夢があり、それはアルセウスを従えて世界を変えるという内容だった。言わばそれが生きる目的だったとも言える。

 

 

Uは自分の生きる理由であり心の安寧である夢が潰えた事でどこか遠い場所に去っていった(これはイッシュかもしれない)。

 

ここで一番気になるのはシロナはUのようになってしまう可能性はあるのかどうかという事だろう。結論から言えばなり得ないと思う。シロナ自身は一般人とあまり変わらない感性である一方知識は豊富なので、Uと同じ境遇になっても、狼狽えるとは思うが同じ変貌は遂げないと思う。シロナは世界が何か一つの指標で表されるようなものでもないと思ってそうなので。

 

 

話をUに戻すと、何より興味深いのは、Uは自身が好奇心が誰よりあるからこそアルセウスに選ばれる筈だと認識しており、何も持たない主人公が選ばれたことに憤慨していた。「いや、その為にお前(主人公)は来たのか!」という発言は、ウォロが自身の価値基準をあまりに信じすぎた故の発言だろう。

 

前述したが神話というのは人が救いを求めた結果生まれたものが多く、そのような神話は人の感情を時に赤裸々に映すことがある。Uは「自分が持つ誰よりも強い好奇心こそが強い立場になる」という言説を真実として扱ってくれる対象として神話を見ていたのかもしれない。しかし、ポケモン世界ではORASやBWの時と同じように、神は人のそうした価値基準など全く関係なく、単なる気まぐれで行動する。そんな価値基準などありはしないというのを直接姿で示てしまうのも神という存在なのだろう。何故なら人が元々勝手に幻想を抱き、時に無から生み出してしまうのも神なのだから。

 

 

話を終える前に、Uについてもう少し語っておくと、Uはラストシーン以外は善人として立ち振る舞っており、常に好青年として存在していた。これは常に自分が立場の上であろうとした証とも言え、常に外面上の立場というベールに包まれている。

 

ただ前述のように我々は皆同じようにベールに包まれており、その本質はアカギやUと同じである事を示しているように感じた。それがアカギやUでは規模が大きかっただけであろう。逆に言えば規模は非常に小さいものの、我々プレイヤー含めてUのような心がある事を同時に示していると思う。

 

 

小言を挟むが、もしUが本当に好奇心を信じていたのなら、ただ時空の裂け目から落ちてきただけの主人公が選ばれた事に好奇心を持つと思うが… つまりはそういう事である。

 

また、Uが主人公に挑む際の姿をゲーチスと思ったり、負けた後の姿をNだと思った方が多いらしい。個人的に気づかなかった部分であり、自分としてはヒガナと少し似ていると思った所存である。ヒガナの事を自分が考えた際も同じような事を考察した気がする。

 

Nやゲーチスと似ているのは意図的だと思われる。両者共に原作では人であって人では無いような描かれ方をされている事から考えると、人間離れした感性を持ったあの親子も、その本質は我々人間と変わらない事を示しているのでは無いだろうか。

 

(2022/02/05追記 それまではシロナとUが似ている事を書いていたが、シロナが一般人と同じ感性を持っている事が重要であると考えると、寧ろUと似ていたら色々とマズイ筈なので、その部分を大幅に訂正した)

 

 

8.その他気になった所

 

随時加筆予定

 

・uと対の存在のシ◯ボシは何かアカギにまつわる意味が持たされているのか?

 

ありそうで多分無い。ただ幼少期にアカギが歪まなかったらこうなっていたんじゃないかと思うと関係はあるかもしれない

 

・レジェア◯の一般村人等について

 

純粋に重要なのに書き忘れていたのでここに追記

 

序盤から優しくしていたのにあの事件の際には「やっぱり悪人だったんだ…」とか、ム◯さんの主人公に対する態度とか、その他諸々一般人が本心では悪く思っていたり、反対にシ◯ボシは常に主人公を心から心配していたり、そうした内なる心情を隠している事がストーリーに随所に上がっていたのは、それがまるで本作のテーマの一つなのでは?と思うそしてそれは上記の差別にまつわる話に深く直結する内容であり、終始そうしたテーマが一貫して描かれているように感じた。

 

 

 

8.1 追記 主にテーマについて

 

(この章だけ敬語になってしまった 今更戻すのが面倒なのでそのままにしておく…)

 

レジェアルをクリアして振り返った後に考えたが、DPtは勿論、レジェアルは特に

「生きとし生ける者は皆自分の為に必死に生きており、それをテーマとし、自分の為に生きてる生き物で構成されてる空間で起こる現象が多数あり、それをプレイヤーに知ってもらう」事が一つの大きな目的の作品だったと思うようになりました。

 

そのように思った根拠は、例えばDPtなら

 

アカギが共感されやすい過去を持っていたり、

 

シロナの私生活がズボラなのもあって完璧ではない事を示していると予想した事だったり、

 

レジェアルなら

 

コトブキ村の存在であったり野盗の悲しい過去の存在であったり、

 

デンボクが主人公を散々良いように使った挙句危険と判断したら追い出したが、それにはデンボクの悲しい過去から来ていたという事実であったり、

 

ウォロの生き様であったり、

 

レジェアルの金策が野盗が落としたきんのたまを拾う事で、それは主人公のような立場でも他に方法がなければ野盗とほぼ同じ生き方をするというメッセージだと予想できたり、ほぼ同じ生き方でも野盗は咎められて主人公は咎められなかったりする事で、万人が持つであろう価値観への疑問を表していると予想した事だったり、

 

 

クリア後というちょっと注目を浴びそうなタイミングで発生するサザンカのイベントで、サザンカが主人公に時空の裂け目の絵について質問した後、時空の裂け目の絵を描き、「未来の人がそれぞれ何かを感じて欲しい」と言うイベントに関して、ズバリこれこそが作品のテーマが含まれていると予想し、上記の事やサザンカの主人公への質問の内容を加味し、サザンカについて「時空の裂け目という、未知なる存在にして生を脅かしかねない存在という、生き物の価値観の発生源を描くと同時に、それは全ての始まりを表し、同時に正体が分かれば大したものではない事をも示し、それを後世に絵という形で伝えた」と予想した事だったり、

 

そもそも神話は人の感情が生み出したものが大半であり、人の感情の元は「生」に直結したものであったり

 

 

そうした事を踏まえて結論付けましたが、これらがどう8.1の冒頭で言った結論に結びつくのかは、ちょっと説明出来ません() この章で述べた事を照らし合わせて予想したまでですので、他の章より妄想度が激しく、根拠に欠けると思います。

 

 

まあこの8.1に関しては要するに

 

シンオウ地方が舞台の作品は、生き物が必死に自分の為に生きてて、そこから色んな事が起きて、それを見てプレイヤーに何かを感じ取って欲しいという事も込めて作られていると予想しました

 

という事です。

 

 

そんな作品の形態がレジェアルのサザンカの絵やDPtのいぶんかのたてもののと同じだな〜と考えました。(両方とも恐らく同じもの)

 

 

 

だからこそサザンカの絵のイベントがクリア後にあったのだと思います。作品自体が「これを見て何かを思ってくれればそれでいい」という立ち位置で作られていたのならば、それと同じサザンカの絵は、作中で重要なものとして扱われていると思うので。

 

 

あと本当に余談ですがこの8.1は自分がTwitterに思わずふせったーを通して書いた部分を無理矢理ここに纏めたものであり、特にここで書いたサザンカの話は全くもって読みにくいです…

 

 

更に余談ですが、レジェアルはほぼ全ての世代のテーマが含まれてると予想しました。これは本当に根拠薄いので話半分程度の話です

 

初代金銀剣盾はポケモン世界の基盤を描いた作品なので直接関わりはないと思いますが、ORASで示された、本当の共存が難しいという事は原作ではエピデルで示されましたが本作ではクレベースを撃破するシーンで示されていたり、

 

XYで示した、人が作った価値基準は完全じゃない事を、原作ではパキラが捕まらずに終わった事や、少し過激なだけのフラダリが死んでしまった事で示され、今作では野盗のきんのたまで金策が出来てるのにお咎めが無い事で示されていたり、

 

BWで示された、思想や性格は皆平等だという事を、原作では作品を通じて示され、本作ではゲーチスやNやアカギの要素があるウォロが、共感されやすい過去を持ってる事で示されていたり、

 

SMは単純に舞台が似ていたり、

 

その意味でレジェアルは作品全体のテーマが集まった作品だと予想しました。勿論ポケモン原作のテーマについてから自分の根拠無き予想であり、本当に根拠が無い事を改めて示しておく。

 

レジェアルは何となくポケモン全作の集大成だと、プレイを通して感じました。

 

9.本当のまとめ

 

ダイパは「神話とヒト」という存在を突き詰めた作品だと個人的に感じており、その理由は上記に記した通りである。

 

ここからは本作と関係の無い余談だが、差別のない世界とは何なのだろうか。昨今話題になる話の一つだが、差別の無い世界を求める人々の大半は、「自分や自分と同じ連中が理不尽な目に遭ってほしくない」という感情から来るのだろう。しかしその感情や、文章中の「理」の概念こそが差別である。ただそれを認識して糾弾をやめれば、ただ強い人間が弱い人間を身勝手に使うだけの社会となる。しかしそれは今とそこまで変わらないのでは無いか?

 

そもそもより「良い」社会にしようとする際に、その「良い」「悪い」の基準こそが差別の一つである以上、差別は存在し続ける。差別は無くすべきか、無くさないべきか、そこに絶対的な答えは確実に存在しない以上、重要なのは0から本質に返り考え直す事では無いだろうか?

 

事の本当の本質は、アルセウスや他伝説のように、気まぐれで動くような生き物と同じように大した事は無いのだろう。

 

シロナもアカギもゲーチスも、皆同じニンゲン…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【DEL_ARUN_】(バレあり)このゲームの真相に迫りたい

この記事を前書いた時、全く読みにくく内容も無かったので消して新しく作り直した。変に長くしない方が好きなので極力短く行く

 

この記事にはデル◯ルーンのネタバレが多様に含まれている(Mother3のネタバレも)為、好まない方は今すぐブラウザバックを強くお勧めする。また、デル◯ルー◯の内容を大体知ってる前提での内容になる。相変わらず纏まりのない、文の形を保ってるのか怪しい文である事を一応断っておく。単なるメモ帳だと思った方が良い…

 

 

 

 

 

 

では書き始める

 

1.ストーリー全容の予想

 

早速書く。以下予想

 

デル◯ルー◯は表向きはアイデンティティやコンプレックスに焦点を当てたゲームである。このゲームの特徴的な要素である闇の世界はアズリエルがクリスのために作ったゲームである。しかし、どうやらアン◯ーテー◯のCharaのような存在によって無意識に手助けをされていたらしい。

 

Charaはこの世界が気に食わず、全てを滅ぼそうとしていた。その為にゲームを作ろうとしていたアズリエルに呼びかけ、ゲームと称して特別な力を教え、そのゲームによって世界の破滅を目論む。また、全キャラクター達を裏から無意識のうちに命令して操っており、シナリオ通りに進めている。

 

ちなみにガスターはデル◯ルー◯の世界の全てがゲームであることを理解しており、その世界をただ実験として傍観している。

 

アズリエルの目的は、クリスが周りとの種族の違いによる差別や、それに伴うコンプレックスに苦しまないようにする事。その為にクリスにとってそのような差別を全く感じないような世界をまずは作る事にした。また、アズリエルが作ったこの闇の世界というゲームの世界は、クリス以外にとっても理想的な環境である。

 

アズリエルが作ったゲームのプレイヤーは私達プレイヤーそのものであり、アズリエルはクリスの中に我々プレイヤーが入り、クリスを操作させ、その過程で街の皆と仲良くなり、プレイヤーが作ったその関係性をクリスに与え、クリスが幸せになる事を目的としている。ちなみにニンゲンのソウル以外でテストプレイをしている。

 

 

そういったことがプレイヤーに悟られないように、闇の国の中で名乗る際は名前をアズリエルのアナグラムであるラルセイにしている。

 

しかし、クリス本人は意識はある為、この状況を苦痛に感じている。

 

アズリエルは闇の泉を封じる事を目標にしているが、実際は闇の泉を封じるという目標の為にクリスが街の人(ライトナー)と共に力を合わせる事を目的としており、アズリエルが語った歴史や伝承や、ダークナー達が語った因縁や歴史は全て作り話である。

 

また、アズリエルもまた自身の孤独を癒す為に、ラルセイという導き人としての立場を楽しんでいる。まるでアン◯ーテー◯のアルフィーのように…

 

このストーリー内では実はCharaも出てきているが、それは真夜中になったり、クリスが興奮状態になった時に現れ、ストーリーの筋書きに沿って闇の泉を開く、と言ったような行動を起こす。 

 

このゲーム内では同じくコンプレックスやアイデンティティに悩むキャラクターがいる。パピルスは思い通りに人生が進まず塞ぎ込んでしまっており、ジェビルやスパムトンは自身の存在の事実を知ってしまい、それに抗ったり何かに憧れを持ったりした。

 

夢の世界に憧れを持ったのは他のモブキャラも同様であり、徐々にスージィのように惹かれる事になる。

 

余談だが、結果としてモブキャラ達はアズリエルに操られる、管理されてる存在になっているが、大多数のモブキャラはそこをあまり気にしていない。操られる事を受け入れても幸せになれるという事なのかもしれない。

 

 

そしてこのアズリエルが作ったゲームのラストは、「何故か開き続けた」闇の泉の、最後の泉を封印する事だ。しかし、ダークナー達はクリスのために作られた存在とはいえ、ライトナーと仲良くなったり、感情が芽生えていたり、そもそもライトナーにとっても理想の環境であった。現実が辛くなったライトナーに取っての第二のホームになっていた。全てを既定路線として作り上げ、用が済めばゲームの世界を消そうとするアズリエルへのヘイトは、まるでノエルのクイーンに対するヘイトのように周りのモンスター達が溜め込んでいた。ここから2つの分岐がある

 

アズリエルが闇の泉を封印する事に賛成する場合としない場合に分かれる。

 

 

賛成する場合はアズリエルと戦う事も無く、闇の泉を封印し、世界は元通りになる。特にスージィからは恨まれるし街の住民からも恨まれる。アズリエルからは「それで正解なんだよ」と肩を持たれる。

 

しかし不本意だったのは当のクリス本人である。本当は闇の泉を閉めたく無かったのに閉める事になり、自身を操ったプレイヤーやアズリエルを心底恨み、深夜に家を出て闇の泉を開こうとする。しかしその恨みを利用されCharaのタマシイと共鳴し、呪いを込めたナイフを地面に突き刺し、闇の世界が訪れるどころか咆哮が起き、世界は崩壊する。クリスは最後まで誰かの目的の為に操られた哀れなニンゲンだった、という悲しいオチ。最後にCharaはプレイヤーに、こんな中途半端なオチじゃ無くもっと面白いオチがあるぞ、とプレイヤーをAルートに誘い込むかのような台詞を笑いながら言い、ストーリーは終わる。

 

 

闇の泉を開くのに反対した場合の分岐は、ラスボスはアズリエルが用意していたラスボスでは無くアズリエル本人となり、皆で力を合わせ、クリス本人が意志を持ち皆の意志を一心に受け止めアズリエルの策略を止める。ユ◯ストーリー感が少しある。

 

恐らく最後のこのような対立は、最後は現実を見る事こそが正義だと訴えるアズリエルと、時には現実から離れて逃避した方が幸せだったり有意義だ、と訴えるその他キャラクター達、そしてプレイヤー自身が結束して戦う構図になるのだろう。

 

しかしアズリエルはゲーム製作者であり、ゲームを強制終了することが出来、皆は強制的に物語開始前に引き戻されてしまう。アズリエルの力によってプレイヤーの操作からクリスは完全に解き放たれるも、物語終盤で皆と仲良くなり意志を一つにしたクリスは周りから種族の壁を超えて好かれる事になり、身体を動かしていたプレイヤーにも感謝し、大団円。しかし、アズリエルだけは元の人生と比べ更に孤独になり、疎外されてしまう。しかし、スージィ等仲間達の説得により、勇気を取り戻し涙を流す。自分はここにいていいという自信を取り戻し、家に帰る。

 

しかし、クリスの中にはCharaのタマシイが宿っており、Charaは筋書き通り世界を破滅させる為、クリスを操り呪いを込めたナイフを地面に突き刺そうと外に出る。アズリエルはクリスなら闇の泉を開けると思い、開くようお願いする。それをスージィが気づき、また一緒に闇の世界に行きたくなったのかと呼びかけ、一緒にナイフを地面に突き刺す。表面上は笑顔なアズリエルも、裏では呪いの感情がある。

 

 

しかし、明らかに様子がおかしいクリスを見て、スージィはクリスに問いただす。しかしプレイヤーが操っている様子では無い。アズリエルの意志でプレイヤーに操られ、今度はCharaに操られそうになるクリスをみてスージィの感情は爆発。自身の家庭環境もあってか、共感する部分が尚多かったのかもしれない。

 

操られ続け、差別を気にし、アイデンティティの危機に何度も晒されたクリスには今は居場所があり、ノエルを含む周りの人間、そしてプレイヤーまでもがクリスを応援する(ここは任意であり選択に関係なく物語は進む)。クリスが全ての柵から放たれた時、皆は大喜びする。

 

改めてクリスはスージィの話を聞き、ナイフを地面に突き刺す。この時プレイヤーの選択肢は出て来ない。その時出てきた闇の世界は世界の崩壊は招かず、平和な世界が訪れる。アズリエルは、色々あったけど "思い通り" になったと発言し、物語は終わる。しかし、スージィは大方満足しているものの、これで良かったのか…?と意味深な疑問を持つ。悪い大人から逃れるようにワルというアイデンティティを持ったスージィに取って、結局誰かの意図通りという結末に疑問を持ってしまったのだろう。結局楽しかったからOKか!と解決するが、意味深に映るだろう。

 

肝心のCharaは野望を達成出来なくなったが、プレイヤーに別ルートでもっと真実に近づくことが出来ると唆す。こんなEDで満足出来ない、もっと真実が知りたい、もっと強い敵と戦いたいと思ったら別ルートでの探索を進める、と言い残し、去っていく。セーブはクリア直前までしか出来ないが、タイトル画面に何かしら称号が手に入る。

 

 

 

 

 

 

 

ここまでが表ルートで、裏ルート(Aルートと呼ぶらしい)では、クリスがプレイヤーの動向によって人望を集めるストーリーを想定されていたはずがプレイヤーが闇の世界内でキャラクターを全て56してしまい、人望は潰えてしまう。また、このルートでは同じく世界を楽しがって破滅に追い込もうとするCharaのような存在があり、キャラクターに命令する事でストーリーを進めている。クリス本人の評価になってしまう事をアズリエルは恐れ、事実を全て言う。ただ、隠された真実はCharaが言う。この世界はライトナーもダークナーも関係なく、全て作られた存在であり、自己満足の為にプレイヤーのような存在がクリスを操ってプレイしており、それを利用して何かを狙っているのがCharaである、という事だ。

 

表ルートでアズリエルが全てを管理しようとしていたように好き勝手に動き回る、クリスを操ってるプレイヤー相手に、世界をリセットさせ元の何も起きなかった世界に戻す為に皆で力を合わせアズリエルがプレイヤーに立ちはだかる。ただ攻略し楽しさを得る為に存在するプレイヤーと、その為に存在する悲しき存在のキャラクター達の構図を描かれる。

 

プレイヤーはアズリエルに勝つも、アズリエルはゲーム製作者なのでゲームを強制終了させる事が出来、結果的に物語開始前に引き戻される。アズリエルの力によってプレイヤーの操作からクリスは完全に解き放たれた。しかし、側から見てクリス本人なのか見分けがつかないキャラクター達にとってクリスは脅威であり、結局クリスに向けられる冷たい視線は一層増してしまう。

 

 

そんな鬱屈したクリスと、結末が知りたいプレイヤー、そして筋書き通り世界の破滅を望むCharaとの2人のタマシイは共鳴し、深夜、クリスの下に再び宿る。

 

通常ルートを歩んだプレイヤーは、(予想の)EDは納得しないだろう。しかし今回はプレイヤー自体が望んでしまっている。ただこのゲームの違うオチを好奇心でAルートをプレイしていたのにオチが変わらないからだ。Charaからは「呪いを込めてナイフを地面に突き刺せば、新たな展開が待っているぞ」という言葉に乗せられ、ナイフ片手に歩み出す…。

 

不穏なBGMと共にプレイヤーはクリスを操作し、歩みを続ける。そこにスージィとラルセイが近づき、目の前にいるのはクリス本人だと思ってるので、闇の泉を作っても世界が終わることも無く大丈夫だと思い、一緒にナイフを地面に突き刺す。しかし、クリス本人では無いクリスが刺したナイフには呪いが込められており、世界に混沌が訪れ、闇に包まれて終わる…

 

 

両者のEDの後、ガスターの笑う声が静かに聞こえ、ゲーム終了… 騎士はルートによって異なる者となる。通常ルートはアズリエル、Aルートはプレイヤー…

 

 

アズリエルはプレイヤーの動機を理解している。全く誰も56さなかった場合が最善の選択肢にならないようになっており、本当に全く誰も56さなかった場合はプレイヤーの優しさを多少は褒めつつも、それが偽善的で有る事を暗に伝える。最善とされる選択肢に行き着く為には常に不サツを貫く事が正解にならないゲームとなっている。これは物語終盤でアズリエルから明かされる。AルートではアズリエルではなくCharaが言うが、自分と同じ奴だ、と一言言うに留まる。

 

アズリエルは最初はクリスに自信を付けさせる為にゲームを作ったが、同様にホームタウン含めて全てがゲームの世界だったのだ。全ては等しくガスターの実験の為の存在…

ここまでが予想

 

2. 予想の根拠

 

 

長く書いても仕方ないので手短に書く。

 

まずクリスは周りと違いニンゲンであり、明らかにトリエル達の実の子では無い。街の南にはニンゲンが封印されている可能性が高い(chapter2でモブキャラがそれとなくクリスを出して喋っていることから)

 

それ以外にもクリスの様々な行動(省略する)から、明らかに自分がニンゲンである事を嫌がっている。このコンプレックスが行動を起こす原動力になっていると考えた。スージィがシャドウジェム(ガラス)を通すと冷たく睨んでるように見えるのは、心の底の差別心が原因と考えられる。

 

次に、皆が誰かにストーリーの為に操られているという設定と、ノエルとクイーンの関係性について

 

この皆が操られているという設定は明らかであり、その場合クイーンのストーリーは全体のストーリーの根幹になるのでは無いか、という予想だ。操られ管理される事を幸せと思うな、というテーマが込められたこのストーリーは、最後まで強く残ると予想。

 

アズリエル=ラルセイだったり、アズリエルがゲーム製作者側である根拠の説明は省略… そうでない可能性も大いにあるが、単に説明が面倒…  

 

また、この世界で誰しも自分が望む通りの形になれない、という最初の忠言を踏まえ、理想と現実の対比を描くだろうという予想を踏まえた。

 

・最後3人が集まって世界を終わらすEDだと予想した理由

 

アズリエルの予言やガスターの実験の際の発言(3人が集まって天使の楽園を破壊する旨)から 

 

 

他にもある気がするが取り敢えずここまで

 

3. 予想への疑問

 

疑問というよりは欠点?良い言葉が思いつかないが、取り敢えず論拠の不十分な部分を書く

 

・何回もこのゲームの世界がプレイとリセットを繰り返した可能性を触れられていない。

 

バードリーが通常ルートで冷凍チキンナゲトの匂いがしたり、クリスの部屋のとりかごが何度も打ちつけたあとがあったり、ノエルがゴミ捨て場を懐かしいと言ったり、とにかくそうした可能性に触れていない。正直何回もリスタートしてるなら、アズリエルが裏ルートで違和感に気づく時期が遅い。ただ、この他に最初からクリスとスージィの名前を知っている為、リスタートというよりテストプレイをしていた可能性はある。プレイヤー以外のタマシイを入れたりしたのだろうか?クリスはその間同じように気づいていたのだろうか。クリスを変えるにはプレイヤーの精神が無い限りダメなのだろうか?謎…

 

 

・ラルセイが最後そのように抵抗する動機が弱い

 

実際弱いが、アズリエルがエリートとして描かれるのであるならば、「いつまでも空想の世界に逃げんな!」という主張をするのかもしれない。ズレた価値観でクリスを縛ろうとするとか(筆者がエリートを妬んでる訳では無い)

 

また、このゲームはゲームをプレイする我々と、ゲーム内のキャラクターという関係性へのメタを描くゲームでもあり、特にこのゲームは極限まで突き詰められる可能性が高いと言えよう。予想のストーリーだとその部分が弱いだろう。

 

・この予想では咆哮や闇に呑まれる等、世界の終焉への掘り下げ方が雑で不明瞭

 

本当にここはよくわからない部分である。

実はChapter1でゲームオーバー時タイトルに戻るを選択すると、世界は闇に包まれてしまう。プレイヤーの手から離れてしまったからだろうか?また、闇に包まれた後世界が終わりに近づいた時、3人の勇者が世界を救う話も掘り下げていない。う〜〜〜〜〜〜ん…………

 

ガスターの実験として「闇は深みを増しどんどん暗くなっていく」という説明があるから、アズリエルのゲーム内の設定として片付けようにも難しいんですよね さっぱりわかりません

 

 

他にもあると思うが取り敢えずこの辺で

 

4. 現状有る気になる要素について

 

・館のアズリエルの部屋について

 

クリスが目を背けたくなる事柄は、自分がニンゲンであるという話に関連する内容の事だろう。アズリエルはその事について悩んでいたり、解決しようとしたのを目にしたく無いからクリスは目を背けたのでは無いだろうか

 

クリスは、見なくてももう知っている気がすると言ったのは、複数回同じ光景を見ているから?だとするとテストプレイがされた可能性は尚更高まるかもしれない。

 

・闇の泉を開いたのは誰?

 

1回目はラルセイ 2回目以降はChara(仮)に無意識下で命令されたクリス 最後は3人で開く

 

2回目以降はクリスに命令したキャラクターは、Charaというよりストーリーの成り行き通りに動くキャラクターだと予想している。Aルートではノエルの脳内に「とても怖い声」がクリスから発せられており、これはアン◯ーテー◯でGルートになった際Charaが徐々に想起されたのと同じではないか、そうした予想になった。

 

 

最初に書いた時はこれ以上何も思いつかなかったのでまとめに入っていたが、違う視点から色々と追記しようと思う。

 

以下追記

 

追記1 メタ要素からストーリーを1から振り返る

 

このゲームは製作者がアン◯ーテー◯と同じであり、周知の通りとんでもないメタ要素を取り入れる事で有名だったが、今作は彼が特にメインに力を入れているゲームであり、そちらの視点から見る方が良いのではないかと思い、考える事にした。

 

まずメタ要素という意味でこのゲームの要素から振り返ると、

 

・ゲームの製作者のような存在がいる。

・(製作者のような)立場の高い人間に意のままに操られる、と言ったような要素が多い。

ガスターがこの世界を実験・観測と言ったような表現で見ている。

 

続いて、直接的なメタ要素ではないがメタ要素に関係しそうな要素を挙げる

 

・この世界では如何なる者も思い通りに動くことが出来ない

・主人公のクリスは元から人生があり、どうやらそれをプレイヤーが何らかの形で操っている

・どうやらクリスはコンプレックスを持っており、それに苦しんでおり、それにまつわる差別も存在する可能性がある。

 

他にも山程あるが取り敢えずここで終わり 今後出てくる要素は皆が知っているような要素なので然程問題は無さそう

 

最後に、メタ要素の極限のようなゲームになりそうなのを踏まえて今後出てくるであろう要素を挙げる。

 

・ゲームを作った人間、プレイする我々という存在 

・上に続き、何故我々はこのゲームをプレイするのか、何故このゲームが作られたか つまり何のためにこのゲームはあるのか

 

2つのみだが、非常に重要な要素と勝手に考えている。

 

追記2 メタ要素から展開自体の予想

 

 

このゲームは製作者が様々な目的があって作られており、ゲーム内の世界はその為に存在している。そしてプレイヤーはその世界をプレイヤー毎に異なる様々な目的でプレイしている。(ここまでは事実)

 

その要素を出すためにまずこのゲームの世界は、ゲームを作ってる側の表世界と、ゲームの中の世界である裏世界と分かれており、そのゲームを作ったアズリエルにとっては裏世界というゲームの世界はアズリエルの目的を果たす為の世界であり、その為にキャラクター達(ダークナー)に設定・記憶・目的を与え、彼らはその通りに動いていた。

 

表ストーリーではこの部分を物語終盤で回収する。アズリエルの目的の為に、設定・記憶・目的を与えられた事に当キャラクター達は気づくが、過激な親の元生まれた子供のように、ただ操られるだけの存在じゃない!と反旗を翻す。

ノエル、クリス、スージィといったような存在が同じような経験をしており、その部分でも一致団結するのだろう。 実際はダークナーはライトナーの為の存在になっているが。

その後は上記の予想と同じである。。

 

 

 

 

 

裏ストーリーでは物事の全てが判明する。主人公達を裏から操る存在であるCharaをノエルが突き止めた事により物事の全てが判明する(ここ曖昧)。このゲームはプレイヤーの為に作られた物であり、ライトナーもダークナーも関係無く、全てのキャラクターが設定・記憶・目的を与えられており、その為に動いている事、このゲームはプレイヤーに教訓を与える為の物であり、そのシナリオのためにCharaが世界を破滅させる事まで全て既定路線であり、プレイヤーが最後までゲームをクリアしようとする限りその路線からキャラクター達が逃れられない事を知る。

 

自分達キャラクターが製作者側の目的の為の存在である事・プレイヤーはそれに反して、このゲームで自己満足する為に行動している事、それを阻止する為にキャラクター達が躍起になってプレイヤーを止めようとするも、それ自体がプレイヤーが求めている行動である事をCharaの口から知り、キャラクター達は発狂するも、プレイヤーを止めるのが最善の選択と考え、全てをアズリエルに託し、プレイヤーと戦う。以下上記予想と同じ。

 

表ルートでダークナー達が味わったショックと同じショックを裏ルートで全員が味わうのである。

 

クリア後の世界はリスタート出来るが、一部キャラクターは真実を知っており、言動内容が異なる。

 

Charaは最後にプレイヤーに語りかける。プレイヤーがいる世界は本当にこことは違って自由なのか?ダークナーとは本当に違うと言えるか?と言い放つ。

 

また、モブキャラ達の反応も気になる。現代社会において誰かの操り人形、という言葉はよく耳にするが、そうした存在になりたくない!と言いそうな雰囲気をモブキャラに感じるが、そうして行き着く先は違う誰かの操り人形なのだ。それを聞いて絶望するか、楽しければ何でも良いと思うか、全てを受け入れるか、それは各々が大事にする物、すなわちアイデンティティによって変わるのではないだろうか。

 

また、昨今の時代、本当の意味での現実世界においても、何が自分の自我かわからない事も多いのでは無いだろうか。現実とゲームの世界を題材にしたこのゲームは、現実の世界の描き方にはそうしたリアルな問題を描いているように見える。自分がただの「モブキャラ」であるという事を知って、それでどうするか、という事への解答に正解は無いのでしょう。通常ルートはそこを明るく綿密に描きそうな予感がする。操られているかどうかより大切にしたほうが良さそうな物もある、というオチになるのか、その辺は筆者の頭がこの難題なテーマに追いつく頃に思い出して予想を書いてみたい。

 

まだ触れられてない部分が沢山あるが一旦ここで終わり。順次追記追加予定

 

 

追記終

 

 

 

 

 

5.まとめ

 

ストーリーの全容が掴めたような気がしたが、実際はまだわからない部分が多い。また何か思いつけば色々と足す可能性がある。本当に奥が深く、読み解けそうで読み解けない難しさがあり、楽しい反面もどかしい。重ねて言うが、このゲームはメタ要素を極限まで取り込んでいると思っているし、まだ自分の予想程度ではそのメタ要素は少なすぎる為、その部分を予想していきたい。スパムトンNEO一つとっても回収してない要素は山程あるし、筆者は肝心な部分は全く触れていない気がする。作者のToby氏は凄まじい…

 

やっぱり全容が知りたい〜〜〜!!でも予想を当ててみたい悪い感情もある…

 

6.補足

 

・ラルセイはAルートでスージィと仲良くなればそれで良いと言ったのは何故?

 

ここはあまり深く考える必要は無さそうだ。多分クリス・ラルセイ・スージィで世界を救うという方向性と仮定すると、最初仲良くなかったラルセイとスージィが仲良くならないと世界救えないので。仲良くなるというのはクリス本人に見せる意味でも重要であり、相手がスージィなのをラルセイの本心だった等の話ではなさそうだ。

 

・ラルセイがクリスとスージィの名前を初見で当てた事について

 

初めから来る事を知っていれば、そもそもテストプレイ等をしていなくても当てられるかもしれない。しかし、数回リスタートされたような痕跡も複数ある為、やはり断定は難しい

 

・スパムトンNEOの糸を切ったのは?また、ジェビルやスパムトンに電話をかけて真実を伝え精神を狂わせた人物は?

 

全てCharaだと思われる。スパムトンは真実を喋りすぎており、その為に最後の糸を切ったのだろう。電話に関しては不明瞭だが、ガスターである可能性が低く、Charaである場合は辻褄が合う為だ。

 

・Chapter終了時Lvが上がっている理由は?

 

Chapter2に行った時初めて気づいたが、強さが高まっている。Chapter2終了時に更に強さが高まっている。これは撃墜数に関係無いが、撃墜数が多いと更に強さが高まっている。

 

今作のLvはアン◯ーテー◯の意味としても、レベルという意味も持ち合わせているのかもしれない。アン◯ーテー◯ではプレイヤーのLvが高まるほどCharaが干渉してきたが、今作は果たして…

 

7.その他何でも

 

・アズリエル、4んでないか…?

 

とある場所でこのような説を複数見て、そんな筈は無いと思ったが、何か引きずってしまったのでここに書く

 

まずアズリエルは作中で姿が一切描かれておらず、姿が確認されているのは8年前の画像(プレイヤーは見れない)やとしょんかの本の延滞(8年弱)の件のみである。(特に本に関しては返す事はないとクリスが言っている)ニンゲンのクリスを子供として迎えているのも理由がある可能性があり、トリエルとアスゴアの離婚理由もそれに関連させられると筋が通りそう…

 

また、あまり持ち出すべきかは分からないが、ストーリーがなんとなくMother3と似ているという意見があり、もし意識をしているのならばアズリエルの枠は4んだの兄弟クラリ… かもしれない。

 

その場合トリエルは現実逃避をしている事になるが、そうなるとライトナーにとっての夢の世界であり理想の世界である闇の世界で、夢から覚め現実に戻らなければならないと言い放つ存在が、居てほしいという願望から生まれたようなアズリエル(ラルセイ)なのはより筋が通り味があるように思われる。

 

そうなるとラルセイは何者…?となるが、ゲームマスターのような存在のラルセイは実際はアバターである可能性があり、下手をすれば何者かによって命を奪われ封印されてしまったとか…?(56された挙句別人として利用されるのはまさしくMother3のクラリ…だ)

 

そうなると色々とすんなり来る部分も多い。館のアズリエルの部屋をクリスは見ようと思わなかったのも、これ抜きでの考察から踏まえると、アズリエルがクリスがニンゲンである事に苦しんでる事を案じた結果の検索結果が出てくる故に目を背けた、という結論になりそうだが、「もう既に知っている気がする」と言って目を背ける部分への違和感は拭えない(確率が低くは無いが不自然ではあり、何よりニンゲンである事からの目の背け方をする場合このような文では無い)。

 

しかしアズリエルが◯んでる場合話は違う。既に◯んでる事をクリスは知っているから、その検索結果が出るのを見るのを拒んだのでは無いだろうか

 

スージィ含めてライトナーの誰もがラルセイの顔に見覚えが無いのも不自然だ。誰か一人はクリスの兄である事を言っても良いのではないだろうか?

 

と、根拠(?)を挙げてきたが、実際は不自然な部分も多い。

 

まずアズリエルは1週間後に帰ってくるとトリエルは言っているが、帰って来なかった場合どうするのだろうか?クリスが今まで現実逃避の手助けをしていたのだろうか?(身代わりを用意しアズリエルと誤認させる等)

 

奇しくもクリスの検索履歴の「大学 夏休み いつ」は身代わり説を推すと辻褄が合わない事もない。しかしそもそも身代わりになりそうなキャラクターが思いつかない…

 

また、アズリエルが◯んでるとして、ラルセイは何者なのか?

 

考察通りに話を進めると、Charaのような存在が動かしてる事になるが、それをする意味はあるのだろうか?どこかでトリエルと再開し、本当に目の前に生きていると信じてしまい闇の泉を閉じないようにさせるとか?可能性はあるがアズリエルが泉を閉じようとしている以上回りくどい印象を覚える。

 

また、そもそもアズリエルとクリスは遊んだ形跡があり、モブキャラもヨッシーの話をしてるので、クリスが代わりの子供というのも信じ難い。しかし全てがトリエルの現実逃避への配慮とするならば合点はいかなくも無いが流石に不自然さが勝り苦しい。

 

総じて、テーマとして辻褄が合う説だが、年齢等で違和感感じる部分があるも、それで完全に否定できる訳でもなく仮にそうだとして筋がギリギリ通るラインなのでなんとも言えない説だった。正直あらゆる面でこちらの方がテーマに沿ってるので推したいが、拭えない違和感が残る。スマブラに関してもトリエルの現実逃避に付き合ってる、でギリ話が通らない事も無いので。

 

ちなみにこれを追加した後に気づいたが、クリスとアズリエルとトリエルが映った写真があったらしい この欄に書いた内容の7割くらいは意味無いですね

 

色々と考えてみましたが不自然な部分が多く、ひとまずこの説は無しという事で。一応残しておく。

 

 

・クリス=Chara=騎士?もしくは札人者?

 

個人的に絶対に無い筈の説だが証拠だけ何故かちょっと揃っている説

 

証拠を挙げると、まずChapter2冒頭のクラスへの言葉はトリエルの言葉では無いという事

 

パイが食べられた事に気づいたトリエルは、目の前でクリスが食べていたのを見た訳では無いのであの言葉は不自然

 

となると発言主はアズリエルしかいない。(文のSEからも明らか)

 

クリスがナイフを用いて何かをしようとしたのを見たのは明らかであり、過去の回想だと判断すると、まず過去に闇の泉を広げたのでは無いか?という説

 

闇の泉はChapter1の時点で2つある為、クリスが開いたのは源泉と言える

 

また、実はアズリエルのベッドの下には隠れた足のように見えるものがあり、これがアズリエルでは無いかという説がある。もし正しければアズリエルは4んでいるか、昏睡状態と言える。

 

クリスが最初から騎士であるならば、まず闇の泉を開き世界の崩壊の第一歩を歩み、巻き込まれたアズリエルは昏睡状態となり倒れたという路線。

 

流石に違和感しかなく、例えこの説だったとしてこの展開をする必要性が感じられないので、これ以上書く前にやめておく。突然行方不明になっている話になり、流石に現実逃避にしても伏線が無さすぎる上不自然なので… 明確な否定はできないが ある日突然大学にでも行った話になる上、そもそも失踪ならトリエルが現実逃避する理由にもならない。

 

そもそもこれ言っているのはアズリエルじゃなくてトリエルで、Chapter2のラストに繋がるだけじゃないかと考える。終

 

・別ルートのノエルの「懐かしい感じ」は、別に世界をリスタートさせてる事には関係ないかもしれない

 

そもそもこの発言は今のクリスが昔のクリスを思い出すという意味での発言であり、関係が無い。バードリーの匂いが冷凍〇〇というのは確認出来てないので、これも嘘と考えると、やはりこの世界はリスタートされていない気がする。

 

・クリスは「最近」様子が変??

 

これは登場人物のうち複数人がいう言葉だが、「最近」とはどういう事だろうか?プレイヤーがクリスを操ってから、と考えると1日前だが、それを最近というだろうか?

 

長くなるので端折るが、もしそれより前からおかしいのであれば、Charaがクリスを乗っ取ったのがその最近、となるだろう。強いていうならばクリスの体に慣れる為に色々と試していた可能性があるが、それを文脈に入れる意味が分からなく、あまり考えない方がいい。正直「最近」は1日前を表してても良い気がする。

 

 

・このゲームを「裏技」から見るとまた新しい発見があるかも?

 

デル◯ルー◯は勿論ゲームの世界であり、謂わば裏技のようなものが存在する。結論から言えばそれはAルートの事だ。

 

Aルートは複数のフラグ・イベントを回収しないルートを辿ったものであり、回収しなかった結果としてノエルが想定外の行動を起こし、アズリエルは戸惑いを隠せなかった。

 

このゲームにおける「裏技」とはどういった役割を持つのだろうか?アン◯ーテー◯における裏技は、一部YouTuber等はデバッグモードを使用してフラグを無視した結果の結末を見ようとする事がある。特にこのゲームは色々と自由に動かしやすく出来ており、尚更そうした事をしたくなる人は多く出来ている。

 

今までのを踏まえると「裏技」は、謂わば既定路線から外れ、ゲームの世界をゲームとして好き勝手上から操る為の存在として見ている事の表れと言えるだろう。そしてこれからのChapterも、別ルートはネットで調べて初めてわかるような裏技を使う事で、アズリエルの想定から全く離れたルートになるのだろう。

 

「裏技」が既定路線から外れる、支配から逃れる事への象徴になるならば、通常ルートではスージィが全く違う、アズリエルも想定していない近道を発見し、それを進んでいく事で意図せずアズリエルの真実が分かる、といったような事があるかもしれない。

 

別ルートではそもそもプレイヤーが裏技使いまくってるので、スージィでさえ見つけられなかった裏道を一人で見つけ、進んでいく事でCharaを含む全ての真実が分かる、といったようなことがあるかもしれない。

 

・通常ルートはその全てが「日常」であり、Aルートはその日常を崩す「崩壊」

 

何言ってんだお前という感じだが、ゲームの既定ルートというのは平和な世界で何事も無くおこる現象であり、その全てが平和なのである。アン◯ーテー◯もPルートは終始平和であった。これは部外者のプレイヤーやCharaがゲームにあまり関わらず、地下のキャラクターとフリスクが引き起こすドタバタにとどまったから故の印象である。  

 

デル◯ルー◯も同じ印象を覚える。プレイヤーの動向、時に「裏技」を使った際、織りなす日常は崩れ去る。本当の現実世界に置いて、特に何も変化が起きず皆が優しい平和な世界に、ある日突然明らかに様子のおかしいヤツが現れた際、その世界はどうなるのか、という視点からも描かれているように感じる。とても実際に起きて欲しくは無い事象であるが、優しい皆の違った一面を見る事が出来てしまう事象でもある。

 

もっとも、そうした事象を見たいが為に好き勝手するプレイヤーに皮肉を込めたアンサーを出したのがアン◯ーテー◯なのだが。

 

デル◯ルー◯も同じように、日常とその崩壊という対比でルートが変わっているのだろう。

 

 

・クリスがプレイヤーに乗っ取られるとはどういう事を表すのだろうか

 

クリスは知っての通り、ちょっとヤンチャで手がつけられない子供。既定路線ではプレイヤーに乗っ取られて「普通」の子供になっている。

 

これは周りの願望では無いのだろうか。現実世界でいう「良い子になって欲しい」という願望。実際本気で過激にそのように思ってしまう親は、子供をまるで道具として見てしまう性格であり、子供自身に向き合う気は無い傾向にある。

 

自分では無い奴に乗っ取られ、その人格を周りが良いように評価する。基本どんなに取り繕っても人格まで入れ替わる事は無いが、これはゲームの世界。登場人物にとっても理想の世界であり、良い子になって欲しいという願望をクリスにぶつけた結果とも言える。勿論ゲームのように子供に理想をぶつけるのは不適切であり、クリスはアイデンティティに悩む事になる。鏡を見て徐々に自分が自分である事に自信を無くしている様子は、そこからも来ていると予想する。

 

デザイナーベビーのように子供に欲をぶつけるのは、いわばその子供に別の人格が入って欲しいと思うような事だという事を、アズリエルがスージィ等に突きつけられるシーンが終盤にあるのかもしれない。少なくとも表ストーリーはそうした風刺が物語の要の一つになるのだろう。

 

・「忘れないで」とは?

 

アン◯ーテー◯で3人のキャラクターの絵(何かは不明)がSnowfulの物置にあるのは有名であり、その絵のタイトルは「忘れないで」

 

本作デル◯ルー◯のChapter毎のEDのタイトルは「忘れないで」

 

一体何を「忘れないで」なのか?

 

根拠の説明のしようがないので簡潔に言うと、これは誰かの冒険についての言葉だと予想しており、アン◯ーテー◯の3人というのは、やはりデル◯ルー◯のように思える。 

 

冒険について「忘れないで」と言うことは、忘れてしまうようなイベントがあるという事?物語をクリアして暫くすればそれを忘れてしまうプレイヤーに対する言葉にも見える。

 

結論から言うと、これはデル◯ルー◯で物語最後にアズリエルがゲームを強制終了させ、皆が記憶を無くしてしまう事を表しているのではないだろうか。ゲームの世界はプレイヤーの目的のために存在しているにすぎないのならば、それを表すかのようにアズリエルの強制終了で皆が儚く記憶を無くしてしまうのかもしれない。

 

しかし、スージィは皆と違い、操られない事を意識しているので、本当に忘れてしまう事を恐れてどこかで描いた絵を見て、全てを思い出して物語は前進するのでは無いだろうか 自分の予想のその部分は後で書き直した方がいいかもしれない。

 

 

 

 

変に長くなってしまった…

 

 

 

 

 

 

 

 

他にも思いついた事や作中で見逃していた事があれば順次追加予定